雑司が谷旧宣教師館雑司が谷旧宣教師館(ぞうしがやきゅうせんきょうしかん)は、1907年(明治40年)にアメリカ人宣教師のジョン・ムーディー・マッケーレブが自らの居宅として、現在の東京都豊島区に建築した住宅[1]。旧マッケーレブ邸とも呼ばれる[1]。 豊島区に現存する最古の近代木造洋風建築で、東京都指定有形文化財[1]。正式名称は「東京都豊島区立雑司が谷旧宣教師館」である。 概要建物は木造二階建てで、下見板張りにペンキを塗った外観(カーペンターゴシック様式)を持つ[2]。屋根は3面に破風板を付けた切妻である[2]。1階と2階に各3室を備える[2]。 キリスト教による青年教育を志したマッケーレブは当初目白台に学校を開こうとしたが、隣接地の日本女子専門学校(現・日本女子大学)から懸念を示され、代替地として雑司が谷の土地を得て学校「雑司ヶ谷学院」を建設し、その敷地の一角にこの邸宅が建てられた[3]。 1907年の建築後はマッケーレブの住居のほか、布教や教育活動の拠点としても使用された[1][2]。マッケーレブの居住当時は1階は食堂・リビング・教会事務室に、2階は寝室に用いられた[2]。しかし1923年(大正12年)の関東大震災で学院は大きな被害を受けて閉鎖となり、1928年に学院の建物を売却の上新たに幼稚園が設立された[3]。この際土地も一部を売却したため、宣教師館は曳家で移動している[3]。1941年(昭和16年)にマッケーレブは戦争の影響により帰国した[2][3]。 戦後、豊島区が1982年(昭和57年)に取得し[4]、1987年(昭和62年)に区の登録有形文化財となる[1]。区による調査や保存のための修理が行われた後、1989年(平成元年)1月より一般に公開されている[1]。 区による一般公開後は、1階に宣教師マッケーレブの日本での活動や生活の紹介の展示がなされている[1]。同階の児童図書コーナーでは、大正時代の『赤い鳥』(復刻版)などの児童図書が閲覧できる[1]。2階は、雑司が谷における近代の文化活動を紹介する展示となっている[5]。 住所東京都豊島区雑司が谷1丁目25-6 アクセス
開館日
近隣の施設
脚注
外部リンク
座標: 北緯35度43分14.6秒 東経139度43分14.1秒 / 北緯35.720722度 東経139.720583度 |
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