2012年のアメリカンリーグワイルドカードゲーム
2012年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月5日に開幕した。アメリカンリーグの第1回ワイルドカードゲーム(英語: Inaugural American League Wild Card Game)は同日、アメリカ合衆国テキサス州アーリントンのレンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンで行われ、ボルチモア・オリオールズがテキサス・レンジャーズを5-1で下した。この結果、オリオールズが地区シリーズへ進出することになった。 両チームの2012年→「2012年のメジャーリーグベースボール」も参照
レンジャーズはこの年、4月と6月に7連勝以上を記録するなど好調で、前半戦終了時点では地区2位ロサンゼルス・エンゼルスと4.0ゲーム差の首位にいた。しかし、その時点では9.0ゲーム差の3位だったオークランド・アスレチックスが、後半戦になって勢いを増して2位に浮上し、レンジャーズを追いかけるようになった。後半戦の勝率はレンジャーズの.539に対しアスレチックスは.671と差があり、ゲーム差もだんだん縮まっていった。10月1日からのレギュラーシーズン最終3連戦では2.0ゲーム差の両者が直接対決し、アスレチックスが3連勝を果たした。これによりレンジャーズは、4月9日から守り続けていた地区首位の座から最後に転落した[4]。故障した先発投手の穴埋めがうまくいかず、野手も控えの層が薄いぶんレギュラーに頼りきりになったことが、終盤にスタミナ切れを起こす要因になった[5]。1試合平均得点は4.99でリーグ1位、防御率は3.99で同7位。 オリオールズは前年まで4年連続の地区最下位だったが、2012年は躍進した。前半戦終了時点では、地区首位ニューヨーク・ヤンキースから7.0ゲーム差の2位だった。後半戦に入ると、7月中旬に10.0まで広げられたゲーム差をその後は徐々に詰めていき、9月上旬には首位に並んだ。それから1か月、オリオールズは単独首位にこそなれなかったものの、常に2.0ゲーム差以内の位置につけてヤンキースを追いかけた。10月3日のレギュラーシーズン最終日は、オリオールズが勝ってヤンキースが負ければ2チームが並びワンゲームプレイオフ開催、という状況になった。しかしオリオールズはタンパベイ・レイズに敗れ、地区優勝を逃すと同時に第2ワイルドカードにまわった[6]。この年は救援投手陣が要所で力を発揮し、7回終了時点でリードしていた試合は75勝0敗、1点差試合は29勝9敗など好成績を収めた[7]。1試合平均得点は4.40でリーグ8位、防御率は3.90で同6位。 両チームはこの年、レギュラーシーズンでは計7試合を戦っている。結果は以下の通り[8]。
ロースター両チームの出場選手登録(ロースター)は以下の通り。
試合
この試合の先発投手は、レンジャーズはダルビッシュ有、オリオールズはジョー・ソーンダース。レギュラーシーズンでの成績は、ダルビッシュが29試合191.1イニングで16勝9敗・防御率3.90、ソーンダースが28試合174.2イニングで9勝13敗・防御率4.07である。 ![]() 試合は初回から動く。表のオリオールズの攻撃では、先頭打者ネイト・マクラウスが初球の外角高めカッターを引っ張り、一塁手マイケル・ヤングのグラブを弾く失策で出塁する。そして次打者J.J.ハーディの打席で2球目にマクラウスが盗塁を決めると、その次の球をハーディが中前へ運んでマクラウスを還し、試合開始からわずか4球で先制点を奪った。ダルビッシュは続く打線の中軸3人を凡退させて1失点にとどめたが、立ち上がりから相手にリードを許した。レンジャーズはその裏すぐに反撃し、1番イアン・キンズラーの四球と2番エルビス・アンドラスの左前打で無死一・三塁の好機を作る。オリオールズはこの時点で早くも救援右腕スティーブ・ジョンソンに登板準備を始めさせた[9]。しかしソーンダースは、3番ジョシュ・ハミルトンに初球の外角低めカーブを引っ掛けさせて二ゴロ併殺に仕留め、その間にキンズラーの生還こそ許したものの、こちらも1失点のみで危機を乗り切った。 2回表、ダルビッシュは7番マーク・レイノルズの手に死球をぶつけ、二死から盗塁を許して再び得点圏に走者を背負う。だがその次の球で9番マニー・マチャドを一ゴロに打ち取り、2イニング連続の失点を免れた。ここから5回にかけては両チームとも無得点で、1-1のまま試合が進んでいく。ダルビッシュは「今夜はすごく調子がよかった。投げたいところに投げられて試合が作れた」と自ら認めるように[10]、5イニングで許した安打が2本のみとオリオールズ打線を沈黙させる。対するソーンダースは、4回裏には一死から連打で一・三塁とされるが後続を断ち、3回と5回にも走者を出した直後の打者を併殺打に仕留めて、レンジャーズに勝ち越し点を挙げさせない。彼はレンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンで過去に6先発して防御率9.38と相性が悪く[9]、さらに左腕の彼に対し相手打線が右打者を8人並べてくるという状況ながら[11]、この日は5回まで1失点で踏ん張っていた。 この均衡が破れたのは6回表だった。オリオールズは先頭の2番ハーディと3番クリス・デービスが連続右前打で無死一・三塁の好機を作る。ここで4番アダム・ジョーンズは、初球の内角低めスライダーを右翼ウォーニングゾーンの手前まで運ぶ犠牲フライにし、三塁走者ハーディを生還させた。この直後、ダルビッシュが右僧帽筋の張りを訴えたため、試合が一時中断することに[10]。再開後、続投したダルビッシュの前にオリオールズはさらなる追加点こそ奪えなかったが、この回1点の勝ち越しに成功した。その裏、ソーンダースが3番ハミルトンと4番エイドリアン・ベルトレを打ち取り、二死無走者となったところでオリオールズは継投に入り、2番手のダレン・オデイが5番ネルソン・クルーズから3つ目のアウトをとった。7回表、オリオールズは二死二塁としてダルビッシュを降板に追い込み、2番手デレク・ホランドから1番マクラウスが適時打を放って、リードを2点に広げた。オデイはイニングをまたいで7回裏も三者凡退に抑えた。 ![]() レンジャーズは8回表、3番デービスから始まるオリオールズの中軸を上原浩治が3者連続の空振り三振に退けた。その裏、打線は1番キンズラーの内野安打とオデイの牽制悪送球で一死二塁とする。しかし2番アンドラスは遊ゴロで、走者を進めることもできず。3番ハミルトンは、オデイのあとを引き継いだ左腕ブライアン・マティスに3球三振を喫し、好機が潰えた。この日のハミルトンは初球に手を出しての凡打と3球三振がふたつずつの4打数無安打で、打席を終えてダグアウトに戻る際にはファンからブーイングを浴びた[12]。逆に危機を切り抜けたオリオールズは9回表、相手の抑え投手ジョー・ネイサンを攻め立て、一死二・三塁から9番マチャドの左前打と1番マクラウスの犠牲フライで2点を加えて突き放した。その裏、オリオールズも抑え投手のジム・ジョンソンをマウンドに送る。レンジャーズは彼から二死満塁と、本塁打が出れば一挙同点という場面を作り上げたが、最後は9番デビッド・マーフィーが左飛に倒れて試合終了となった。 オリオールズは1997年のリーグ優勝決定戦以来15年ぶりとなるポストシーズンで、まずは敵地での最初の関門を突破した。続く地区シリーズでは、ニューヨーク・ヤンキースと対戦する。オリオールズとヤンキースは、同じ東地区でレギュラーシーズン最終戦までしのぎを削った。この試合で決勝の犠牲フライを放ったジョーンズは「ヤンキースは万全の状態でくるだろう。なんてったってヤンキースだからね」と気を引き締めつつも「彼らを恐れてはいない」と自信も覗かせた[13]。一方のレンジャーズは、2010年・2011年と過去2年はいずれもワールドシリーズで敗れていた。この年は球団初の優勝を目指していたが、結果はシリーズ進出すらかなわずにシーズンを終えることになった。敗戦投手となったダルビッシュは、このタイミングでのシーズン終了を「マラソンを走れと言われて走って、30キロ地点で『さあスパート』というところで止められたみたいな感じ」と表現した[14]。 脚注
外部リンク
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