ストローマン![]() ストローマン(英: straw man)は、議論において、相手の考え・意見を歪めて引用し、その歪められた主張に対してさらに反論するという間違っている論法のこと、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す[1]。ストローマン手法、藁人形論法、案山子論法(かかし論法)ともいう。 語源語源は不明である。比喩的な用法は、容易に倒せそうな藁人形、ダミー、かかしなどを示唆する[2]。 アメリカではポリティカル・コレクトネスの見地から、字義的に「藁の男」を意味する「ストロー・マン」を言い換えて、性別を問わない「藁の人」を意味する「ストロー・パーソン」を使用する場合がある[3]。 概説相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁である。 しばしば、感情に訴える論証やチェリー・ピッキングのような他の誤りとともに用いられる。相手の発言を元の文脈を無視して引用し、本来の意味とは異なる印象を与えるよう提示することをクオート・マイニングと呼ぶが、クオート・マイニングに基づいて批判すればこれもストローマンの一種である。 また、倫理的に問題のある行為を抑止する場面などで多く使われる藁人形論法の一種に、滑りやすい坂論法[4]がある。Aという行為に踏み出すと類似の行為が連鎖的に行なわれ、最終的には破滅的状況になるため、そもそもAを行うべきではない、という論法である[3]。 マスメディアにおいても、対抗意見を充分に取材せず、独自に解釈した反論を両論併記などの形でしばしば報道に取り入れている[5]。 論法
例
「道路」としか言及していないことに対し暗黙的に「道路=屋外」であると誘導し、さらに「危険だと思うなら家に閉じ込めておけ」という言外の要素を過剰に拡大して解釈している。
Bの一私人としての感情を必要性の問題として解釈し、さらに「嫌いなら無くなったほうが良い」という言外の要素を過剰に拡大して解釈している。 Aは、福澤氏の記述を最後まで引用せず、あたかも「といへり」より前の文字列を福澤氏の意見であるかのように捻じ曲げて解釈し、非難している。 なお、「いへり」の後には、「されば天より人を生するには、万人は万人、皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、万人の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り以て衣食住の用を達し、自由自在互に人の妨をなさずして、各安楽に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。」の一文が続く。論理学上は「pならばq」という形式であるが、Aはpの部分を切り取り、それがさも福澤氏の意見であるかのように非難している。
2024年松濤美術館『没後エミール・ガレ展』図録所収「エミール・ガレ、象徴的芸術への道程」(監修者寄稿)脚注26、123-124頁。 当該論考で監修者は、自説への反証を提起した論者の主張を引用する形で一見否定しがたい架空の論旨を作り上げ、自説の正当性を補強するという、典型的な藁人形論法を展開している。監修者は一連の不適切な引用の改竄を指摘され、同展巡回先の徳島県立近代美術館で販売された図録では当該箇所に訂正シールを貼付して書き替えを余儀なくされている。[7] 引用は情報の正確な伝達と元の研究者への敬意を伴うべきものである。美術展の図録という公然性のある媒体で、監修者の立場にありながら、それを意図的に改竄する行為は研究倫理に反する紛れもない不正行為であって、監修者個人の社会的信用を失墜させるばかりでなく、同展を開催した美術館の信頼さえも貶めてしまう。ひいては美術史学全体の信頼性の低下にも繋がる看過できない事案である。 対処ストローマンを完全に避けることは不可能であるが、 はっきりとした具体的な言葉を用いることが最善であると考えられる[8]。
スチールマンストローマンと真逆の論法がスチールマン(英語: steel manまたは英語: steelmanning)と呼ばれることがある。プリンシプル・オブ・チャリティーに基づき、対立している相手の主張のもっとも正当な形(たとえ相手がそれを明確に表明していなくても)を議論の対象にするのである。そのためには、容易に批判できる前提を除去し、自分の立場に反する強固な主張を取り上げる必要がある。その上で反論を形成することで、自分の主張もより正当なものに改善される可能性がある。[9] 脚注
参考文献
関連項目 |
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