風返稲荷山古墳
風返稲荷山古墳(かざかえしいなりやまこふん)は、茨城県かすみがうら市安食にある古墳。形状は前方後円墳。風返古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。出土品は国の重要文化財に指定されている。 概要茨城県中部、霞ヶ浦に突き出す通称「出島半島」の北部、霞ヶ浦と菱木川に挟まれた台地上に築造された古墳である[1]。一帯では前方後円墳1基(稲荷山古墳)・帆立貝形古墳1基・円墳25基・方墳1基・不明6基の古墳計34基からなる風返古墳群が分布し、本古墳はその盟主墳になる[2]。1964年(昭和39年)に発掘調査が、1999年(平成11年)に測量調査が実施されている[2]。 墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。埋葬施設は後円部における横穴式石室、くびれ部における箱式石棺であり、横穴式石室内には箱式石棺3基が据えられる。両施設の調査では、装飾付大刀(頭椎大刀・円頭大刀)・馬具2組・須恵器など多数の副葬品が検出されている。 築造時期は、古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀初頭頃と推定され[3]、複数回の追葬が認められる。東国では最終段階の前方後円墳である点、豊富な副葬品の出土の点で注目され、当時の首長層を考察するうえで重要視される古墳になる。 出土品は2023年(令和5年)に国の重要文化財に指定されている。 遺跡歴
墳丘
埋葬施設埋葬施設としては、後円部において横穴式石室が、くびれ部において箱式石棺が構築されている。 後円部の横穴式石室は、南東方向に開口する。後室・前室・羨道・前庭部から構成される複室構造の石室であり、全長は9.12メートルを測る。石室の石材は雲母片岩の大石。後室には奥壁に沿って奥箱式石棺、側壁に沿って東箱式石棺・西箱式石棺の3基が据えられる。奥石棺からは金銅製耳環、東石棺からは頭椎大刀・円頭大刀・銀装刀子など、西石棺からは金銅製耳環など、前室からは鉄製武器・銅鋺・馬具・須恵器などが検出されている。石棺の構築順序は奥石棺→東石棺→西石棺と想定される[2][1]。 くびれ部の箱式石棺は、墳丘主軸と平行する東西方向に構築され、長辺約1.9メートル・短辺約0.9メートルを測る。石棺の石材は雲母片岩で、天井石・床石は各3枚、側石は各1枚である。石棺内からは円頭大刀・金銅製耳環・ガラス玉が、北西約1メートルの地点からは馬具一式(布で包み木箱内に収納か)が検出されている[2][1]。 出土品横穴式石室・箱式石棺の発掘調査で検出された副葬品は次の通り[2][1]。
文化財重要文化財(国指定)関連施設
脚注参考文献(記事執筆に使用した文献)
関連文献(記事執筆に使用していない関連文献)
関連項目外部リンク
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