杉浦稔大
杉浦 稔大(すぎうら としひろ、1992年2月25日 - )は、北海道帯広市出身[2][3]のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 妻はフリーアナウンサーで、モーニング娘。元メンバーの紺野あさ美。 経歴プロ入り前小学校3年生から野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属していた。野球と並行し、中学時代までアイスホッケー選手[4]としても活躍した。帯広大谷高等学校野球部3年時には決勝まで進んだ。しかし、決勝で後に大学でチームメイトとなる柿田竜吾を擁する旭川大学高等学校に敗れた。その後、プロ志望届を提出したが指名漏れとなる[3]。 (2013年10月17日、明治神宮野球場にて) 高校卒業後は東都大学野球連盟に加盟する國學院大學(文学部)に進学。硬式野球部では、竹田利秋(1年の春季までは監督、後に総監督)の指導を受ける。 2年の春季リーグ戦から試合に出場[5]したが、チームはリーグ戦優勝の翌季に最下位・入れ替え戦にも敗北した[6]。2年秋季は出番がなかった。 3年春季からエース格となり、2部で3勝、2完封を記録し、2部優勝に貢献した。日本大学との入れ替え戦では國學院が1戦目敗戦の後、2戦目に先発登板し、完投勝利。1勝1敗のタイに持ち込んだ3戦目は4-4の同点で迎えた7回表の途中からリリーフ登板。7回裏にチームが勝ち越し、8回表に1点差まで迫られたが後続を断ち、接戦を逃げ切り勝利投手となり、3季ぶりの1部復帰を決めている[7]。1部に復帰した3年の秋季は1部の投手の中で最長となる48回2/3イニングを投げ、2完封を含む4勝を挙げた。この頃には日々のトレーニングにより球速が高校時代と比較し、10km/h以上もアップ[3]。長いリーチを活かしたゆったりとしたフォームで、140km/h台後半のキレのある直球と多彩な変化球で注目を集め、ドラフト1位候補の逸材と評された[8]。 4年の春季は怪我もあり成績を落としたが、リーグ戦後には第39回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている[9]。4年の秋季には柿田竜吾と左右のWエースを形成。リーグ戦後半まで亜細亜大学との熾烈な優勝争いを演じ、チームの躍進と2位浮上に貢献した。東都大学野球1部リーグでは通算22試合に登板し12勝7敗、防御率1.84[10]。 2013年10月20日行われたドラフト会議では、それぞれ松井裕樹、大瀬良大地を抽選で外した福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズの2球団から1位指名を受け抽選の末、ヤクルトが交渉権を獲得[11]。12月2日に契約金1億円プラス出来高払い、年俸1500万円(金額は推定)で契約した[12]。背番号は18[12]。 ヤクルト時代![]() (2014年7月21日 ヤクルト戸田球場) 2014年は春季キャンプを一軍で迎えたが登板予定だった2月25日の練習試合の前に右肘を痛め、以降は二軍で調整を続けるも、3月14日に受けた検査で右肘の靭帯断裂が判明[13]。手術は受けずにリハビリに励み、7月21日の二軍戦で実戦復帰し[14]、9月10日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初登板初先発。初回先頭打者に被弾を許しながらも[注 1]6回2失点と好投したが、打線の援護に恵まれず敗戦投手となった[16]。9月24日の広島東洋カープ戦ではソロ本塁打3発で3失点を喫しながらも5回を投げ切り、プロ初勝利を挙げた[17]。ルーキーイヤーは一軍で4試合に先発登板し、2勝2敗・防御率3.52を記録。オフに100万円増となる推定年俸1600万円で契約を更改した[18]。 2015年は開幕ローテーション入りを果たし、開幕3試合目の広島戦でシーズン初登板初先発。6回1失点と好投するも敗戦投手となり[19]、以降の先発登板でも好投しながらも打線の援護がなく、開幕から3戦3敗を喫した[20][21]。4月19日のDeNA戦では4回3失点で勝敗は付かず[22]、翌20日に右肩痛で登録抹消[23]。その後は右肘も痛めるなど、コンディション不良で二軍調整が長く続いたが、9月21日の阪神タイガース戦で一軍へ昇格し[24]、同28日の中日ドラゴンズ戦ではシーズン初勝利を挙げた[23]。10月4日の読売ジャイアンツ戦ではプロ初のリリーフ登板となり[25]、この年は7試合(6先発)の登板で1勝3敗・防御率2.92を記録。ポストシーズンでは、巨人とのCSファイナルステージ第4戦に先発し、5回6安打2失点の内容で勝利投手[26]。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズ第3戦でも先発を務めた[27]。オフに100万円増となる推定年俸1700万円で契約を更改した[28]。 2016年はリリーフとして開幕を一軍で迎えるも[29]、4月13日に登録抹消[30]。6月19日に先発として一軍へ昇格するも[31]、7月27日の阪神戦では4回途中7失点で敗戦投手となり、二軍へ降格[32]。8月11日に再び一軍へ昇格し、同日の中日戦では7回2失点の好投で勝利投手となるも、腰痛により8月18日に登録抹消[33]。同30日の一軍復帰[34]以降は先発ローテーションの一角を任されるも振るわず、この年は17試合(11先発)の登板で3勝2敗・防御率7.14という成績に終わった。オフに背番号が58へ変更され[35]、契約更改では200万円減となる推定年俸1500万円でサインした[36]。 2017年は開幕を二軍で迎え、4月2日にリリーフとして一軍へ昇格するも[37]、同29日に登録抹消[38]。その後は右肩痛もあり、一軍昇格がなく、前半戦を終え、5試合の登板で0勝1敗・防御率3.86という成績にとどまっていた[39]。 日本ハム時代2017年7月24日、屋宜照悟との交換トレードで北海道日本ハムファイターズヘ移籍することが発表された[40][41]。背番号は57[42]。移籍後は右肩痛のリハビリに専念したため、実戦登板がなく、オフに160万円減となる推定年俸1460万円で契約を更改した[43]。 2018年は7月21日のソフトバンク戦で移籍後初登板初先発を果たし、5回を無安打無失点に抑え、移籍後初勝利を挙げた[44]。この年のシーズンは一軍で3試合に先発し、2勝0敗・防御率2.84を記録。オフに160万円増となる推定年俸1600万円で契約を更改した[45]。 2019年は右肩のコンディションを考慮され、前半戦は中10日以上の間隔を空けて先発していたが、後半戦からは中6日での先発ローテーション[46]をこなし、この年は14試合の先発で4勝4敗・防御率3.74を記録。オフに400万円増となる推定年俸2000万円で契約を更改した[47]。 2020年は新型コロナウイルスの影響で開幕が延期、120試合制の短縮シーズンとなった。先発ローテーションの一角として13試合に先発登板して6勝を記録すると、シーズン終盤には抑えとして起用され[48]、11月9日の千葉ロッテマリーンズ戦ではプロ初セーブを挙げた[49][50]。この年は17試合(13先発)の登板で7勝5敗1セーブ・防御率3.13という成績を残し、オフに1700万円増となる推定年俸3700万円で契約を更改した[48]。 2021年の春季キャンプで栗山英樹監督から新守護神に指名され[51]、開幕から抑えとして起用されていたが、不安定な投球が目立ち、4月29日に登録抹消[52]。5月11日に再び一軍へ昇格し[53]、前半戦終了時点でリーグ3位の16セーブを記録[54]。後半戦が開幕した8月は疲労で調子を落とし[55]、10日間の登録抹消を挟んだ[56][57]後は復調し、大きな故障もなく、シーズンを完走した。一時は8回を務めたこともあったが[58]、基本的には守護神として起用され、56試合の登板で3勝3敗1ホールド28セーブ・防御率2.96を記録したものの、要所で本塁打を打たれる場面が目立った[59][60][61]。オフに背番号が22へ変更されることが発表され[62]、契約更改では3300万円増となる推定年俸7000万円でサインをした[63]。 2022年は左太ももの肉離れで出遅れ[64]、開幕一軍メンバーには入ったものの[65]、開幕戦で敗戦投手になるなど、不安定な投球が続いた[66][67]。4月24日のソフトバンク戦では2シーズンぶりの先発登板となったが[68]、3回2失点で降板し、敗戦投手となった[69]。続く5月1日のロッテ戦でも先発マウンドに上がり、5回3安打1四球6奪三振無失点の好投で577日ぶりの先発勝利を挙げた[70]。ただ、その後は2試合続けて試合中盤に突如崩れて敗戦投手となり[71][72]、6月11日の中日戦では6回無失点の好投で勝利投手となったものの[73]、登板機会が無いため翌12日に出場選手登録を抹消された[74]。その後はローテーションの谷間での2先発にとどまり[75][76]、この年は16試合(9先発[77])の登板で3勝6敗・防御率5.27という成績であった。オフに1000万円減となる推定年俸6000万円で契約を更改した[78]。 2023年は春季キャンプからリリーフとして調整を進め[79]、開幕は二軍で迎えたものの、4月26日に出場選手登録[80]。セーブやホールドが付かない場面での登板が中心ながらも[81]、前半戦終了時点では20試合に登板し、0勝1敗・防御率1.93を記録していた[82]。ただ、7月30日のオリックス・バファローズ戦で1回2安打1失点[83]。続く8月3日のロッテ戦でも1回2被弾2失点と打ち込まれ[84]、翌4日に出場選手登録を抹消された[85]。9月28日に再登録されて[86]シーズン終了まで一軍に帯同したが、登板機会は無く、この年は24試合の登板で0勝1敗・防御率2.78という成績であった。オフに800万円減となる推定年俸5200万円で契約を更改した[87]。 2024年は2年ぶりに開幕を一軍で迎えると[88]、開幕から17試合連続で自責点0[89]。4月23日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で3年ぶりのセーブを挙げるなど[90]、6月26日の登板を終えた時点では25試合に登板し、1勝0敗9ホールド2セーブ・防御率0.42と好成績を残していた[91]。ただ、続く同30日のソフトバンク戦では2点ビハインドの8回表から登板するも、2安打2四球で一死も奪えずに4失点(自責点3)で降板[92]。その後も救援失敗が目立ち[93][94]、7月17日に出場選手登録を抹消された[89]。9月1日に再登録されると[95]、レギュラーシーズン終了まで9試合連続無失点で5ホールドを記録[96]。この年は40試合に登板し、2勝0敗15ホールド3セーブ・防御率1.56という成績[97]でリーグ2位となったチームの躍進を支えた[98]。ポストシーズンでもベンチ入りし、ソフトバンクとのCSファイナルステージ第1戦に登板[99]。オフに1800万円増となる推定年俸7000万円で契約を更改した[98]。 2025年も開幕を一軍で迎え[100]、3月29日の西武戦で1点リードの8回裏からシーズン初登板となったが、2/3回を2安打1四球1失点で救援失敗[101]。その後は5試合連続無失点に抑えるも、4月16日のロッテ戦で0-0の6回裏、一死一・二塁で山本大斗を迎えた場面で登板し、初球をレフトスタンドに運ばれ、先制かつ決勝の3点本塁打で救援失敗[102]。さらに、続く同22日の楽天戦では1点リードの8回表から登板し、浅村栄斗・フランコに2者連続本塁打を被弾するなど、1アウトも奪えずに3失点(自責点2)で敗戦投手となり[103]、翌23日に出場選手登録を抹消された[104]。 選手としての特徴柔軟性のある投球フォームから球持ち良く放たれるストレート[105]はきれいな球筋で回転数も多く、球速だけでは計れないキレと力強さがある[106]。最速は159km/h[107]。 変化球はスライダー・フォーク・カーブなどを投じる[108]。 プロ入り後は右肘や右肩の故障に悩まされ[13][23][39]、シーズン投球回数のキャリアハイは2020年シーズンの74回2/3[109]と規定投球回に到達したことがない。加えて、先発としての自己最長イニングも7回1/3[110]と完投をしたこともない。主に、守護神として起用された2021年シーズンは疲労から登録抹消や8回への配置転換を経験しており[53][58]、シーズンを通してパフォーマンスを維持する耐久性に不安を抱えている[111]。 人物愛称は「スギ」[112]。 2017年の元日に元モーニング娘。5期メンバーで当時テレビ東京アナウンサーであった紺野あさ美と結婚し[113]、同年7月の日本ハム移籍後の同年9月に第1子となる女児が誕生[114]。2019年2月に第2子となる男児[115]、2021年8月に第3子となる男児[116]、2024年8月に第4子となる女児が誕生している[117]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号代表歴脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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