L.A.イズ・マイ・レイディ
『L.A.イズ・マイ・レイディ』(エル・エイ・イズ・マイ・レイディ、L.A. Is My Lady)は、アメリカ合衆国の歌手フランク・シナトラが1984年に発表した通算57枚目のソロによるスタジオ・アルバム。プロデューサーはクインシー・ジョーンズが務めた。シナトラは、その後、デュエットを集めたアルバム2枚(『Duets』、『Duets II』)を出したが、ソロのスタジオ・アルバムとしては本作が最後の作品であり、これ以降にソロで録音された楽曲5曲は、うち4曲だけが公式発表された。日本語での表記では、アルバム名、表題曲名とも『L.A.イズ・マイ・レディ』とされることもある[2]。 このアルバムの企画は、ジョーンズの発案で進められていたシナトラとレナ・ホーンのデュエット・アルバムの計画が、ホーンの声に問題が生じたことと、他のいろいろな仕事を抱えていたシナトラが、録音を先延ばしにできなかったことから、急遽取り組まれたものであった。シナトラがジョーンズのプロデュースで録音するのは、1964年のアルバム『イット・マイト・アズ・ウェル・ビー・スウィング (It Might as Well Be Swing)』以来、久々のことであった。 このときのスタジオ・セッションの模様は、ドキュメンタリー『Frank Sinatra: Portrait of an Album』に収められており、シナトラのマイケル・ジャクソンとの初対面の様子なども捉えられた。 『L.A.イズ・マイ・レイディ』の録音時には、スタジオにおける技術は十分に発達しており、シナトラは、あらかじめ録音された伴奏に自分の声をオーバー・ダビングすることもできたが、シナトラは他のミュージシャンたちと一緒に一発録りで録音することを望んだ[3]。 シングルカットされた表題曲「L.A.イズ・マイ・レイディ (L.A. Is My Lady)」のミュージック・ビデオには、ディーン・マーティン、クインシー・ジョーンズ、ナンシー・シナトラ、シェリル・ティーグス、ジェーン・フォンダ、ラトーヤ・ジャクソン、ジリー・リゾ、ドナ・サマー、マイケル・マクドナルドや、ヴァン・ヘイレンのメンバーだったデイヴィッド・リー・ロスが、カメオ出演したこともあり、開局からまださほど時間が経っていなかった初期のMTVにおいて、そこそこのローテーションで放送された。 アルバムの表題とは裏腹に、楽曲はほとんどニューヨークで録音された。このアルバムは、『ビルボード』誌のアルバム・チャートである Billboard 200 に13週とどまり、最高58位となった[4]。また、Top Jazz Albums のチャートでは最高8位となった。 シナトラにとって、新たな試みだったのは、表題曲ではっきりと聞かれるシンセサイザーの導入であった。 アルバム『L.A.イズ・マイ・レイディ』は、2024年に内容を拡充したエディションがリイシューされ、ラリー・ウォルシュ (Larry Walsh) のリミックスにより、6曲のボーナス・トラックが追加された。 トラックリスト日本語の曲名は、2010年の日本盤CD『L.A.イズ・マイ・レディ』の表記による[2]
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脚注
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