J.B.ブカウスカス
ジェイコブ・アレン・ブカウスカス(Jacob Allen Bukauskas, 1996年10月11日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州ラウドン郡アシュバーン出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのミルウォーキー・ブルワーズ傘下所属。 経歴プロ入り前2014年のMLBドラフト20巡目(全体600位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名されたが、契約せずにノースカロライナ大学チャペルヒル校へ進学した。2016年には第40回日米大学野球選手権大会にアメリカ合衆国代表として参加した[1]。 プロ入りとアストロズ傘下時代2017年のMLBドラフト1巡目(全体15位)でヒューストン・アストロズから指名され[2]、プロ入り。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズでプロデビュー。A-級トリシティ・バレーキャッツでもプレーし、2球団合計で3試合に先発登板して防御率2.70、9奪三振を記録した。 2018年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズ、A-級トリシティ、A級クァッドシティーズ・リバーバンディッツ、A+級ビューズクリーク・アストロズ、AA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、5球団合計で14試合に先発登板して4勝2敗、防御率2.14、71奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。 2019年は開幕からAA級コーパスクリスティでプレー。7月にはオールスター・フューチャーズゲームのアメリカンリーグ選抜に選出された[3]。 ダイヤモンドバックス時代2019年7月31日にザック・グレインキーとのトレードで、コービン・マーティン、ジョシュ・ロハス、セス・ビアー、金銭と共にダイヤモンドバックスへ移籍した[4]。移籍後は傘下のAA級ジャクソン・ジェネラルズでプレーし、移籍前を含めた2球団合計で22試合(先発16試合)に登板して2勝5敗1セーブ、防御率5.44、109奪三振を記録した。 2020年オフの11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[5]。 2021年4月20日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビューを果たした[6]。5月15日に右肘屈筋の肉離れで10日間の故障者リスト入りとなった[7]。その後、7月に戦列復帰した。この年メジャーでは21試合に登板して2勝2敗1セーブ、防御率7.79、14奪三振を記録した。 2022年はメジャー登板が無かった。マイナーではルーキー級アリゾナ・コンプレックスリーグ・ダイヤモンドバックス(ブラックとレッドの2球団)、AAA級リノ・エーシズでプレーし、3球団合計で23試合(先発1試合)に登板して0勝1敗1セーブ、防御率2.42、22奪三振を記録した。 マリナーズ時代2023年1月17日にウェイバー公示を経てシアトル・マリナーズへ移籍した[9]。1月31日にDFAとなり[10]、2月3日にマイナー契約となって傘下のAAA級タコマ・レイニアーズへ配属された[11]。シーズン開幕はAAA級タコマで迎え、4月9日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[12]。だが、同日のクリーブランド・ガーディアンズ戦で2失点を喫する[13]と、以降は登板が無いまま14日には再びDFAとなった[14]。 ブルワーズ時代2023年4月18日にウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[15]。同年は2球団で合計6試合に登板し、勝敗やセーブなどの主要な成績は記録しなかったものの、7奪三振を記録した。 2024年はメジャーで6試合に登板した[16]がいずれも開幕直後のことであり、それ以降は故障に悩まされるなどした影響で、1年間マイナーで過ごした[16]。 2025年1月17日にエルビン・ロドリゲスを獲得したことに伴ってDFAとなり[17]、23日に40人枠を外れてAAA級ナッシュビル・サウンズに降格した[18]。 投球スタイル詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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