LIFE IN MIRRORS
『LIFE IN MIRRORS』(ライフ・イン・ミラーズ)は、日本のシンガーソングライターである土屋昌巳の3枚目のオリジナル・アルバム。 1987年10月21日にEPIC・ソニーレコードからリリースされた。前作『TOKYO BALLET』(1985年)より2年4か月振りとなる作品であり、作曲はすべて土屋昌巳が担当、作詞は土屋のほかにロックバンドであるくじら所属の杉林恭雄や作詞家の宮原芽映および松尾由紀夫などが担当、プロデュースは土屋が担当している。 レコーディングは日本国内だけでなく一部ロンドンのAIRスタジオにおいても行われた。土屋の1980年代のソロ・アルバムとしては最も多彩なゲスト・ミュージシャンが参加した作品であり、元ロキシー・ミュージックのアンディ・マッケイのほかに元ジャパンのデヴィッド・シルヴィアンおよびミック・カーン、デュラン・デュランのジョン・テイラーなどが参加、ファンキーな楽曲を中心に幅広い音楽性の楽曲を収録している。また、本作からは1曲もシングルカットされていない。 録音、制作本作のレコーディングは東京のCBSソニー・六本木スタジオおよびCBSソニー・信濃町スタジオ、またロンドンのAIRスタジオにて行われた。本作には土屋の1980年代のソロ・アルバムの中では最も多彩なゲスト・ミュージシャンが参加しており、日本人としてはコーラスの吉田美奈子、コンピュータプログラムの松武秀樹および藤井丈司、PINK所属の福岡ユタカ、EP-4所属のBANANAなどが参加、さらに海外ミュージシャンとして、元ロキシー・ミュージックのアンディ・マッケイ、元ジャパンのデヴィッド・シルヴィアンおよびミック・カーン、デュラン・デュランのジョン・テイラーなど幅広い世代が参加している[2]。一部のレコーディングはタウンハウスという石造りのスタジオが使用されており、レコードのカッティングも行えたことから後にメトロポリススタジオ所属となるエンジニアのイアン・クーパー担当の下で初のメタル・カッティングを行ったと土屋は述べている[3]。 本作にはスティーヴ・ナイ直系の関係者であるナイジェル・ウォーカーがエンジニアとして参加、また前作の途中から参加したディレクターの福岡智彦が土屋の担当となり、両者ともに後の作品まで参加することとなった[4]。それに対し、土屋は「本当に自由にやらせてくれました」と述べ、それまでの中で最も心を開いて接することができたスタッフであり、その後土屋がプロデューサーとして活動することになった際に非常に参考になったと述べている[5]。土屋はスタッフに対する要望としては安心できることが最も重要であると述べ、両者については「いてほしいときにはいつもいてくれて、しかも自分の気配をいつでも消せるという存在」であったことから、本作および次作『HORIZON』(1988年)においていい関係が築けたと述べている[3]。また、AIRスタジオでのレコーディング時、経営者であったジョージ・マーティンが頻繁に様子を見に来ており、ビートルズのレコーディング方法など様々なことを教わったと土屋は述べている[3]。 音楽性と参加ミュージシャンこのときは、ニューウェイヴ以降のイギリスの音楽にいちばん興味を持っていた時期です。ニューウェイヴがもっとモダンなポップスになっていった音。
『SOLO VOX -epic years-』より[6] 1985年にアーケイディアのレコーディングに土屋が参加したことによってデュラン・デュランのメンバーと親交を深めたことから、当時土屋はテイラーとも様々な話題で語り合っていたと述べている[6]。デュラン・デュランメンバーの内、最初に土屋に接触してきたのがテイラーであり、ロンドンにある日本料理店でテイラーから「マサミでしょ?」と声をかけられたことが切っ掛けとなり、後に他のメンバーから連絡が来た際に「一緒にレコーディングしたい」と誘いがあったため、土屋は当初テイラーによる発案だと思っていたものの、実はサイモン・ル・ボンからの依頼であったことが後に判明したと述べている[3]。またディレクターである福岡からの紹介により杉林恭雄や清水一登、BANANAなどが参加する流れとなり、またコンサートツアーにも帯同するようになった[3]。土屋は当時福岡が担当していたバンドであるキリング・タイムの演奏を聴き、清水の演奏が気に入ったために福岡から紹介してもらうことになったと述べ、また吉田美奈子も強く印象に残ったと述べている[3]。当時の土屋にとって吉田は大御所であったことからレコーディングの際には非常に緊張したと述べ、また吉田の歌うことへの哲学を絶賛し「STAY IN HEAVEN」および「DON'T STOP LOVING」の2曲は吉田のハーモニーの部分が最重要であると述べている[3]。 本作の制作時期に土屋はニュー・ウェイヴ以降のイギリスの音楽に最も興味を持っていたと述べている[6]。当時デュラン・デュランの来日公演が行われていたために、土屋はテイラーに軽い気持ちでレコーディングに参加するよう要請したところ、六本木スタジオに深夜ベースを担いだテイラーが現れたため、一晩かけて急遽レコーディングが行われた[6]。しかしテイラーはコンサートのプロモーターやレコード会社には何も告げずにスタジオを来訪したため、テイラーが行方不明になったとテイラー側のスタッフの間で大騒ぎになっていたと土屋は述べている[3][6]。結果として本作はダンサブルでファンキーな楽曲を始めとした幅広い音楽性の楽曲が収録されることとなった[2]。 リリース、批評、チャート成績
本作は1987年10月21日に日本国内においてEPIC・ソニーレコードからLPおよびCT、CDの3形態でリリースされたほか、同年に香港においてもリリースされた。本作の帯に記載されたキャッチフレーズは「東京⇔ロンドン・レコーディング。土屋昌巳が二年ぶりに放つ、超強力アルバム。」であった。本作に関する評価として、音楽情報サイト『CDジャーナル』では「STAY IN HEAVEN」「KHAOS TOWN」について「リズムで引きずり込む」と表現し、「PERFECT DAYS」「DAYDREAMS OF YOU」「BECAUSE」については「静的な美しさの内側に力を感じさせる」と評価、「一日千夜」「LAPIS」「PLANET MIRRORS」については土屋のギタリストとしての能力の高さを称賛した上で、「土屋昌巳の美意識とポップ感覚が見事なほどのバランスで融合」、「彼の音楽センスと参加メンバーの表現力には脱帽」と絶賛した[7]。 本作に関するプロモーションとして、テレビ東京系音楽番組『ミュージックスクエア』(1987年 - 1988年)に出演し「STAY IN HEAVEN」「水の中のホテル」「KHAOS TOWN」「BECAUSE」を演奏、バックバンドのメンバーとして成田忍(ギター)、横山雅史(ベース)、清水一登(キーボード)、近藤達郎(キーボード)、れいち(ドラムス)、仙波清彦(パーカッション)が出演した。本作のLP盤はオリコンアルバムチャートにおいて、最高位第80位の登場週数が2回で売り上げ枚数が0.1万枚となった[1]。 2017年12月20日には土屋のボックス・セット『SOLO VOX -epic years-』に収録される形でデジタル・リマスタリング盤としてBlu-spec CD2仕様で再リリースされた[8][9]。 収録曲
スタッフ・クレジット
参加ミュージシャン
録音スタッフ
その他スタッフリリース日一覧
脚注
参考文献
外部リンク
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