がんばっていきまっしょい
『がんばっていきまっしょい』は、敷村良子による私小説、およびそれを原作とした映画・テレビドラマのタイトル。愛媛県松山市の高校を舞台に、ボート部の活動に打ち込む5人の女子高校生たちの姿を描いた物語。 タイトルの「がんばっていきまっしょい」は、敷村の母校である愛媛県立松山東高等学校で1966年から使われている「気合入れ」の掛け声で、入学式や体育の授業前のランニング時に実際に使用されており、もともとはラグビー部顧問だった当時の保健体育教諭が準備運動の駆け足の際に生徒たちに一体感を作るために考え出させたもの[1]。なお、その教諭が転任した先の愛媛県立松山西高等学校(現:愛媛県立松山西中等教育学校)でも同じものが使用されている。 小説1996年7月、マガジンハウスから出版(ISBN 4-8387-0797-5)。同作品および続編「イージー・オール」の2編収録。 2005年6月、幻冬舎から文庫化(ISBN 4-344-40660-5)。単行本と同じく2編収録されているが、「イージー・オール」はかなり書き直された。 2024年10月には、悦子をはじめとする女子ボート部5人の十数年後を描く『もひとつ、がんばっていきまっしょい』が幻冬舎から電子書籍として刊行された。 あらすじ (小説)
登場人物
実写映画
フジテレビ、ポニーキャニオン、アルタミラピクチャーズ製作・東映配給で1998年に公開された[2][3][4][5][6]。田中麗奈主演[7]、磯村一路監督。 1976-1977年の松山を舞台に[2]、女子ボート部の活動に奮闘する高校生たちを瀬戸内の美しい風景とともにみずみずしく描いた[8][9]。ヒロインがそれまで無かった部活を作るために奔走する設定が[10]、部活系青春映画の原点となった作品と評価される[11]。 小規模公開ながら、地道な宣伝で評判を呼び、異例のロングラン上映を記録した[2][11][12]。高校二年在学中にオーディションで主演に選ばれた田中麗奈は[5][7]、本作でデビューし[4][11]、数々の新人賞を受賞[8][12]。サントリーの「なっちゃん」のCMに抜擢されるなど、一躍人気女優となった[5][12][7][13]。また、本作のプロデューサーチームにより後に『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』のヒット作が生まれた[11]。 愛媛県でのオールロケ[2][8][14]。その際のロケ地選定やエキストラの手配など、フィルムコミッションと同様の活動を、原作者の敷村や地元の県立高校教諭のボート指導者が行っている。 学校名は「伊予東高校」という架空の校名が使われている。 あらすじ (映画)
キャスト
原作者敷村良子も保健教諭として端役で出演している。台詞も一言あり。 製作制作のアルタミラピクチャーズは、本作のプロデューサー・桝井省志や周防正行、監督の磯村一路らで作った制作プロダクション。 キャスティング森山直太朗、バカリズムは共に映画初出演で[15]、2シーン程度の出演だが、二週間程度松山に滞在し[15]、森山が一言、バカリズムが二言セリフがあり、意外に上手い。バカリズムの出演経緯は分からないが、森山は母親が出演しているためバーターと見られる。 撮影1997年3月、愛媛県ロケハン、実景撮影等を経て[2]、19同年8月20日クランクイン[2]。愛媛県全域で撮影が行われ[2]。10月4日クランクアップ。以降ポストプロダクションを経て、同年12月完成[2]。 時代設定である1970年代半ばの風俗描写は、店舗内で洗濯物の処理を行うのが一般的だったクリーニング店、高圧的な教師、男尊女卑的は発言、女子スポーツ部員のブルマー、アルマイト製の弁当箱、キャップがオレンジ色のFANTAの瓶などで表現されている。当地の名菓・日切焼を食べるシーンがある。 興行東映洋画系の配給で[16]、都内は新宿東映パラス2一館で封切[5]。大阪は心斎橋シネマ・ドゥ(ソニータワー大阪B1)、福岡はシネサロン・パヴェリアで封切[5]。他都市での興行は不明で、元東映プロデューサーの紀伊宗之は、一番好きな映画として本作を挙げており[6]、広島東映に勤務した新人時代に、東映配給なのに舞台の近い広島での上映がないと知り、当時の支配人に「絶対に客を入れてみせる」と啖呵を切り、孤軍奮闘して広島で知り合った人に片っ端から手紙を書いて試写状を送りまくり、キャンペーンで来てもらった主演の田中麗奈には宣伝費がないため友人の実家のお好み焼き店へ連れて行ってもてなし。まさに手弁当でレイトショー枠で掛けることができ、口コミも広がって広島は東京の次に多くの客が入ったと述べている[6]。 配給の東映は数年来の業績不振から、岡田茂東映会長が会社発足以来堅持してきた自社製作路線の軌道修正を発表、「リスクの軽減やメディアミックス展開を狙いとして提携作品を強化する」という方針を打ち出し[16]、1998年7月ー1998年12月期は自主製作は一本もなく[16]、提携作品6本と本作を含めた他社作品二本を配給している[16]。 作品の評価原作者の敷村良子は「公開時から今までずーっと見守って下さるファンがおられ、まったく原作者冥利に尽きます」などと感謝の言葉を述べている[17]。 海外での日本映画特集で上映されることがある[18]。 受賞歴
テレビドラマ
映画版を見て気に入った重松圭一プロデューサーがテレビドラマ化を企画。関西テレビ放送制作で、2005年7月5日から9月13日までフジテレビ系列で放送された。ハイビジョン制作。フジテレビ、アルタミラピクチャーズが製作した映画とは、原作が同一であること以外に直接の関係はなく、連携もしていない。ただし、ドラマ最終回のエンドクレジットで「special thanks」として映画版の表記が流れた。 放送時間は毎週火曜日の22:00〜22:54(JST)。沖縄県では、フジテレビ系列の放送局である沖縄テレビで放送されたが、本放送の時間帯に日本テレビ製作の土曜ドラマを放送していたため、火曜日の24:40から放送された。テレビ宮崎は放送なし。全10回(第4話と第5話に特別艇を挿入あり)。初回は10分拡大して(22:40 - 23:44)放送、最終回は30分拡大して放送された(22:00 - 23:24)。 あらすじ (テレビドラマ)
製作関西テレビはこの番組の前まで東京の番組制作会社にドラマ制作を委託していたが、この番組は関西テレビにとって26年ぶりとなる完全自社制作番組であった[注 1]。 撮影は主に愛媛県と滋賀県(大会部分)で、愛媛県、松山市、今治市、愛媛ボート協会、えひめフィルム・コミッション、伊予鉄道株式会社、愛媛県立松山東高等学校、愛媛県立松山北高等学校、愛媛大学、松山大学、テレビ愛媛などが協力している。松山をロケ地にした連続ドラマは珍しい。2005年5月10日から9月8日までの70日間、愛媛県内各地で撮影された。ただし映画版と異なりロケは野外シーンが中心であり、艇庫を除く屋内シーンの多くは東京のスタジオでの撮影である。校名は「松山第一高校」と、映画版と同様に架空のものが使われている。 内博貴の降板中田三郎役の内博貴が不祥事を起こし降板した影響で、急遽第4話(第4艇)から撮影済みであった第7話までが再収録された。その影響で、8月2日放送分は「特別艇」に差し替えられた。「特別艇」は、メイキング映像等が放送され、第1話、第2話で内博貴が出演しているシーンも、代役の田口淳之介が撮り直して出演している。 なお、後に発売されたDVD-BOXでは、内が出演していた第1話と第2話はテレビ放送版のまま収録されている。 キャスト(テレビドラマ)
ゲスト出演者
スタッフ
サブタイトル
関連商品
劇場アニメ
2024年10月25日に公開された[23]。 概要 (劇場アニメ)役者のモーションキャプチャをベースにした3DCGアニメーション作品である[24]。 原作者の敷村良子は、劇場アニメについて「スポ根ではないスポーツを描いた新しい青春アニメ映画の誕生」と語り、監督の櫻木優平は「スポ根映画というよりは青春映画として、老若男女問わず広い層の方々に楽しんでいただきたいと思って作りました」と本作について語っている[24]。 実写映画版は1970年代の空気感も再現したノスタルジックな映像表現となっているのと対照的に、劇場アニメは設定年代を現代とし、スマートフォンを登場人物が使うといった変更がされている[24]。小説や実写映画との最も大きな変更点としては、主人公「悦ネエ」がボート部に入部するまでの経緯で、小説や実写映画版では新入生の「悦ネエ」が自ら積極的にボート部を作ろうとする立場であるが、劇場アニメの「悦ネエ」は2年生で何事にも一生懸命になれない、冷めた印象のキャラクターであり、ボート部に入部するのも人数合わせのためである[24]。しかしながら、冒頭の海に浮かぶボートを見ている画が実写映画をほぼ踏襲しているなど、根源となるキャラクターの心理そのものはそれぞれで部分的に(あるいは完全に)過去の作品と一致しているなど、原作と実写映画の重要なポイントを外さない演出や作画がされている[24]。 あらすじ (劇場アニメ)村上悦子は、幼い頃は体格に恵まれ、足も速いリーダー的な存在であり「悦ネエ」と慕われる存在であったが、周囲の児童の成長が追いつくにつれ、次第に埋没し小学校6年の時はリレーのアンカーに立候補したもののボロ負けで途中で走るのを諦めて完走すらしなかった。三津東高校に入学した今は、中の中(ただし、学校のレベルが高いため学業は下)で、何事にも意欲を持てないでいた。 三津東高校にはクラス対抗でボートレースを開催する伝統があり、幼馴染でクラスメイト佐伯姫の推薦により悦子も漕ぎ手の1人として参加したものの、勝てないことがわかると、途中でオールを漕ぐのを止めてしまった。 埼玉県からの転入生高橋梨衣奈は、先のクラス対抗ボートレースを見たこともあって、ボート部への意欲があったが、ボート部は二宮隼人1人を残すのみで休部状態。女子校上がりで男子と話すのが苦手な梨衣奈に付き添う形で悦子と姫は二宮に会い、梨衣奈に引き込まれる形でボート部へ入部。最低人数の4人になったことで、ボート部は活動を再開。活動再開を聞きつけた兵頭妙子と井本真優美も入部。女子5人がそろい、舵手付きクォドルプル(漕ぎ手4人+コックス)での活動が始まる。 最初の大会は、空気に飲まれ完走すら危うい結末となったが、それをバネに5人は練習を積み、数か月後の大会ではついには最下位脱出となる。合宿も開催し、親睦も深まっていくが、その中で悦子は男子部員の二宮に恋愛感情を抱くようになっていた。部員の皆で夏祭りの花火見物に出かけたが、浴衣だった悦子は、慣れぬ下駄に鼻緒で足が擦れてしまって、皆とはぐれてしまう。皆を探す悦子は、二宮と梨衣奈が楽しそうに話しているのを目撃してしまう。更には、悦子は風邪を引いてしまって練習を休むことに。病み上がりの遅れを取り戻そうと頑張る悦子であったが、自身の不注意からオールが砕けて姫が負傷してしまう。何もかもが噛み合わない状況になってしまった悦子の心は折れ、練習に顔を出さなくなってしまう。人数を欠いたボート部は水上訓練も行えず、各自で自主練。活動も実質的に休止し、秋の新人戦なども不参加となった。 松山の街をぶらついていた悦子は、ふと立ち寄ったスポーツ用品店で港山高校の強豪ボート部のエース寺尾梅子と出会い、会話する。港山高校ボート部の戦績は、三津東とは比べ物にならない大会上位常連校でもあったが、意外にも寺尾は三津東を注視していた。日本ボート界で古くから言われているボート競技の精神を表すとされる言葉『一艇ありて一人なし(いっていありて、いちにんなし)』を三津東は体現しているように見えるのだと寺尾は語る。 悦子は皆に連絡をとり、ボート部は練習を再開。ボート部顧問渋川の案を受け、スタートダッシュからの逃げ切り戦術で引退試合となる県大会に挑む。自分たちのベストレコードを更新するほど全てを出し切った三津東であったが、結果は港山に次ぐ2位。 しかし、その大会を見ていた1年生5人が入部希望に現れ、また県大会2位までは四国大会に出場できるということで、悦子たち5人のボート部活動は、もう少しだけ続くのだった。 キャスト(劇場アニメ)学年は初登場時。
スタッフ(劇場アニメ)
主題歌
Webラジオ『雨宮天の「がんばっていきまっしょい」』が、2024年4月18日より松竹アニメYouTubeチャンネルと音泉にて毎月第3木曜日に配信。パーソナリティは村上悦子役の雨宮天[29]。
ノベライズ
コミカライズ黒丸恭介によるコミカライズが『カドコミ』にて2024年9月27日から連載中[32]。
評価
脚注注釈
出典
外部リンク
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