1983年のイギリス・フォーミュラ3選手権
1983年のイギリス・フォーミュラ3選手権は、3月6日のシルバーストーンで始まり 、10月23日のスラクストンで完結するシーズン。 イギリス・フォーミュラ3選手権の33年目のシーズンである。 概要ヨーロッパF3との合同レースを含む合計20戦で争われた。タイトルを獲得したのは、昨年スポット参戦し、イギリス・フォーミュラ・フォードからステップアップのアイルトン・セナ。特にセナは開幕から9戦連続で優勝した。ところが、シーズン中盤にマーティン・ブランドルがセナとのポイント差を詰め、一時ランキングトップとなった。最後まで熾烈なチャンピオン争いを繰り広げたが、再びセナが再逆転する形で決着した。3位は、優勝こそ無いものの、コンスタントに上位に着けた、96年のル・マン勝者のデイビー・ジョーンズであった。 同年は、後に様々なカテゴリーで活躍することになるドライバーが多数参戦し、5位のアレン・バーグと11位のジョニー・ダンフリーズも後にF1にステップアップすることになるドライバーであり、この二人は、翌年のイギリスF3でチャンピオン争いを繰り広げた。6位のマリオ・ヒッテンも国際F3000やル・マン24時間で活躍したドライバーであり、7位のデイビッド・レズリーは、ル・マン24時間に参戦した他、イギリスツーリングカー選手権 (BTCC)で活躍したドライバーであった。4位のキャルヴァン・フィッシュも、前年までイギリス・フォーミュラ・フォードに参戦していたドライバーであり、セナやブランドルと競いあったドライバーであった。 同年初めてF3マシンで争われることになった、1983年のマカオグランプリにも、セナ、ブランドル、ジョーンズ、バーグ、ヒッテン、12位のデイビッド・ハントが参戦し、セナがF3レース初の総合優勝ドライバーとなった。 レースカレンダーと結果チャンピオンシップ順位表
^2 このレースのみヨーロッパ選手権であり、イギリスF3のドライバーは、ポイントを獲得するために、規制エイボンラーバーを使用しなければならなかった.[2]。また、ブランドルもこのレースでヨーロッパ使用のタイヤを使用した為、ポイントを獲得することができなかった。同レースの最大ポイントは、アレン・バーグが獲得した[3]。
脚注
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