アドニス・ガルシア
アドニス・ガルシア・アリエータ(Adonis García Arrieta, 1985年4月12日 - )は、キューバ共和国シエゴ・デ・アビラ州出身の元プロ野球選手(二塁手、三塁手、外野手)。右投右打。 弟のアドリス・ガルシアもプロ野球選手。 経歴キューバ時代キューバの国内リーグであるセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルに出場当初は傑出した成績ではなかったが、2005-2006シーズンのみ隣州チームのナランハス・デ・ビジャ・クララに移籍。元のティグレス・デ・シエゴ・デ・アビラ所属に戻った翌2006-2007シーズンから頭角を表し、リーグ屈指の内野手に成長した。 国際大会では、2009年7月のロッテルダムで開催されたワールドポート・トーナメントにB代表の一員として参加し、三塁手としてベストナインに輝いた。 2011年1月、ベネズエラへ亡命した[1]。2011年から2012年にかけての冬の時期はベネズエラのウィンターリーグ"リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル"のこのシーズンの優勝チーム、ナベガンテス・デル・マガリャーネスでプレー。カリビアンシリーズでも93打数で打率.376と活躍し、オールスターチームの中堅手に選出された[2]。 2011年8月に居住権を確立する際に虚偽の身分証明書を提出したとして、メジャーリーグベースボール(MLB)から6ヶ月間の署名資格剥奪処分を受けた。 プロ入りとヤンキース傘下時代2012年5月2日にニューヨーク・ヤンキースと1年40万ドルのマイナー契約を結んだ[3]。A+級タンパ・ヤンキースで20試合に出場し、打率.236・1本塁打・15打点だった。8月にAA級トレントン・サンダーへ昇格。同球団では28試合に出場し、打率.288・4本塁打・14打点・2盗塁だった。 2013年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース(ヤンキース1・ヤンキース2)でプレー後、7月にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースへ昇格。AAA級スクラントン・ウィルクスバリでは50試合に出場し、打率.256・3本塁打・10打点・4盗塁だった。 2014年もAAA級スクラントン・ウィルクスバリでプレーし、86試合に出場して打率.319・9本塁打・45打点・11盗塁だった。 ブレーブス時代2015年4月9日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスに配属された[5]。5月18日にメジャー初昇格を果たし[6]、翌19日のタンパベイ・レイズ戦でメジャーデビュー[7]。以後、三塁手のレギュラー格の1人として起用され、58試合の出場ながら10本塁打を放った。一方で、選んだ四球が僅かに5つで出塁率は.300に届かず、選球眼に課題を残した。守備は粗く、42試合で守りに就いて10失策 (守備率.896) ・DRS -3という内容だった。 2016年は同じキューバ出身のエクトル・オリベラが左翼手へコンバートされ、正三塁手となった[8]。同年は134試合に出場して規定打席にも到達し、打率.273・14本塁打・65打点・3盗塁・OPS0.717を記録した。2年連続2ケタ本塁打をクリアしたが、出場試合数からすれば生産ペースが低下した。サードの守備はイマイチで、123試合で全ポジションでもワースト4位タイの18失策を犯し、守備率.939・DRS -7・UZR -1.8という内容だった。また、4試合で守ったレフトではDRS -2・UZR -0.5だった。 LGツインズ時代2018年1月13日にKBOリーグのLGツインズと契約した。 同年は故障が相次ぎLGで50試合の出場にとどまった。同年限りで退団した。 メキシカンリーグ時代2019年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約した。5月8日にFAとなる。7月2日にティフアナ・ブルズと契約した。7月29日にトレードでドゥランゴ・ジェネラルズに移籍。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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