スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース
スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース(Scranton/Wilkes-Barre RailRiders, 略称SWB)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ラッカワナ郡ムージック(スクラントン・ウィルクスバリ都市圏内)に本拠地をおくマイナーリーグの野球チームである。 メジャーリーグベースボールのニューヨーク・ヤンキース傘下AAA級チームで、インターナショナルリーグでプレーしている。本拠地球場はPNCフィールド。 1989年から2006年まではスクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズというチーム名でフィラデルフィア・フィリーズの傘下だったが、2007年からヤンキース傘下となりロゴやユニフォーム、チーム名をスクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに変更するなど一新。2012年にはPNCフィールドを改装することになり、使用できなくなったためにチーム名を一時的にエンパイアステート・ヤンキースに変更した。同年、チーム名を変更することになったため一般公募した結果、路面電車発祥の地ということに因んで2013年より現在のチーム名を使用することが決定した。 歴史スクラントン移転以前1919年、ペンシルベニア州のレディングに「レディング・コールバロンズ」として設立された。 1920年、「レディング・マーリンズ」に改名。 1921年、「レディング・エーシズ」に改名。 1923年、「レディング・キーストーンズ」に改名。 1932年の8月にニューヨーク州のオールバニに移転し、「オールバニ・セネタース」に改名。 1937年にニュージャージー州のジャージーシティに移転し、「ジャージーシティ・ジャイアンツ」に改名。ニューヨーク・ジャイアンツと提携。 1951年、オンタリオ州のオタワに移転し、「オタワ・ジャイアンツ」に改名。 1952年、フィラデルフィア・アスレチックスと提携し、チーム名を「オタワ・アスレチックス」に改名。 1955年にオハイオ州のコロンバスに移転し、「コロンバス・ジェッツ」に改名。 1957年、ピッツバーグ・パイレーツと提携。 1971年にウエストバージニア州のチャールストンに移転し、「チャールストン・チャーリーズ」に改名。 1977年、ヒューストン・アストロズと提携。 1980年、テキサス・レンジャーズと提携。 1981年、クリーブランド・インディアンスと提携。 1984年、メイン州のオールドオーチャードビーチに移転し、「メイン・ガイズ」に改名。 1987年、フィラデルフィア・フィリーズと提携。ペンシルベニア州・スクラントンの「ノースイースト・ベースボール社」が球団を買収。 1988年、「メイン・フィリーズ」に改名。 スクラントン移転後1989年、スクラントンに移転し、「スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズ」に改名。 1992年、地区優勝を果たす。 1999年、2度目の地区優勝を果たす。 2002年、3年ぶり3度目の地区優勝を果たす。 2006年、4年ぶり4度目の地区優勝。シーズンオフの9月21日に球団が2007年シーズンからニューヨーク・ヤンキースと2年契約で提携することを発表[1]。12月12日には「スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキース」に改名することを発表した[2]。 2007年、2年連続5度目の地区優勝を果たした。 2008年、3年連続となる地区優勝を果たし、ガバナーズ・カップでダーラム・ブルズを破り初のリーグ制覇を達成。オフの12月15日にクリステン・ローズが社長に就任したことを発表した[3]。 2009年、4年連続となる地区優勝を果たしたが、チャンピオンシップでブルズに敗れた。 2010年5月20日に球団がヤンキースとの提携を2014年まで延長したと発表[4]。シーズンは5年連続となる地区優勝を果たすも、準決勝でコロンバス・クリッパーズに敗れる。オフの11月10日に球団が本拠地・PNCフィールドを4000万ドルで改修することを発表した[5]。 2011年は北地区3位(リーグ7位)でプレーオフ進出を逃した。 2012年、ラッカワナ郡がニューヨーク・ヤンキースとマンダレー・ベースボールが共同経営する「SWBヤンキース」に球団を1460万ドルで売却。7月9日にはロブ・クレインが球団社長兼ゼネラルマネージャーに就任した[6]。本拠地・PNCフィールドが改修中のため、大半は同リーグに所属するAAA級ロチェスター・レッドウイングスの本拠地「フロンティア・フィールド」(ニューヨーク州ロチェスター)を使用した[7]。その他、「ドワイアー・スタジアム(A級バタビア・マックドッグス本拠地)」、「NBTバンク・スタジアム」、「コカ・コーラ・フィールド」、「コカ・コーラ・パーク」、「マッコイ・スタジアム」の5球場を使用した。チームは2年ぶりの地区優勝を果たし(リーグ2位)、プレーオフに進出したが、ポータケット・レッドソックスとの準決勝で1勝3敗となり、決勝進出を逃した。11月14日、チーム名を2013年シーズンから「スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース」に改名することを発表した[8]。 2013年7月25日のトレド・マッドヘンズ戦で1対1のまま移転後最長となる延長20回に突入し、ランディ・ルイーズの本塁打で勝利した[9]。シーズンは首位と12.5ゲーム差の北地区5位(リーグ10位)に沈んだ。 2014年は2年連続で北地区5位(リーグ11位)と低迷。9月3日にはオーナーのマンダレー・ベースボール社が、地元の投資団体であるSWBインベスターズ合同会社に50%の所有権を売却することを発表した[10]。 2015年は81勝(63敗)で5年ぶりの北地区優勝(リーグ3位)を果たし、3年ぶりのプレーオフ出場となった。しかし、インディアナポリス・インディアンスとの準決勝で0勝3敗に終わり、チームは敗退した。 2016年は2年連続となる北地区優勝(リーグ1位)でレギュラーシーズンを終え、プレーオフへ進出。準決勝のリーハイバレー・アイアンピッグス戦を3勝0敗で下すと、決勝のグウィネット・ブレーブス戦も3勝1敗で勝ち越し、8年ぶりのリーグ優勝を果たした[11]。9月20日に行われたエル・パソ・チワワズとのAAAベースボールナショナルチャンピオンシップでは3対1で勝利し[12]、初のクラス優勝を果たした。 2017年も3年連続で北地区優勝(リーグ1位)でレギュラーシーズンを終え、プレーオフへ進出した。 選手名鑑現役選手主な過去所属選手
年度別成績
脚注
外部リンク
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