須崎昇
須崎 昇(すざき のぼる、1952年1月2日 - )は、北海道出身の元騎手。 来歴1975年3月に栗東・久保道雄厩舎からデビューし、同1日の阪神第4競走4歳300万下・ブルーウエスト(7頭中2着)で初騎乗を果たすと、30日の阪神第4競走障害5歳以上未勝利・リュウパーシャンで初勝利を挙げる[1]。5月18日の京都第2競走4歳未勝利・ニシノミナトで平地初勝利[2]、10月25日・26日の京都で初の2日連続勝利[3]を挙げるなど、1年目の同年は9勝[4]をマーク。 3年目の1977年には4月2日の小倉で初の1日2勝[5]を挙げるなど初の2桁で自己最多の20勝をマークし、1979年まで3年連続2桁勝利を記録[4]。 1978年からはアローエクスプレス産駒アグネスプレスの主戦騎手として活躍し[6]、同年の愛知杯でハシコトブキの2着[6]に入ると、明けて1979年の小倉大賞典ではリードスワローを抑えて人馬共に重賞初勝利[6] [7]を挙げる。スワンステークスではエリモジョージ・ホクトボーイの天皇賞馬2頭を抑えて1番人気に支持されたが、同厩ホクトボーイの2着に終わった[8]。1980年には小倉で行われたスワンステークスを制して重賞2勝目[6] [7]を挙げ、マイラーズカップではニチドウアラシとアタマ差2着[9]に入った。 1984年には雪でダートに変更された中日新聞杯ではリュウボーイでアスコットエイトに大差2着[10] [11]、同様の条件になった京都牝馬特別ではミホクイーンで3着[12]に入る。8月の函館ではタニノブーケの新馬2戦に騎乗し[13]、折り返しの2戦目で後にメジロドーベルの母となるメジロビューティー[14]にクビ差勝利[15]するなど、4年ぶりの2桁勝利となる11勝[4]をマーク。 1985年には開業1年目の太宰義人厩舎に移籍して自身初の0勝に終わったが、1986年は7勝、1987年は3年ぶりで最後の2桁勝利となる10勝をマーク[4]。 1989年には秋だけで4勝[16]、1990年には春3勝・秋4勝の計7勝[17]と勝ち星の全てを福島戦で挙げた。 1991年からはフリーとなり、4月20日の新潟第第4競走4歳未出走では14頭中12番人気のパリスハーリーでケイエスミラクルに勝利[18]。11月30日の阪神第3競走3歳新馬をキョウエイボーガンで逃げ切ったのが最後の勝利となり、明けて1992年1月18日の京都第7競走4歳以上500万下・ユタカマル(16頭中10着)を最後に引退[19]。 騎手成績
脚注
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