Wikipedia‐ノート:著作権/著作権法121条と題扉最近議論になっている著作権法121条とタイトルページの件について、簡単に記録、コメントします。自分の書いたものだけでも長く、もしも議論になるとすると更に長くなりそうなのでサブページにしました。Tomos 2007年1月28日 (日) 04:32 (UTC) 議論の要点と場所以下のような説が、この件の要点だと思います。
(以上 Tomos。 この節はよかったら改訂して下さると、コメントなどを付すよりも他の方にわかりやすいかも知れません。Tomos 2007年1月28日 (日) 04:32 (UTC)) これまでの議論このページの議論は、主に132人目方式という投稿の際の手続きの是非を巡るものです。この方式は既存の記事の複製・翻案などを含まない新しい、より優れた文章を執筆し、それを最新版に投稿するという通常の方式ではなく、一旦既存の記事を別の記事名に移動させた上で、移動した跡地に投稿するというもの。 方式の是非については、それがエチケット上どうであるか、記事の質やコミュニティにどう影響するかといった観点からの意見が多く、著作権は必ずしも中心にはないように見えます。 ただ、 IPの方が指摘された点で、このような方式を採用していない場合には、新規書下ろしの文章が、実際には一人の執筆者による著作物であるにも関わらず、複数の著作者によるものであるかのようにタイトルページ/履歴ページで表示されてしまっている、という問題があります。これが121条とのかかわりになります。
(これは、外部のチャットルームでたしか利用者:.m...さんに教えて頂きました。)
GFDLがウィキペディアにおいてどう適用されているかを理解すれば、実際には問題は発生していないことがわかる、という論のようです。 (以上 Tomos。 この節はよかったら改訂して下さると、コメントなどを付すよりも他の方にわかりやすいかも知れません。Tomos 2007年1月28日 (日) 04:32 (UTC)) コメント解決の手がかりになりそうな点解決の手がかりになりそうな点としては以下のようなものがありそうです。
また、今後の措置ということであれば、以下のようなことも考えられそうです。
Tomos 2007年1月28日 (日) 04:32 (UTC) (GFDLの改訂用ドラフトはこちらにあります。改訂の要点については、利用者:Tomos/GFDL改訂草案についてのコメント#改訂の概要に僕の印象を書きました。ご参考まで。Tomos 2007年1月28日 (日) 04:39 (UTC)) アメリカ法との関連アメリカの著作権法(というか著作権に関連する法)に関して知っていることを書いてみます。 米国の著作権法の中にはそもそも人格権の規定がほとんどなく、この件に関する条項もさしあたり思いつきません。 関連する法令や判例には、パッシングオフ(passing off)やリバースパッシングオフ(reverse passing-off)という日本の氏名表示権侵害に相当するものを扱ったものがあるようです。一般にunfair competition lawと呼ばれる州法に含まれており、連邦レベルではいわゆるLanham Actと呼ばれる15 U.S.C. § 1125.に規定があります。 著作者が自分の著作物を別人のものであるかのように扱われたり、逆に自分の著作ではない別人の著作物を自分の著作物であるかのように言われたりすることを違法とするようです。僕が見た法や判例では、職業上の名声が絡んだ民事訴訟ですので、日本の121条とはだいぶ趣を異にしますが。 また、不正競争法がウィキペディアのような非営利活動、それも(全てではありませんが)アマチュアによるボランティア活動の領域にも適用されうるものなのかどうかはわかりません。報道によれば、ウィキペディアに執筆してくれれば対価を支払うといったオファーが出されたケースもあるそうですから、全ての執筆がアマチュアによるボランティア活動という風にも言えないかも知れませんが。ライターとして対価をもらうこともある方が、自分の得意分野について執筆するということもありますし。 また、最近ウィキブックス英語版で、類似の議論があるらしいことが、Foundation-lへのAndrew Whitworthさんの投稿から伺えます。 Tomos 2007年1月28日 (日) 04:32 (UTC) Lanham Act 43(a) (15 U.S.C. § 1125(a))について少し判例や解説などを読んでみました。 非営利活動にもあてはまるのかどうかについては、ざっと見た限りでは見当たりませんでした。ただ、「commerce 」の文脈で起こる詐称に限定されるということは条文にもありますし、判例を見てもビジネスがらみの件が圧倒的に多かったです。ただ、州法におけるreverse passing off を扱った訴訟の中で、International Kitchen Exhaust Cleaning Association v. Power Washers of North America (81 F. Supp. 2d 70) という非営利団体同志の訴訟もみました。(但しこの件ではreverse passing offがあったとする主張がなされて、同時に同じ行為が著作権侵害でもあるとして訴えたところ、reverse passing off に基づく賠償請求が却下されたというような件ですが。) そこでcommerceの定義がどのようなものを含むのか、ということが気になりましたが、これも特に解説には行き当たりませんでした。 虚偽の著作権表示だけでは、このLanham Act 43(a)の違反には該当しないということを述べた判例はいくつかありました。その虚偽の著作者による作品であるとして売込みをするといった行為がなければだめ、という考え方が示されたケースもあるようです。(タイトルページ・履歴ページの記載内容は著作権表示ではないわけですが。) 本当に少し調べただけですが、とりあえず書いておきます。 Tomos 2007年1月29日 (月) 05:32 (UTC) 著作権法121条の問題は本当に生じるのか?Tomosさん、みなさん、ご無沙汰しています。ちょっと時間ができたので眺めていたところ、たまたまこのページが目に入ったので、ここで扱われている問題についてちょっと考えてみました。 とはいえ、背景にある問題についての議論の全てに目を通せたわけではなく、また、僕がアクティブだった頃と運営方針が変わっているところもあると思いますので、GFDLの話を正面から論じると頓珍漢なことを述べることになってしまいそうです。 そこで、GFDL特有の解釈問題はひとまず措いて、専ら日本著作権法の解釈について、見落とされていると感じられる点を指摘するに留めます。 今回問題となっているのは、あるページの全面改稿をした場合に、履歴ページには、その版の創作には無関係な以前の版の投稿者の名前の表示が残ってしまい、これが著作権法121条に触れる現象なのではないか、ということだと理解しています。 まず出発となる著作権法121条の条文を見ると、121条違反の罪の構成要件には次の4つのポイントがあることがわかります。それは、(1)「著作者でない者の実名又は周知の変名」を(2)「著作者名として表示した」著作物の(3)「複製物を頒布」した場合に、(4)「頒布した者」を処罰する、というものです。 このうち(4)については、個々の投稿者(この場合でいう全面改稿者)ではなく、財団がその主体であることが既に指摘されているため、ここで重ねて言及しません。そこで以下では(1)~(3)について見ていきます。 (1)周知の変名 121条違反の罪は「著作者名詐称罪」とも呼ばれますが、ここで詐称される名前は「実名又は周知の変名」でなければなりません。反対解釈をすると、周知でない変名を表示した場合には、(一般の氏名表示権の問題は別にすれば)121条の問題は生じません。 なぜ周知でない変名であれば問題とされないのかというと、著作者名の詐称が氏名表示権侵害とは別に処罰される根拠の一つが、詐称行為が「世人を欺く」という点にあるからです。 「世人を欺く」ケースとして、加戸守行『著作権法逐条講義〔五訂新版〕』(社団法人著作権情報センター、2006年)741頁は、次の三つの類型を挙げています。
この例からもわかるように、「世人を欺く」とは、他人や他人の創作物について世間の人が考えている評価を自分に都合の良いように不当に利用することを意味します。 今考えている全面改稿後の履歴ページの表示は、ここでいうと1(あるいは3)に該当するように思います。つまり、他人の評判を利用して自分の創作物の価値を高めるという類型です。 (これに対して、2は他人の創作物への高い評価を自分の評価を高める手段として利用する類型で、1あるいは3とはやや性格が異なります。ニュースになった阪神タイガースの応援歌の事件はこちらですね。) この1あるいは3の類型の場合には、その他人について高い評判が存在し、その名前を利用することで創作物の価値が高まることが前提ですから、世間の人が全く知らないような新奇なペンネーム(変名)を付して頒布したところで、価値が高まることはありえず、したがって処罰すべき違法性はないということになります。 したがって、他人の周知でない変名を表示したところで、それには評判が伴っていないのが普通であるから、問題とならないわけです。 そうなると、履歴ページに残る以前の版の投稿者の名前(ユーザ名)が、その人の「周知の変名」かどうかが、第一のポイントになります。 「周知の変名」という用語は、著作権法14条や52条2項1号にも用いられています。52条2項1号は、著作物の保護期間についての規定で、変名の著作物は原則として公表後50年だけれど、周知の変名であれば死後50年とする、との規定です。 この取り扱いからは、実社会におけるその著作者の生死が分かるかどうか、という点が周知か否かのメルクマールになっていることがうかがえます。 121条でも同じ基準で考えるならば、ウィキペディア上のユーザ名は一般的に言って、その本人の生死が簡単に明らかになるほどに広くその人の変名だと知られているとは言えず、従って「周知の変名」ではない、と言わざるを得ません。 そうであれば、ユーザ名が実名であるか、あるいは周知の変名であるような例外的なケース(例えば有名作家が、同じペンネームでウィキペディアに投稿するような場合)を除けば、大抵のものはこの段階で121条の問題ではなくなるでしょう。 なお、近時、特にハンドル名に対する名誉毀損の成否という観点から、インターネット上におけるハンドルネームとして一定の活動と評判の蓄積のある名前は名誉毀損の客体として保護しようという意見が述べられることがあり、著作権法121条における他人の評判の不当な利用という場面での評判も、このようなインターネット上のハンドルに対する評判だと捉えられないではありません。 しかし、著作権法が「周知の変名」か否かの基準を(保護期間との兼ね合いから)本人の生死が容易にわかる程度に本人との結びつきが知られているかという点においていることに加え、罰則規定である121条の条文は厳格に解釈されるべきだという考えから、これには賛成できません。
仮に(1)が満たされたとしても、次にその表示が「著作者名としての」表示でなければなりません。立法趣旨の説明に即していうならば、世間の人が「これはこの創作物の著作者を示したものである」と誤認するような方法で表示されていることが必要となるでしょう。 そこで、履歴ページのユーザ名の表示が「著作者名としての」表示なのか、延いてはウィキペディアにおける各ページ・記事(項目)の著作者に関して、世間一般の人がどう捉えているかが問題になります。 これについて、あまり率直に言ってしまうと、これまでGFDLと氏名表示権の関係について言われてきたことを全否定することになりそうなので大声では言いませんが、世間の人はそんなことあんまり気にしていないのではないでしょうか。 多くの人は、そもそも History ページの存在すら知らないのではないかと推測されます。そうであれば、仮に履歴ページにユーザ名の表示があるとしても、それは著作物の提供の際に通常の方法で表示されたものとは言えないことになります。 他方、仮に履歴ページの存在がよく知られ、各ページの著作者情報はそこを見れば分かるということが一般的に知られていたとしても、次に MediaWiki の仕様のために、大きな問題があります。それは、ユーザ名の表示は必ずしもその版の著作者を表示したものではない、という事実です。 これにより、ウィキペディアの各ページについては、初版を除けば、ある一つの版に関してそれに対応する一つの著作者の表示、というものは存在しないと言ってよいでしょう。 ページ中のとある部分の著作者(厳密には投稿者)を調べるためには、履歴ページを単に見るだけでは不十分で、差分表示などを駆使して調査する必要があります。 そのような、ときに困難を伴う調査を経て初めて確認できる表示というものを、著作者を通常の方法で表示したものと呼ぶことはできないだろうと考えます。 従って、履歴ページ一般について、そこに掲載されるユーザ名の表示を、著作権法121条における「著作者の表示」と解するのは難しいと思います。 (初版の投稿の場合は著作者の表示と言える余地はありますが、いま問題にしている全面改稿は初版ではありません。) (3)複製物の頒布 以上、(1)・(2)より、ほとんど121条の問題は生じないだろうと考えていますが、さらに(3)があるために、問題となる可能性はいっそう低くなります。 というのは、121条はあくまでも「複製物の頒布」行為に限って適用されるものだからです。 著作権法上「複製」とは「有形的に再製すること」とされ(2条1項15号)、「頒布」とは「複製物を譲渡し、又は貸与すること」(同19号)とされ、さらに民法上「物」とは「有体物」とされています(民法85条)。 すると「複製物の頒布」とは、「有形的に再製した有体物を譲渡又は貸与すること」という意味になり、著作物が化体したモノそれ自体を物理的に利用する行為を指していると解釈することになります。 具体的には、印刷した書籍を販売する、撮影したビデオを販売する、読み上げたテープを販売する、写真に撮って配る、などの行為が「複製物の頒布」に該当し、一方で、ネット上で配信することは物理的なモノを伴いませんから、「複製物の頒布」には当たりません。 そう考えると、仮に(1)・(2)を満たしたとしても、ウィキペディアのコンテンツがインターネット上で送信されるに過ぎない間は、そもそも「複製物の頒布」は起こっておらず、121条の問題にはなりません。 CD-ROMに記録して配布するとか、印刷して書籍にして売るとかいう段階になって初めて、問題になる余地が生じるわけです。 そして、書籍になればもはや履歴ページなどというものは別の形になってしまうでしょうから、現実に問題になるのは、今あるような形のHTMLそのままで閲覧できる形でCD-ROMに記録して配布されるような場合に限られると言ってもよいでしょう。(もちろんそのときにも、(1)・(2)が満たされることが前提です。)
なので、(氏名表示権の問題ではなく)121条の問題を特別に考慮して議論する必要性は全く無いだろうと思いました。 さしあたり感じたことを足早にまとめてみました。事実誤認や考え違い等あると思いますので、ご指摘いただければ幸いです。Carbuncle 2007年1月28日 (日) 10:48 (UTC)
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