EtSETOra
etSETOra(エトセトラ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が広島駅 - 福山駅間を呉線・山陽本線経由で運行する臨時快速列車(観光列車)である。 本項では、前身である瀬戸内マリンビュー(せとうちマリンビュー)、ならびに呉線で運転されていた優等列車・観光列車の沿革についても記述する。 概要2020年10月から12月に開催される「せとうち広島デスティネーションキャンペーン」に合わせて、「瀬戸内マリンビュー」の車両を改造し[1]運行することが2019年7月17日に発表され[2]、10月16日に列車名「etSETOra」が決定[3]、2020年7月10日に運行の概要やロゴマークが決定した[4]。 列車名の「etSETOra」は、ラテン語で「その他、いろいろ」の意味を持つ「エトセトラ」、また、広島弁で「たくさん」の意味を持つ「えっと」、さらに「瀬戸内」の魅力を感じる列車であることから名づけられた[4]。 運行概況原則として金曜日・土曜日・日曜日・月曜日に運行されている[5][6]。 1往復の運転で、それぞれで車内サービスの内容が大きく異なっており、上下とも同じ区間・停車駅であり、ワンマン運転を行なっている[7]。そのため車内での指定席券の販売はなく、事前に購入するように呼びかけている[7]。 停車駅広島駅 - 呉駅 - 安芸津駅 - 竹原駅 - 忠海駅 - 三原駅 - 尾道駅 - 福山駅 使用車両・編成
全車指定席グリーン車[8]。2両編成の専用車両(キロ47形7000番台)が使用されている。後述の「瀬戸内マリンビュー」用車両を再改造したもの[1]で、 外装は、瀬戸内海の「青」と、海岸線から見える波の「白」をイメージしている[8]。車内のモケットは、1号車が厳島の紅葉をイメージした赤、2号車が瀬戸内の山の新緑をイメージした緑で表している。 内装は、沿線の瀬戸内海の海岸美に配慮し窓枠を大型化したほか、海側に向いた座席が配置されている。再改造に当たっては、座席に関してはほぼ無改造だった2号車も対面式の大型テーブル付きボックスシートおよび海側に向いたカウンター席が整備された。 車内サービス販売カウンターが設置されており、沿線の品々やグッズが販売されている(下りのみ)。 また、インターネットによる事前予約でスイーツやコーヒーなどのサービスを受けることができ、上りと下りでメニューが異なる。また下りでは1号車にあるバーで瀬戸内のカクテルや東広島の日本酒といった酒類が提供される。 このほか車内販売が実施されており、フルーツなどを販売している[8][9]。 瀬戸内マリンビュー
瀬戸内マリンビュー(せとうちマリンビュー)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が広島駅 - 三原駅間を山陽本線・呉線経由で運転していた快速列車(臨時列車)である。 本項では、派生列車である清盛マリンビュー(きよもりマリンビュー)、ならびに呉線で運転されていた優等列車・観光列車の沿革についても記述する。 概要2005年に広島県の大型観光キャンペーンにより、3月 - 8月の休日を中心に「スーパーサルーンゆめじ」を使用して、快速「瀬戸内おさんぽ号」が運転された。その後同年10月1日から観光列車として快速「瀬戸内マリンビュー」が運転されている。 2019年12月22日に運行を終了し、車両改造を行い後身の新たな観光列車として全車グリーン車のetSETOra(エトセトラ)が2020年10月3日より運行を開始した[10][11][9]。 運行概況運行終了時点で、臨時列車として土曜・休日のみ1日1往復運行されていた。主として単線区間を定期列車の合間を縫って運行するため、通過駅であっても運転停車する場合がある。2011年3月11日までは毎日2往復で、1号が広島駅から三原駅まで運行、その後2・3号として三原駅 - 呉駅間を1往復し、最後に4号として広島駅に戻ってくる形で運行されていた。また、2017年2月26日までは列車号数が付与されており、「瀬戸内マリンビュー○号」として運行されていた。一般的に下り列車は奇数、上り列車が偶数であるが、当列車は広島駅を基準としているため、下りが偶数、上りが奇数に設定されていた(2012年の「清盛マリンビュー」運行に際しても、宮島口駅発が下りとなっていた)。 大河ドラマ「平清盛」の連動企画として、2012年1月7日から2013年1月14日までの土曜・休日ダイヤにおいて宮島口駅 - 広島駅間で延長運転を行い、「清盛マリンビュー」として運転されていた[12]。列車のヘッドマークに「大河ドラマ『平清盛』広島県推進協議会」のキャラクター「ひろしま清盛」のイラストを用いるなどの意匠変更が行われている[13]。ドラマと関連イベントの終了に伴いタイアップも終了した。 2020年に広島県で行われるディスティネーションキャンペーンのプレDCに合わせて、2019年10月から運行終了日まで運行区間を尾道駅まで延長して運行していた[14]。
停車駅(宮島口駅 -)広島駅 - 呉駅 - 広駅 - 安芸川尻駅 - 安浦駅 - 安芸津駅 - 竹原駅 - 忠海駅 - 三原駅(- 尾道駅)
2006年3月18日から2011年3月11日までは、広駅 - 三原駅間は各駅に停車していた[注 2]が、2011年3月12日のダイヤ改正で、2005年10月の運転開始当初と同じ快速運転に戻された[15]。 使用車両・編成
キハ47形気動車を当列車専用に改造したキハ47形7000番台を使用して2両編成で運転されており、1号車は指定席、2号車は自由席となっている。
観光案内三原駅・竹原駅などのホームには、当列車の停車駅が赤丸表示で強調された観光案内板がある。また、2010年7月以降の毎月第2・第4土曜日は、1号のみであるが、車内で観光ボランティアによる観光案内が行われていた[16]。 呉線優等列車概略宮島1956年に運転を開始した準急がそのルーツで、京都駅 - 岡山駅間で宇野駅発着の列車(のちの「鷲羽」)と併結運転していた。1958年に急行化された際に「宮島」と命名されるとともに、宇野駅発着編成との併結運転が伯備線経由の急行「だいせん」との併結運転に変更された。1961年に気動車化、1962年に電車化され東京駅 - 広島駅間の急行列車として2往復が運転されるようになり、呉線経由から山陽本線経由に変更された。この時点で「宮島」は急行形電車の定期列車としては日本最長の運転距離 (894.8km) となり、以後この記録は破られることはなかった。 しかし、東海道新幹線と山陽新幹線の開業によって運転区間は徐々に短縮され、呉線の電化にともなって再び呉線経由の急行列車として最終的には新大阪駅 - 広島駅間で運転されたが、1972年3月に廃止され、「安芸」に統合された。 安芸呉線を経由する東京駅発着の急行列車は1935年の呉線全通時に山陽本線経由から変更された急行7・8列車[注 3]にさかのぼるが、その後戦時中に改廃を経て呉線経由の急行列車自体が廃止となり、「安芸」の直接の前身は、戦後の1949年に東京駅 - 姫路駅間で運転を開始した急行43・42列車である。同列車はその後岡山駅まで運転区間を延長、さらに1950年5月には運転区間が東京駅 - 広島駅間、列車番号も急行23・24列車に変更され、同年の11月には39・40列車に変更の上「安芸」と名付けられた。しかし、5月の広島駅乗り入れ開始に際して広島鉄道局が公募の上「ひばり」という列車名を与えており、国鉄本社から「安芸」と正式に名付けられるまでは、広島や関西地区で一部の時刻表に使用[17]されたりしていた。 運転を始めた時点では二等・三等の座席車と荷物車で編成された「安芸」も、1954年に二等寝台車、1956年には三等寝台車、1958年からは食堂車を連結、「宮島」が山陽本線経由の電車列車化された1962年10月以降は座席車を減らして寝台列車となり、東京と呉・広島地区を直通する夜行急行列車として編成を充実させていった[17]。また、山陽本線の電化後も呉線が非電化であったことから糸崎駅 - 広島駅間は蒸気機関車が牽引し、さらに1968年末からは宮島を描いたヘッドマークが機関車に掲げられSLブームを盛り上げる形にもなったが[18]、呉線も1970年には電化された[注 4]ことにより、東京駅 - 広島駅間の直通列車としての「安芸」は廃止 、山陽本線経由の特急「あさかぜ」増発という形で振り替えられ[19]、新大阪駅 - 三原駅間で運転されていた急行「とも」の1往復が呉駅まで運転区間を延長した列車を「安芸」として赤穂線経由で運転されるようになった。 山陽新幹線の岡山駅開業に伴うダイヤ改正では、呉線経由の電車急行は「安芸」に統一されて岡山駅 - 広島駅間の運転に変更され、新幹線連絡急行として3往復運転された。山陽新幹線博多駅開業に伴うダイヤ改正では、呉線経由の急行「安芸」が廃止される代わりに新大阪駅 - 下関駅間の夜行急行「音戸」の1往復を特急「安芸」としてその名称を引き継いたが、山陽新幹線開業で沿線の乗客が移行しただけでなく広島県内での運転時間帯などの都合[注 5]からも最繁忙期以外は空席が目立つほど利用が低迷したこともあって[20][21]1978年10月2日に廃止され、これをもって昼行・夜行とも呉線経由の優等列車は全廃となった。 ななうら1950年に大阪駅 - 広島駅間で運転を開始した準急307・308列車がルーツで、当時は大阪駅 - 岡山駅間で大阪駅 - 広島駅・須崎駅間の列車と併結運転が行われていた。その後1959年に「ななうら」と名付けられた。1961年には混雑緩和のために、「音戸」が運転を開始したが、1968年に「音戸」に統合されて廃止された。 列車名は、安芸の宮島(厳島)の周辺に存在する景勝地の七浦が由来となっている。 音戸京阪神 - 広島間の夜間の輸送力増強のために運転を開始した寝台急行列車で、1961年に新大阪駅 - 広島駅間で運転を開始した。1962年には運転区間を下関駅まで延長、1968年10月からは「ななうら」を吸収する形で京都駅 - 広島駅間も設定されたが(こちらは寝台急行ではなく座席車も連結)、この列車は1973年10月から廃止される1975年3月までは、定期列車としては初めて12系客車が使用された。 列車名は、広島県呉市にある本州と倉橋島の間に存在する海峡である音戸の瀬戸に由来している。 呉線優等列車・観光列車沿革国鉄時代の優等列車→「山陽本線優等列車沿革」も参照
観光列車の設定
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia