2006年自由民主党総裁選挙
2006年自由民主党総裁選挙(2006ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、2006年9月20日に行われた日本の自由民主党の党首である総裁の選挙である。 概要自由民主党総裁(首相)・小泉純一郎の任期満了に伴う総裁選挙である。小泉は、当選挙の1年以上前から「2006年の任期満了をもって総理総裁を退任する」と公言しており(発言当時は小泉は総裁2期目であり、自民党総裁選は当時3選連続出馬はできなかった)、2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙で自民党を圧勝に導いたあと首班指名され、郵政関連法案が可決されるまでのつなぎ内閣として第2次小泉改造内閣の閣僚を全員再任した第3次小泉内閣が発足した。そして約1ヶ月後の10月31日、自身にとって最後の内閣である、第3次小泉改造内閣を組閣した。その時から、ポスト小泉人事がメディア等で取りざたされるようになる。 2006年3月末、小泉内閣は「多様な機会のある社会推進会議(通称:再チャレンジ推進会議)」を設置。同会議の議長には安倍晋三が就任した[1][2]。同年5月15日、谷垣禎一は派閥の会合で、「宏池会は何代も首相を生んできた。私も、私のグループもきちんとした責任を果たす覚悟を新たにしている」と述べ、出馬に前向きな姿勢を示した。5月24日、安倍は講演で、「官房長官の職責をしっかりと務めていくことによって、おのずと道が決まってくる」と出馬への意欲を示した。 同年6月2日、議員連盟「再チャレンジ支援議員連盟」が発足。同連盟は前述の再チャレンジ推進会議から名がとられ、実質的に安倍を支援するための団体として組織された[3][4][5]。6月14日、山崎拓は都内での講演で、総裁選への去就が注目された福田康夫について、「『おれがやる』と手を挙げてしかるべきだ」と述べ、福田に出馬表明の決断を促した。7月4日、麻生太郎は講演で、「国会議員20人の推薦が集まったら出させていただく」と述べた[6]。 こうして有力候補として麻生、谷垣、福田、安倍の4名の名前が挙がり、「麻垣康三」という4名の苗字名前から1字ずつ取った言葉が森喜朗に名づけられ、以降頻繁に用いられた。 当初から当時内閣官房長官を務めていた安倍が有力とみられており、対抗に福田が位置づけられた。安倍と福田は同じ森派出身であり、その森派はかつて安倍・福田の父親が領袖である派閥であったことも注目され、安倍と福田が立候補をすれば安福戦争となり、第一派閥である森派分裂も予想された。しかし、7月21日に福田が不出馬を宣言[6]。福田支持の陣営からは失望の声が上がり、雪崩的に安倍支持となった。 同年8月21日、麻生は正式に出馬表明[7]。 同年9月1日、安倍は正式に出馬表明[8]。安倍陣営は「美しい国、日本。安倍晋三」という垂れ幕を街宣時に掲げた。垂れ幕の下部には「再チャレンジ支援議員連盟キャラバン隊」と記されていた。 同年9月7日、河野太郎が20人の推薦人を確保できなかったとして、出馬断念記者会見を行った[9]。 同年9月8日、総裁選告示。9月20日、総裁選実施。安倍の圧勝に終わった。 選挙の開票結果
立候補者
推薦人一覧
日程
その他
脚注
関連項目外部リンク
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