アブー・ダーウード・シジスターニー![]() アブー・ダーウード・シジスターニー(Abū Dāwūd al-Sijistānī, 817年 - 889年)は、9世紀のハディース学者[1][2]。預言者ムハンマドの言行録集『スナン・アビー・ダーウード』(Sunan ‘Abī Dāwūd)を編纂した[2]。同言行録集は、イスラーム教スンナ派のムスリムが「両真正集」(al-Ṣaḥiḥayn)と呼んで重視するブハーリーとムスリムの「サヒーフ」に次ぐ権威として認識されており、スンナ派の「六大伝承集」の一つに数えられる[2]。 生涯アブー・ダーウードの名前は、より詳しくは、アブー・ダーウード・スライマーン・ブヌル・アシュアス・アズディー・シジスターニー(Abū Dawud Sulaymān b. al-Ash‘ath al-Azdī al-Sijistānī, أبو داود سليمان بن الأشعث الأزدي السجستاني)という[1]。 アブー・ダーウードは、ヒジュラ暦202年(西暦817年又は818年)にスィジスターン(スィースターン)の富裕な家に生まれた[1]。西暦835年にアッバース朝のみやこバグダードへ行き、その後の15年間(西暦850年ごろまで)、イラク、エジプト、ヒジャーズ、シリアを旅してまわったようである[1][3]。旅の目的は預言者ムハンマドの伝承(ハディース)を収集することにあった[1]。アブー・ダーウードは50万話以上の伝承を収集し、その中から4,800話を選んで自著『スナン・アビー・ダーウード』に収録した[3]。 アブー・ダーウードは、西暦889年にバスラで没した[1]。 思想アブー・ダーウードが奉じた法学派は、ハンバリー法学派とされるが、シャーフィイー法学派であったとする説もある[4]。アブー・ダーウードの関心の中心は法(フィクフ)にあり、そのため、彼の収集したハディースの大部分は法的なものに集中している。 アブー・ダーウードは、知的で洞察力にすぐれた者ならば、自著に収録したハディースのうち、特定の4つの伝承のみで充分であると言ったとされる[5]。その4つとは、次のものである。
著作![]() アブー・ダーウードは21冊あまりの著作を残した。主要な著作としては以下のものがある。
注釈
出典
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