ねじの回転![]() 『ねじの回転』(ねじのかいてん、The Turn of the Screw)は、ヘンリー・ジェイムズの中編小説。1898年発表。古い屋敷、幽霊などゴシック小説の系譜を継ぐ作品であり、ホラー小説の先駆とも言われる。異常状況下における登場人物たちの心理的な駆け引きをテーマとした、心理小説の名作としても知られている。 ジェイムズがカンタベリー大主教から聞いた怪異譚(2人の幼い子どもが住む人里離れた屋敷に、元使用人の悪霊が現れる)が元になっているという[1]。 題名原題にある「screw」は多義的な語で、「turn of the screw」にはねじを回す(ひねる)の他、ひどい状況下でさらに無理を強いる[2]、事態を悪化させる行為、追い打ちといった意味がある。本文冒頭にダグラスの「ひとひねりした効果」(about turn of the screw)という台詞がある。「幽霊話に子どもが登場することで話のねじにひとひねり加える効果があるというなら、子どもが2人になれば?」「2ひねりになるじゃないか!」。 登場人物
内容クリスマスの時期、ある古い屋敷に滞在する人たちが、夕食後に暖炉の周りで物語に興じている。ダグラスは、20年前に死去したある女性が遺した手記を読み始める――― 20歳の「私」は田舎の古い屋敷で住み込みの家庭教師(ガヴァネス)になる。不安な気持ちもあったが、天使のようなフローラと優しい家政婦のグロースさんに歓迎され、一安心する。しかし、兄のマイルズの学校から手紙が届き、マイルズが退学処分になったことを知る。数日後、マイルズは夏休みで屋敷に戻ってくるが、退学になったことは口にせず、「私」も本人に聞くことができない。この無垢な少年が一体どんな悪いことをしたというのだろうか。 間もなく、兄妹と家政婦、使用人しかいないはずの屋敷で、見知らぬ男を見かける。グロースさんの話では使用人だったクイントに違いなかった。クイントは主人が屋敷を出た後、好き勝手に振る舞っていたが、冬のある日、居酒屋からの帰りに転倒し、死亡したという。「私」は幼い2人をクイントの霊から守ることを決意する。 大きな池の近くでフローラと遊んでいるとき、「私」は喪服を着た女の幽霊を見る。前任の家庭教師ジェスル先生に違いない。数か月の間に、度々2人の霊が現れる。2人の霊は兄妹に邪悪な影響を与えており、兄妹はそのことを隠しているのだ。ある日、フローラは1人でボートを使って池の向こうまで行ってしまい、「私」とグロースさんを心配させる。ジェスル先生のことを尋ねるとフローラはひどく反発し、「私」にはもう会いたくないという。フローラとグロースさんには屋敷を出てもらうことにした。 「私」とマイルズは2人で話し合う。退学になった理由を問い詰めると、盗みなどではなく学校で口をすべらせたことが原因だという。そのとき窓越しにクイントの姿が見える。マイルズは男の名を口にする。ようやく白状させた、呪縛は解けたのだ。「私」はマイルズを強く抱きしめるが、やがて彼の小さな心臓が止まっているのに気付いた。 解釈当時の家庭教師(ガヴァネス)の微妙な立場が本作の背景にある。中流の未婚女性にとって家庭教師は数少ない職業の一つであった。他の使用人よりは上位にあるが、主人の家族から見れば雇い人にすぎないという中途半端な立場で、〈余った女〉とも揶揄されていた。川本静子は著書で当時の「余った女」たちの心理を考察している[3][4]。 手記はもっぱら「私」の視点で書かれており、幽霊が見えているのは「私」だけである。実際に幽霊は出たのか、「私」の妄想だったのか、について様々な議論が行われている[5][6]。初めに妄想説を唱えたのはエドマンド・ウィルソンの論文(1934年)で、フロイト的な解釈に基づき、すべては性的に抑圧され神経を病んだガヴァネスが見た幻覚だったとする[7][8]。 最後のマイルズの死について、怪談として読めば、亡霊に呪い殺されたとなるが、ウィルソンは、家庭教師から亡霊の恐怖を吹き込まれた少年がショックのあまり死亡した、とする。家庭教師の強烈な抱擁による窒息死とする説もあり[9]、様々な解釈が可能である。 主な訳書
本作に基づく作品
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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