39アートin向島
39アートin向島(サンキューアートインむこうじま)は、東京都墨田区向島で2010年から始まった、サンキューアートの日に地域で参加しているアートプロジェクト。 概要墨田区向島に暮らしながら活動をしている人々の企画を紹介するネットワークプロジェクトを主な企画として運営しているアートプロジェクト。2015年には現代アーティストのタノタイガを招聘。向島から導き出された素材やテーマで作品を作るプロジェクトも展開。最大で約40もの地域の企画が参加した。[1]。運営は実行委員会形式で行われており、実行委員メンバーは5名。地域で活動する人々が参加している。 39アートin向島における「向島」墨田区の北側、東京スカイツリーで話題の押上駅からひとつ隣、曳舟駅界隈をまとめて「向島」と呼んでいる。駅周辺の高層マンションや大型スーパーから少し離れると、狭い路地に住宅、町工場、商店街や銭湯、そこに紛れてカフェやギャラリー、アトリエなどが増えているエリア[1][2]。 開催年と内容39アートin向島2013ロゴアーティスト樋口裕一(スミカ造形美術)によるデザイン。 参加企画東向島珈琲店で行われた東條カンナ個展「カンナのせかいのはじまり。」は保育園で描きためた絵を地域のクリエーターが展示まで昇華させたものである。絵がそのまま展示されるだけでなく、絵をもとに活版印刷の手法を用いたポストカード制作、トンボ玉(ガラス造形)のアクセサリー制作やぬいぐるみ制作などが行われた。[3](また近隣の個人宅では、この展示のパロディー企画が行われていた。) また、へびのあし/ガラスのアトラスでは様々な派生企画が生まれた。その中でも「オールナイト・ズッポン!」という企画はアーティストの図師雅人が夜の21時から朝の9時まで12時間話し続けるというトークイベントで、USTREAMでの配信が夜通し行われていた。しかし早朝に、トークの相手である企画者の佐藤史治が寝てしまうというハプニングが発生した。[4]。 ■参加企画 / 企画名
■開催された場所 39アートin向島2014ロゴ![]() デザイナーの古山菜摘とアートディレクターの山内敦史によるロゴ。参加企画にまつわるキーワードから要素を抽出し、向島を表すデザインとなった。 参加企画向島の様々な場所で10の企画が進行した。[5] アーティストや学生、研究者など様々な活動を行うメンバーが集うスペース「あおば荘」では演劇やアーティスト佐藤史治による個展[6]が開催された。[5] 「八広地域プラザ 吾嬬の里」という地元の住民が活用する公共施設でドンツキ協会が謝罪会見を行うなどした。[5] また築50年の元・町工場の一軒家をセルフリノベーションした住居兼アートスペース[7]「yahiro8」ではパフォーマーと観客がひとつの鍋を囲む「芸とスープ」が開催された。[5] 鳩の街通り商店街では心理ゲーム「人鳩 -JINBATO-」が青空の下で開催された。[5] 39アートin向島2015ロゴ![]() デザイナー古山菜摘によるデザイン。この年に参加した39の企画を示すイラストで構成される[1]。 参加企画実行委員が主催する企画を含め、全体で39企画ものイベントが行われた。39アートだから39企画、というわけではなく偶然39という数字になった。主な企画としては、行き止まりの調査研究を行う団体であるドンツキ協会によるドンツキ研究室(ラボ)玉ノ井部会や、現代美術の作家佐藤史治・鳴海テヨナ・原口寛子・三原回によるシェアアトリエドマトトコのオープンスタジオなどが開催された。 ■企画者/企画名
■開催された場所 招聘アーティスト6回目となる39アートin向島2015では、例年行っている地域の企画の集合体「ネットワークプロジェクト」の他に、初めてアーティストを招聘して展覧会を開催。招聘アーティストであるタノタイガは、ステージとなる墨田区を数ヶ月に渡り歩き回り、作品を制作した[8]。 声を聞く(仮) / タノタイガ
アーティストプロフィール東京生まれ、仙台育ち。立体造形、映像、パフォーマンス等、多様な表現手法によって、記号性と媒体性を誇張した風刺的表現を行う。ときには、作者自身を媒体化し、日常に埋もれた社会や集団の倫理性を表出させ、作品の中にはユーモアと毒を兼ね備える。東日本大震災では自身のブログやツイッターを通じボランティアを募り「タノンティア」と称してボランティア活動を行う[8]。 39アートin向島2016過去6年を振り返るトークイベント「39アート in 向島 7年目のトーク ~これからの地域とアートの関係~(向島版!)」[9]を実施。現代美術製作所のディレクター曽我高明とアーティスト中崎透、じゃぽにか、中里洋平、下平千夏をまじえたクロストークなどを行った。会場となったアサヒアートスクエアはこの年にクローズが決まっており、閉館イベントの一環として行われていた。また、例年行っていた「ネットワークプロジェクト」や2015年に行った招聘アーティストによる現代美術の展示は行われなかった。 出典
外部リンク
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