アストロノウツ
1966年撮影
基本情報 出身地
アメリカ合衆国 コロラド州 ボルダー ジャンル
活動期間
1961年 - 1968年 レーベル
旧メンバー
リッチ・ファイフィールド
ジョン・"ストーム"・パターソン
ボブ・デーモン
デニス・リンゼイ
ジム・ギャラガー
ディック・セラーズ
マーク・ブレッツ
ロッド・ジェンキンス
ロバート・カール・マクレラン
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アストロノウツ 、ないし、アストロノーツ (The Astronauts ) は、1963年 に「サーフィンNo.1 (Baja)」をマイナー・ヒットさせ、その後も数年間、特に日本 で人気を得ていたアメリカ合衆国 のサーフ・バンド である。
彼らは「トラッシュメン と並んで、内陸部である中西部 を代表する1960年代 のサーフ・グループ」と評されている[ 1] 。活動期間のほとんどにおいて、メンバーは、リッチ・ファイフィールド、ジョン・"ストーム"・パターソン、ボブ・デーモン、デニス・リンゼイ、ジム・ギャラガーであった。
日本語 の表記は、日本盤のレコード類では「アストロノウツ 」であるが、英語 の「astronaut」の最後の音節の発音は長母音の「アストロノート」であり、二重母音ではないため[ 2] 、後年の評論などで言及される場合は「アストロノーツ 」とされることもある[ 3] 。また、定冠詞「the」を付けて「ジ・アストロノウツ 」[ 4] 、「ジ・アストロノーツ 」[ 5] と表記する例もある。
経歴
アウトロノウツは、もともと1956年 にコロラド州 ボルダー のボルダー高等学校 (英語版 ) で、ジョン・"ストーム"・パターソン(Jon "Storm" Patterson:ボーカル、ギター)、ロバート・グレイアム・"ボブ"・デモン(Robert Graham "Bob" Demmon、1939年 2月11日 - 2010年 12月18日 [ 6] :ギター)、ブラッド・リーチ(Brad Leach:ドラムス)によって結成されたストームトゥルーパーズ (The Stormtroopers) というグループから発展して成立したバンドである。1961年 、彼らはリチャード・オーティス・"リッチ"・ファイフィールド(Richard Otis "Rich" Fifield:ボーカル、ギター)とディック・セラーズ(Dick Sellars:ギター)を加え、ファシズム を連想させるバンド名(Stormtrooper は「突撃歩兵 」を意味する)に代えて、地元出身の英雄である宇宙飛行士 (Astronaut)スコット・カーペンター への敬意を込めたバンド名にした[ 7] [ 8] 。パターソンはベースに転じ、ドラムスのリーチはジム・ギャラガー (Jim Gallagher) に交代して、アメリカ海軍 に入隊するためバンドを辞めたセラーズに代わって、デニス・リンゼイが加わった[ 9] 。デモン、パターソン、ファイフィールド、リンゼイ、ギャラガーのラインナップで、地元で大きな反響を得、シカゴ や、テキサス州 ダラス にもツアーし、1962年 には小さなレーベルであるパラディウム (Palladium) から、最初のシングル 「Come Along Baby」をリリースした[ 7] 。その後、RCAレコード のある幹部が、地元のナイトクラブ 「the Tulagi」で演奏していた彼らを見て気に入り、契約に至った[ 10] 。
RCAからの最初のシングル「サーフィンNo.1 (Baja)」は、リー・ヘイズルウッド が友人のアル・ケイシー (英語版 ) (ロックンロール のギタリスト、同名のジャズ・ギタリストとは別人)のために作曲した楽曲であった[ 11] 。1963年 はじめにリリースされたアストロノウツ盤は、「典型的なサーフ・インストゥルメンタルで、リバーブ の効いた、重く唸るようなギターと、駆り立てるようなドラムビート」が特徴とされ、『ビルボード 』誌の Billboard Hot 100 に1週だけであったが94位にチャート入りしたが、これがキャリアの頂点であった[ 8] [ 12] 。しかし、その後も一連のシングルをRCAから出し続けたが、これはRCAが、当時流行していたサーフ・ミュージック に乗って、このバンドをザ・ビーチ・ボーイズ のように成功させようとしたためであった。音楽評論家 リッチー・アンターバーガー (英語版 ) は、「このグループは、フェンダー のリバーブレーター を多用し、リズムギター を2本揃えたインストゥルメンタル曲で最も輝いていたが、歌が入る場合は、さほどうまくはいかなかった」と述べている[ 1] 。パターソンとファイフィールドがリードボーカルをとり[ 12] 、ロジャー・クリスチャン (英語版 ) 、ゲイリー・アッシャー 、ディック・デイル 、ヘンリー・マンシーニ などの作品を吹き込んだ[ 1] 。リードギター のファイフィールドは、レコーディングの際にはフェンダー・ジャズマスター を使用し、レオ・フェンダー が個人的にバンドに貸与していたフェンダー・リバーブ・ユニット (英語版 ) の初期のプロトタイプ を装着していた[ 13] 。1965年 の曲「明日の太陽 (Tomorrow's Gonna Be Another Day)」は、1966年 にモンキーズ がアルバム『恋の終列車 (The Monkees )』でカバー した。
一連のシングル やEP盤 と並行して、アストロノウツは、LP盤 (英語版 ) も1963年 5月からの9か月の間に、『Surfin' with The Astronauts 』(アルバム・チャートである Billboard 200 で最高61位)[ 8] 、『Everything Is A-OK! 』(コロラド州デンバー の the Club Baja におけるライヴ・アルバム)、『Competition Coupe 』、『The Astronauts Orbit Campus 』(ボルダーにおけるライヴ・アルバム)の4枚をリリースした。
アストロノウツは、テレビ番組『Hullabaloo 』に何回か出演し、また、『Surf Party 』、『Wild on the Beach 』、『Wild Wild Winter 』、『Out of Sight 』といった、いわゆる「ビーチ・パーティ映画 (英語版 ) 」に他のどんなサーフ・バンドよりも数多く出演した。1964年の映画 『Surf Party 』におけるバンドの演奏について、『Pop Surf Culture 』という本は、「アルトロノウツは、分厚いリバーブの利いたインストゥルメンタル曲「Firewater」と、サーフ系のインストゥルメンタル曲としては最高の録音のひとつといえるテーマ曲「Surf Party」を演奏している」と述べている[ 14] 。(#おもな映画 を参照)
1964年 、RCAは、アストロノウツが日本 でファンを増やしていることに気づいた。アストロノウツはベンチャーズ とともに人気を博し、ビーチ・ボーイズよりもレコードが売れていたことを示したのである。
アルバム5枚と、シングル3枚が、日本ではチャートのトップ10入りを果たし、「Movin'」には「太陽の彼方に 」という日本語題が付けられ、チャートの首位に立った[ 8] 。
翌1965年、初来日を果たし、各地でコンサートを行った。しかし、日本滞在時にサインを求めてきたファンへいたずらを仕掛ける等、素行不良ぶりが祟り、殆どのアストロノウツファンはベンチャーズの支持へ移行した。
アストロノウツは、通算して9枚のアルバムを制作した。1967年 に最後のアルバム『Travelin' Men 』が出る前に、ギャラガーとリンゼイはベトナム戦争 に徴兵 され、代わってマーク・ブレッツ (Mark Bretz) とロッド・ジェンキンス (Rod Jenkins) がバンドに入った。デモンも脱退し、ロバート・カール・マクレラン (Robert Carl McLerran) が代わって加わったが、やがてファイフィールドとパターソンは、1968年 のアジア・ツアーを最後にこのバンド名での活動を止めることを決めた[ 8] [ 9] 。
日本では長年、大瀧詠一の「リー・ヘイゼルウッドがプロデュースした」という誤った思い込み発言で、それを信じた山下達郎や、音楽評論家の萩原健太らが同様の発言をしているが、アストロノウツのレコードは全て名プロデューサーのアル・シュミットがプロデュースしている。
後身のバンド
アストロノウツとしての活動を止めた後、同じメンバー、つまりファイフィールド、パターソン、マクレラン、ブレッツ、ジェンキンスの5人は、サンシャインウォード (SunshineWard) という名義でバンド活動を続け、1967年 に「Sally Go Around The Roses 」というシングルを出した。その後、パターソンが脱退して、音楽業界からも引退し、ファイフィールドとマクレランは、ロニー・ムリリョ (Tony Murillo) とピーター・M・ワイアント (Peter M. Wyant) とともに、新たなグループ、ハードウォーター (Hardwater) を結成した。このバンドは1968年 に、シングル2枚と、アルバム『Hardwater 』をデイヴィッド・アクセルロッド (英語版 ) のプロデュース によりキャピトル・レコード からリリースした[ 8] [ 15] [ 16] 。ファイフィールフドは、プロデューサーのアクセルロッドや、レコーディング・エンジニア のデイヴィッド・ハッシンジャー (英語版 ) の助手役にも回ったが、ハッシンジャーは「エレクトリック・プルーンズ 」というバンドの名義を所有しており、このグループのアルバム『Mass in F Minor 』のために新たなメンバーを探していた。ファイフィールドは、同じコロラド出身のミュージシャン仲間であったリチャード・ウェットストーン (Richard Whetstone)、ジョン・ヘロン (John Herron)、マーク・キンケイド (Mark Kincaid) に声をかけ、彼らはエレクトリック・プルーンズの活動の最後の時期におけるラインナップのひとつを形成した[ 17] 。
再結成
アストロノウツは、地元のコロラド州 ボルダー で一時的に再結成して演奏することがあり、1974年 、1988年 、1989年 に再結成が行なわれた[ 13] 。
後年
アストロノウツが録音した音源を集めたCD4枚のボックスセット『The Complete Astronauts Collection 』が、1997年 にコレクティブルズ・レコード (英語版 ) からリリースされた[ 18] 。
デニス・リンゼイは1991年 に死去した[ 12] 。マーク・ブレッツは、1999年 8月15日 に、54歳で死去した。ボブ・デモンは、カリフォルニア州 コロナド (英語版 ) で教師 となった[ 10] 。デモンは、2010年 12月18日 に、71歳で死去した[ 6] 。
ディスコグラフィ
シングル(アメリカ合衆国)
アストロノウツ
"Come Along Baby" / "Tryin' To Get To You" (Palladium, 1962)
"Baja" / "Kuk" (RCA Victor, 1963)
"Hot-Doggin'" / "Every One But Me" (RCA Victor, 1963)
"Competition Coupe" / "Surf Party" (RCA Victor, 1963)
"Swim, Little Mermaid" / "Go Fight For Her" (RCA Victor, 1964)
"Main Title From 'Ride The Wild Surf'" / "Around And Around" (RCA Victor, 1964)
"I'm A Fool" / "Can't You See I Do?" (RCA Victor, 1964)
"Almost Grown" / "My Sin Is Pride" (RCA Victor, 1965)
"Tomorrow's Gonna Be Another Day" / "Razzamatazz" (RCA Victor, 1965)
"It Doesn't Matter Anymore" / "The La La Song" (RCA Victor, 1965)
"Main Street" / "(In My Car" (RCA Victor, 1966)
"I Know You, Rider" / "Better Things" (RCA Victor, 1967)
サンシャインウォード
"Sally Go Around The Roses" / "Pay The Price" (RCA Victor, 1968)
ハードウォーター
"City Sidewalks" / "Not So Hard" (Capitol, 1968)
"Plate Of My Fare" / "Good Old Friends" (Capitol, 1969)[ 9]
EP盤(アメリカ合衆国)
The Astronauts (Wurlitzer Disco EP Vol I WLP-9-100) 33 Stereo Jukebox EP
The Astronauts (Wurlitzer Disco EP Vol II WLP-10-100) 33 Stereo Jukebox EP
アルバム(アメリカ合衆国)
アストロノウツ
Surfin' With The Astronauts (1963)
Mono LPM-2760/Stereo LSP-2760
Producer - Al Schmitt, Recording Engineer - Dave Hassinger
Side 1
"Baja" (BMI 2:24)
"Surfin'" USA (BMI2:10)
"Misirlou" (BMI 2:08)
"Surfer's Stomp" (ASCAP 2:34)
"Suzie-Q" (BMI 2:02)
"Pipeline" (BMI 2:01)
Side 2
"Kuk" (ASCAP 2:09)
"Banzi Pipeline" (ASCAP 2:00)
"Movin'" (BMI 1:56)
"Baby Let's Play HOuse" (BMI 2:26)
"Let's Go Tripin'" (ASCAP 1:58)
"Batman" (BMI 1:50)
Rating: In May 1963 album reached # 61 on the Billboard 200 album chart[ 8]
Everything Is A-OK! (1963)
"Wine, Wine, Wine"
Competition Coupe (1963)
Astronauts Orbit Kampus (1964)
"Linda Lou"
The Astronauts Orbit Campus - Live (1964) recorded live at The Tulagi in Boulder, CO, February 27 - March 1, 1964) - both USA and UK release.[ 9]
Rockin' With The Astronauts (1965) – limited edition promo LP available with Lipton 's Iced Tea
Go...Go...Go!! (1965)
(Favorites) For You, (Our Fans), From Us (1965)
Down The Line (1966)
Travelin' Men (1967)
ハードウォーター
シングル(日本)
EP盤(日本)
ホット・ロッド・パーティー (Victor SCP-1107) 33 Stereo EP
「ホット・ロッド・パーティー (El Aguila)」「スティングレー (Stingray)」「ギヤーは叫ぶ (The Hearse)」「ハッピー・ホー・ダディー」の4曲入り
Hit Parade Victor SCP-1209 33 Stereo EP
Movin' (Victor SRS-13) 33 Stereo EP with gatefold cover
The Astronauts (Victor SCP-1111) 33 Stereo EP
眞夏のリズム/サーフィン!! (Victor CP-1128) 33 Stereo EP
「太陽の彼方に」「パイプライン」「サーフィン野郎」「レッツ・ゴー・トリッピン」の4曲入り
ゴー・ファイト!! (Victor SCP 1191) Stereo EP
アルバム(日本)
真夏のリズム~サーフィン! (Surfin' with The Astronauts )
若さで行こう! (Everything Is A-OK! )
ホット・ロッド
アストロノウツだ!! 若さだ!! ビートだ!! (Go...Go...Go!! ) (1965年)
アストロノウツ・イン・ジャパン (The Astronauts in Japan )(1966年)
太陽の彼方に (Movin' ) - 大瀧詠一 監修のベスト・アルバム
このほか、様々なベスト盤、他のアーティストとのコンピレーション盤などが出ている
CDアルバム
アストロノウツ
Rarities (1991) - ドイツ盤
The Complete Astronauts Collection (1997) - アメリカ合衆国盤[ 19]
脚注
^ a b c d e f Unterberger, Richie. The Astronauts | Biography & History - オールミュージック . 2021年7月29日閲覧。
^ “astronaut ”. weblio英和和英辞典. 2016年7月13日閲覧。
^ 佐藤剛 (2015年1月10日). “TAP the DAY エレキ・ブームが日本で爆発したアストロノーツとベンチャーズの合同公演 ”. TAP the POP. 2016年7月13日閲覧。
^ “太陽の彼方に ジ・アストロノウツ ”. billboard-japan/阪神コンテンツリンク. 2016年7月13日閲覧。
^ “アストロノーツ in 長岡 ”. 新潟ELDER. 2016年7月13日閲覧。
^ a b Bob Demmon at FindAGrave.com . Accessed 22 April 2011
^ a b Mel Fenson, When The Astronauts Played Tulagi , Colorado Magazine Online . Accessed 22 April 2011
^ a b c d e f g G. Brown, Colorado Rocks!: A Half-Century of Music in Colorado , p.1959 . Accessed 22 April 2011
^ a b c d e www.WangDangDula.com: The Astronauts: discography and information . Accessed 22 April 2011
^ a b Boulder Daily Camera: Obituary, Robert Graham Demmon . Accessed 22 April 2011
^ Del Halterman, Walk - Don't Run - The Story of the Ventures , 2009, p.113 . Accessed 22 April 2011
^ a b c Whitburn, Joel (2003). Top Pop Singles 1955–2002 (1st ed.). Menomonee Falls, Wisconsin: Record Research Inc.. p. 27. ISBN 0-89820-155-1
^ a b Seymour Duncan Q&A, No. 82 . Accessed 22 April 2011
^ Chidester, Brian & Priore, Domenic (2008), pg 168.
^ David Axelrod: HardWater Archived 2011年7月21日, at the Wayback Machine .. Accessed 22 April 2011
^ BadCat Records: Review of Hardwater . Accessed 22 April 2011
^ The Electric Prunes: Biography, Part 7 . Accessed 22 April 2011
^ Bradley Torreano, The Legendary Group at Their Best , Allmusic.com . Accessed 22 April 2011
^ www.oldies.com: The Astronauts , 4CD box set, Released: November 18, 1997 - Item Number: COL 2708
参考文献
Chidester, Brian & Priore, Domenic (2008). Pop Surf Culture: Music, Design, Film, and Fashion from the Bohemian Surf Boom USA: Santa Monica Press pg 171-172. ISBN 1-59580-035-2