2011年イギリス暴動
2011年イギリス暴動(2011ねんイギリスぼうどう、英: 2011 England riots)は、2011年のイギリスで発生した暴動である[9]。全国規模に発展したこの暴動において合計5名死亡、8月13日までに暴動・放火・略奪の容疑で1600人以上が逮捕され[10]、8月25日までの逮捕者は2000人を超えた[11]。暴動による経済的損失は、保険会社の損失のみでも8月11日時点において2億ポンド(250億円)以上と推定されている[12][13]。 概要イギリスのロンドン北部にあるトッテナムにて黒人男性が警察官に射殺されたことをきっかけに、2011年8月6日より発生した暴動。暴動はトッテナムや首都ロンドンのみならずバーミンガム、マンチェスター、リヴァプール、 ノッティンガム、ブリストルなどイギリス各地の都市へ拡大した。暴動に関与していた大半の層は低所得階級の家庭で育った『チャヴ』と呼ばれる無職の若者達だったが、貧困層とは無関係のロンドン五輪のボランティアやバレリーナ、 教師や大富豪の令嬢、11歳の少女等の10代から40代までの様々な層も含まれていた。(逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満) スマートフォンから利用するFacebookやTwitterのSNSが暴力を拡大させている[14]。また、ストリートギャングが暴動を扇動しているともされる。 経過
裁判暴動を巡っては、その後約1300人が裁判所に出廷。裁判官は量刑ガイドラインにこだわらずに判決を下すよう助言を受けているとされ、ボトル入りの水をスーパーから盗んだ学生には禁錮6カ月が下された。 チェシャー州在住の20歳と22歳の男にはフェイスブックで暴動をあおったとして、禁錮4年の実刑判決を言い渡した。 罪に問われた子供の裁判を欠席する親も多く、英紙の多くは「貧困、失業、消費主義の問題を越えている。英社会は善悪の規範、倫理観、責任感を失った」と解説する。 ソーシャルメディアによる犯罪助長と対策、反応ロンドンの暴動、参加者は暴動の組織化に匿名性の高いBlackBerryの無料のメッセージ機能「BBM(BlackBerry Messenger)」が多く使われた。BBMは無料で一度に多数のユーザーに送信でき、データが暗号化されるため、当局が追跡できないことから、暴動に参加した若者に多く利用されていたという。 英国のデビッド・キャメロン首相は臨時召集された下院での声明の中で暴動の計画に利用されているとして、各種のSNSの遮断を検討していると発表。軍に協力を要請することも検討。首相は情報の自由な流れは良い事にも使われるが、悪い事にも使われるとし、「ソーシャルメディアが暴力のために利用されるなら、われわれはそれを阻止しなければならない。従って、われわれは現在、警察および情報局、企業らと協力し、暴力の計画に悪用されているWebサイトやサービスの利用を遮断することが正しいかどうかを検討している」と語った。 英警察はTwitterなどのソーシャルメディアが暴動を組織化するのに使われていると批判した。オンラインで暴力行為をあおったとして、Facebook、Twitterユーザーを調査を開始。 BlackBerryの販売元リサーチ・イン・モーションはこれに関して「当局と協力してあらゆる支援をしている」とのコメントを発表。だがこれに反発したグループが、BlackBerryの公式ブログを改竄するという報復行為に出た。 Facebookページでは、暴動後のクリーンアップ運動を呼びかけるページも開設されている 英警察は路上監視ビデオの映像から暴徒の特定を進めており、容疑者の写真を写真共有サービスFlickrで公開した。監視カメラに写った人物の写真の公開により、身元特定に役立つ情報を提供する機会をできるだけ多く市民に提供するとしている。 一般のネット市民が立ち上げたウェブサイトでは暴徒たちをアップ撮影した写真を特定し、匿名で犯罪通報するシステムが運営された。ただ、こうした顔認識技術の使用には違法性も指摘されており、ネット情報の不正確さと誤認による名誉毀損、私的制裁によるさらなる犯罪発生も懸念された。 YouTube上でもマレーシア人学生の強盗に遭遇する瞬間を捉えた動画[27]などが投稿された。 各メディア・世論の反応
死者5人、2億ポンド(約250億円)の被害を出した英国の暴動は2012年夏のロンドン五輪の開催も危ぶまれた。 ロシア連邦会議国際問題委員会、ミハイル・マルゲロフ委員長は、イギリス各地で発生しているような暴動は多文化共存政策の失敗であり危険性はほかのヨーロッパ各国でも繰り返される恐れがあると懸念した。 波及した地域・都市脚注
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