青山静男青山 静男(あおやま しずお、1949年〈昭和24年〉3月19日 - 1995年〈平成7年〉3月13日)は、日本の写真家。 街角の少女をとらえた写真で知られる。趣味はロック・ミュージック[1][2]。 経歴1949年(昭和24年)3月19日[3]、京都府京都市に生まれる[1]。 1976年(昭和51年)ころから、カメラを持って京都や大阪の街を歩き、少女たちの姿を写真に収め始める[1]。昭和50年代半ばの日本では、子供たちが公園や街角で遊ぶ光景はありふれており、そしてたいていは子供のほうから静男に声を掛けてきた[2]。 『写真時代』1982年11月号にて、商業誌デビュー[1]。『ヘイ!バディー』1983年7月号から、終刊の1985年11月号まで、写真を連載する[1]。 当時の静男の生活は、早朝から昼まで魚市場でアルバイトし、午後から撮影に出かけ、帰宅後は深夜までフィルムの現像作業に費やすというもの[2]。雑誌の原稿料が入ることで、好きな小説やロックのレコードは存分に買うことができた[2]。 37歳のとき、膀胱癌を発症し、1度目の手術で「余命3か月」の宣告を受ける[2]。病院を出て、大阪の鶴橋界隈にあった民間の断食道場に入所し、2年間を生き延びて、再手術を受けた[2]。その後に肺も手術したが、またも命を取り留める[2]。 しかし、静男の闘病中に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件によって日本の世相は様変わりし、もはや街角の少女にカメラを向けることは許されなくなった[2]。 晩年は、実兄の青山惠一からの依頼で、市松人形などの写真撮影も手掛けた[3]。 1995年(平成7年)3月13日、45歳で没する[3]。最期の願いは「もう1冊写真集を出すこと」であり、そのタイトルを「ひびのあわ」と告げて息を引き取った[2]。これはボリス・ヴィアンの小説『日々の泡』のことであり、またロックバンド「メモリアンス」の曲名でもある[2]。 写真集
脚注参考文献
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