阿部翔平
阿部 翔平(あべ しょうへい、1983年12月1日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(おもに左サイドバック)。 来歴小学校1年生で黒滝サッカークラブでサッカーを始める。中学校時に地元の横浜フリューゲルスジュニアユースへ推薦を受け[1]、そのままチームが消滅する1998年まで所属した。 船橋市立船橋高等学校へ進学。3年生時にはミッドフィールダーとして背番号10を背負ってキャプテンを務め、第80回全国高等学校サッカー選手権大会にも出場した[2]。筑波大学進学後はディフェンダー(サイドバック)へ転向し、4年生時にはユニバーシアード日本代表に選出された[3]。大学での同期には秋葉陽一、藤本淳吾、中野洋司がいる。 2006年、名古屋グランパスエイトへ入団。当時監督であったフェルフォーセンに見出され、2007年シーズン途中から出場機会を増やしレギュラーとして定着[4]。3バックと4バックを併用する中で主に左サイドバック・サイドハーフでの起用が多かったが、負傷者が続出したチーム事情からセンターバックを務める場面もあった[5]。体格は大きくないながらも高い身体能力で守備をこなし、この年のチームの新人王を獲得した。2007年をもってフェルフォーセンは監督を退任するが、次に監督就任が決まっていたPSVアイントホーフェンに阿部を連れて行くことも検討されていた[4]。 2008年にストイコビッチが監督就任すると、引き続き左サイドバックとしてリーグ戦全34試合に出場した[4]。また、前年まで有村光史が背負っていた背番号6に変更された。6月8日ヤマザキナビスコカップ予選リーグ第6節浦和レッズ戦でプロ入り初ゴールを決めた。12月には日本代表に初招集され[6]、Jリーグアウォーズ優秀選手賞にも選出された[7]。2009年1月のAFCアジアカップ2011 (予選)で代表に選出された[8]。その後も左サイドバックのレギュラーとしてほぼ全試合に出場を続けたが、2013年シーズンをもって契約満了により名古屋を退団した[9]。 2014年1月7日、ヴァンフォーレ甲府への加入が発表された[10]。8月23日のガンバ大阪戦でJリーグ初得点を記録。247試合目での初得点は桑原裕義の244試合を更新するJ1最遅初得点記録となった[11]。 甲府では全試合に左ウイングバックとして先発出場し、2年連続のJ1残留に貢献した。 2015年12月15日、ジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍が発表された[12]。初めてのJ2でのプレーとなる。 2017年3月、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍で復帰[13]。5月7日、第10節のジュビロ磐田戦で史上92人目となるJ1通算300試合を達成した[14]。シーズン終了後に完全移籍で甲府に加入した[15]。 2019年2月19日、TOKYO CITY F.C.に完全移籍により加入すると発表された[16]。 2021年12月1日、SHIBUYA CITY FCの選手兼任監督に就任した[17]。 2023年1月8日、SHIBUYA CITY FCの監督に増嶋竜也氏が就任したことに伴い、選手兼任監督が解消[18]。 2023年12月20日、SHIBUYA CITY FCを契約満了で退団することが発表。なお、多大なる貢献により背番号「6」はチームでの永久欠番となる[19]。 2024年2月26日、C GROSSO知多に加入することが発表された[20]。 所属クラブ
個人成績
代表歴
脚注
出典
関連項目外部リンク
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