アデイニー・エチェバリア
アデイニー・エチェバリア・バレラ(Adeiny Hechavarría Barrera,英語発音: /əˈdeɪni ɛʧəvɑˈriɑ/[2]、1989年4月15日 - )は、キューバ共和国サンティアーゴ・デ・クーバ州サンティアーゴ・デ・クーバ出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。メキシカンリーグのタバスコ・オルメクス所属。 愛称は「ラ・パンテーラ(La Pantera)」[3]、「エッちゃん」[4]。 経歴キューバ時代キューバでは国内リーグ「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」のアビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバに所属していた。2008年にジュニアナショナルチーム入り。 ブルージェイズ時代![]() (2012年8月24日) 2009年9月にボートに乗ってキューバから亡命し、メキシコへ渡った[5]。ドミニカ共和国で居住権を確立した後、2010年4月13日にMLBのトロント・ブルージェイズと4年総額1000万ドルの契約を結び[6]、入団した。 2010年は最終的にはマイナーリーグのAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツまで昇格した。 2011年のスプリングトレーニング中のオープン戦では7試合の出場で打率.214、OPS.567と不振で、AA級ニューハンプシャーで開幕を迎えた。この年はAA級ニューハンプシャーで打率.235、6本塁打、OPS.622の成績に終わった。 2012年はシーズン序盤からAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーし、102試合で打率.312、6本塁打、OPS.788を記録した。AAA級のオールスターゲームにも選ばれた。8月4日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。この年メジャーでは41試合に出場して打率.254、2本塁打、15打点を記録した。 マーリンズ時代![]() (2016年4月11日) 2012年11月13日にジョシュ・ジョンソン、マーク・バーリー、ホセ・レイエス、ユネル・エスコバーら総勢11人が動く大型トレードで、マイアミ・マーリンズへ移籍した[7]。 2013年は、トレードで移籍したレイエスに代わって遊撃のレギュラーで起用され、148試合に出場して規定打席に到達した。ところが打撃面では打率、出塁率ともに低率に終わり、盗塁も10回失敗した。オフに打撃改造に取り組み、強いライナーを放てるようになり、2014年は2年連続で規定打席に達して打率.276まで上昇した[8]。盗塁は減少したが、ナショナルリーグ2位となる10三塁打を放った。 2015年、130試合に出場したが、規定打席には到達しなかった。しかし、打率は2年連続で向上して.281となり、5本塁打、48打点も自己最多だった。 2016年はキャリアハイの155試合に出場し、打率.236、3本塁打、38打点、1盗塁を記録した。 2017年は、左右両方の腹斜筋の張りで2度の故障者リスト入りもあり、マーリンズでは20試合の出場に留まった[9][10]。 レイズ時代2017年6月26日にブラクストン・リー、イーサン・クラークとのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[11]。 2018年8月1日、前日加入したトミー・ファムをアクティブ・ロースターに登録させるためDFAとなった[12]。 パイレーツ時代2018年8月6日にマット・セーリンガーとのトレードで、金銭と共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[13]。 ヤンキース時代2018年8月31日に後日発表選手または金銭とのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[14]。オフの10月29日にFAとなった[9]。 メッツ時代![]() (2019年3月3日) 2019年2月18日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[15]。開幕は傘下のAAA級シラキュース・メッツで迎え、5月3日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[16]。8月9日にDFAとなり[17]、14日にFAとなった[9]。 ブレーブス時代2019年8月16日にアトランタ・ブレーブスとメジャー契約を結んだ[18]。オフの10月31日にFAとなった[19]が、2020年1月16日にブレーブスと1年100万ドルで再契約を結んだ[20]。 2020年オフの10月28日にFAとなった[21]。 ロッテ時代2020年12月24日、千葉ロッテマリーンズが年俸1億円(推定)の1年契約で獲得したと発表した[22][23]。 2021年は、新型コロナウイルスの影響で来日が3月26日まで遅れ[24]、待機期間を終えた4月10日に入団会見を開きチームに合流した[25]。その後、二軍での調整を経て4月30日に一軍登録され、同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)に「7番・遊撃手」として来日初出場し、2回表の来日初打席で涌井秀章から四球を選んだ[26]。しかし、2回裏の来日初の守備機会では適時失策を喫し、チームも敗戦した[27]。それでも、翌5月1日の同カードでは田中将大から来日初安打を放つと[28]、5月12日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡PayPayドーム)では2点を追う9回裏1死2,3塁で代打として打席に立つと、リバン・モイネロから適時打を放ち、来日初打点を記録[29]。その後も主に下位打線や守備固めとして出場していたが、「8番・遊撃手」として出場した5月29日の広島東洋カープ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、ロベルト・コルニエルから来日初本塁打を放つなど5打数3安打5打点と活躍し、初めて本拠地でヒーローインタビューを受けた[30]。5月31日に右肩痛のため登録抹消となったが[24]、7月5日に一軍復帰すると、同日の楽天戦(ZOZOマリン)に「6番・遊撃手」として先発出場[31]。復帰後2打席目に本塁打を放つなど[32]、7月は7試合の出場で2本塁打、OPS.815と好調を維持した[33]。7月中旬から東京オリンピック開催に伴いシーズンが中断されると、レオネス・マーティンやフランク・ハーマンらチームの外国人が帰国する中[34]、中断期間中に行われたエキシビションマッチに帯同し、序盤は4番として出場した[33]。しかし、8月中旬にシーズンが再開されると、8月は打率.188、OPS.510と結果を残せず、守備からの出場が主となった。さらに、8月22日以来となるスタメン出場となった9月7日のオリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では、福田周平が佐々木千隼から放った打球をファンブルし同点を許すと、チームもその後逆転負けを喫し、首位陥落となった[35]。それでも、9月20日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)ではピンチの場面で西川遥輝が佐々木千隼から放った打球をダイビングで好捕するなど[36][注 1]、好守備で度々チームを救った[37]。打撃面では、最終的に79試合の出場で打率.203、4本塁打、24打点と課題を残したが、8月20日のソフトバンク戦(PayPayドーム)では同点の9回に勝ち越し3点本塁打を放ったり[38]、クライマックスシリーズファーストステージ第1戦では、楽天の松井裕樹から8回二死から同点本塁打を放ったりするなど[39][注 2]、チームの勝利に直結する打点を挙げることが多かった[40]。シーズンオフの12月2日には、保留選手名簿から外れ自由契約となったが[41]、球団は再契約の意向を示し[42]、12月25日に再契約することが発表された[40]。 2022年は守備面での貢献度は高かったものの[43]、打撃面では76試合に出場して打率.222、2本塁打という成績にとどまり、オフの12月2日に自由契約公示された[44]。 ブレーブス傘下時代2023年2月1日、来日前にも所属していたアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが[9][45]、シーズン開幕前の3月23日に自由契約となった[9][46]。 独立リーグ時代2023年4月11日、アメリカ独立リーグ・アトランティック・リーグに所属するロングアイランド・ダックスに入団したことが発表された[47]。背番号は18。ダックスでは38試合に出場し、打率.297、7本塁打、34打点を記録した。 ロイヤルズ傘下時代2023年6月16日にダックスとの契約がカンザスシティ・ロイヤルズに買い取られ、移籍することになった[48]。AAA級オマハ・ストームチェイサーズに配属された。 メキシカンリーグ時代2023年12月22日、メキシカンリーグのタバスコ・オルメクスへ入団することが発表された[49]。 プレースタイルサンティアーゴ・デ・クーバでもキューバ代表の遊撃手であるルイス・ナバスの控えだったが、打撃が好調な時期にはナバスを二塁に回し、エチェバリアが遊撃手で起用されるほど、守備能力を買われていた。 走塁技術も優れている[50]。 人物アメリカ合衆国に来た当初に一番辛かったことは英語への適応だったと語っているが、ラテン系の友人らのお陰もあり、現在では日常会話程度はできるようになっている[51]。 モデルのアリソン・ボウルズと婚約しており、彼女がミスUSAのミズーリ州代表に選ばれたら結婚する予定だが、これまで2019年3位、2020年2位と推移している[52][53]。2022年8月に婚約を解消したことが発表された[54]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
登場曲
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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