1985年ガリシア自治州議会選挙
1985年ガリシア自治州議会選挙は1985年11月24日にガリシア自治州で実施された第2回ガリシア自治州議会議員を選出、ならびに州首相および州政府を選択する選挙である。有権者数2,226,449人、そのうち投票したものが1,277,897(57.4%)、棄権が948,552(42.6%)、そして白票8,627(0.7%)であった。結果は国民連合(CP)が比較第一党で勝利、パブロ・ゴンサーレス・マリーニャスを筆頭とするガリシア同盟(CG)の議員のうち5人が院内会派混合グループ(Grupo Mixto)に加わったことによって引き起こされた党分裂による、首相指名投票での棄権によって、引き続き国民連合のヘラルド・フェルナンデス・アルボールが自治州政府首相を務めることとなった。1986年これらのCG離脱議員たちはガリシア民族主義党(PNG)を結党した。また、同年国民民主党(PDP)が、そして翌1987年には自由党が院内会派国民グループ(Grupo Popular)にはとどまり続けたものの、国民連合からは離脱した。 1986年10月自治州政府の副首相(es)ショセ・ルイス・バレイロは罷免され、国民同盟から放逐された。そして翌1987年ガリシア同盟に参加することになる自身の党ガリシア民主連合(Unión Democrática Galega、UDG)を他の4人の議員と結成した。7月ガリシア同盟所属の1議員が同党を離党し、国民グループ会派に加入した。 この政治勢力図の変化によって、1987年11月に州首相ヘラルド・フェルナンデス・アルボールの不信任案が可決され、ガリシア社会党のフェルナンド・ゴンサーレス・ラシェが同党のほかCG-UDG、PNG、PSG-EGの賛成、BNGの棄権、反対はAPのみという結果で州首相に選出された。 1988年ガリシア民族主義党(PNG)とガリシア主義民族主義党(PNG)は合同し、ガリシア民族主義党=ガリシア主義党(PNG-PG)が誕生、2月には国民民主党のリーダーアレハンドロ・フェルナンデスが国民グループ会派を離脱、ガリシア同盟に移った。最終的に1988年から1989年の間にガリシア社会主義者党の2議員とガリシア民族主義党=ガリシア主義党の2議員が混合グループ会派に移った 選挙結果
出典:Argos(Subdirección de Análisis y Políticas Públicas de la Presidencia de la Generalitat)[1](2012年6月10日閲覧)。 脚注 |
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