G7級大型水雷艇
G7級大型水雷艇(ドイツ語: G7 Klasse Großes Torpedoboot)はドイツ海軍の大型水雷艇。1911型大型水雷艇の2番目の型である。 歴史1911年度予算でV1級大型水雷艇と共に6隻が要求された[1]。建造はゲルマニアヴェルフトが当たり、1911年から1912年にかけて6隻が進水した[1][2]。 第一次世界大戦では6隻全てが運用されたが、1915年9月8日、V1級大型水雷艇V1との衝突によりG12が沈没した[1]。残る5隻は1916年に、主砲を8.8cm(砲身長30口径)単装砲から砲身長45口径の8.8cm砲に更新する改装が施された[1]。1918年5月3日にG9が触雷し沈没、終戦時には4隻が残存した[1]。 この4隻は、ヴェルサイユ条約で駆逐艦としてドイツ海軍(Reichsmarine)での保有が許された12隻に含まれることになった[3]。1921年から1923年にかけて改装が行われ、ボイラーを新型に更新、主砲を10.5cm(砲身長45口径)単装砲に更新、魚雷発射管を半減し、燃料搭載量を増加させた[3][2]。結果、排水量は基準660t、満載775tにまで増加し、航続距離も1,800海里まで伸びたが、乗員は91人(士官4人)にまで増大した[2]。1928年より1931年まで再度の改装が行われ、ボイラーは石油専焼缶となり、基準772t、満載884tと大型化した[2]。ドイツ海軍では、主に練習艇として用いられた[1]。 1936年練習艇に類別変更され、1939年4月23日に名称がG7からT107、G8からT108、G10からT110、G11からT111にそれぞれ変更された[注 1][2]。第二次世界大戦では、1945年4月3日、T111がキールで、5月5日にT110がトラフェミュンデで空爆により撃沈された[2]。 終戦時、T107とT108が残存しており、T108はイギリスに引き渡され、1946年解体された[2][1][3]。T107は、ソ連へ引き渡され、水雷艇「プラジャウヒ(Поражающий、Porazhayushchi)」と改名された[3]。1950年12月22日に、無動力練習艇「カザンカ(Казанку、Kazanka)」となった後、1957年に標的として用いられ除籍された[2]。 一覧
関連項目注出典
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