アマナキ・レレィ・マフィ
アマナキ・レレィ・マフィ(Amanaki Lelei Mafi、1990年1月11日 - )は、ラグビーユニオン選手。 プロフィール
略歴5歳でラグビーを始めると、日本への留学生を多数輩出する高校トンガ・カレッジへ進む[9]。 トンガでの学生時代には、体重が90kgに満たなかった高校2年生までウィング(WTB)のポジションに就いていた。高校3年生からNo8に転向[3]。 2009年、日本で開催されたU20世界ラグビー選手権にU20トンガ代表として参加した際に関係者の目に留まり、2010年に京都の花園大学からの勧誘を受け進学[2][9]。 花園大学在籍時は関西学生ラグビーBリーグ(2部)でプレー[1]。同級生には、幼馴染であり、ラグビー日本代表であるアマナキ・ロトアヘアがいる。 2014年、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス(現・NTTコミュニケーションズ シャイニングアークス東京ベイ浦安)へ加入した[10]。同年8月23日のジャパンラグビートップリーグ・ファーストステージ第1節の宗像サニックスブルース戦で、控え出場で公式戦デビューを果たした[11]。 2014年11月の日本代表ヨーロッパ遠征で初めてメンバーに選ばれ[2] 、同13日にブカレストで開かれたルーマニア戦で、日本代表のキャップを初めて獲得した[12]。 帰国後、2014年12月7日のトップリーグセカンドステージ第2節・トヨタ自動車ヴェルブリッツ戦で左股関節を脱臼骨折[13]。全治1年6ヶ月の重症と診断された[9]。 2015年8月29日、東京ガスラグビー部との練習試合で実戦に復帰[14]。 2015年9月からのラグビーワールドカップ2015(イングランド大会)に、日本代表として出場した[15]。南アフリカ共和国戦で後半の途中から出場。試合終了間際にマフィからのパスを受けたカーン・ヘスケスがトライを決めたことによって、チームは「ブライトンの奇跡」と呼ばれる逆転勝利を収めた[6][7][8]。そのほか大会では、スコットランドとの第2戦[16] および、アメリカとの最終戦[17] でそれぞれ1トライを記録した。(詳細は「ラグビーワールドカップ2015日本対南アフリカ」を参照) ワールドカップ後に開幕したトップリーグ2015-2016では、7試合出場、5トライを記録し、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[18] 2016年1月下旬から4月までの4ヶ月間限定で、NTTコムに所属したまま、イングランドプレミアシップのバースに短期加入[19]。同年2月13日の対ウースター戦で、No8としてプレミアシップデビューを果たした[20]。移籍2戦目の対ワスプス戦(同月20日)では、フル出場でプレミアシップ初トライをあげた[21]。 2017年から2018年シーズンまで、NTTコムに所属したまま、トップリーグのオフシーズンにスーパーラグビーのレベルズ(オーストラリア)に所属。 2019年シーズンの途中からは、日本のスーパーラグビーチームであるサンウルブズへ加入した[22]。 2019年には、日本国内で開催されるラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出[23]。開幕直前の9月7日に南アフリカ代表戦で右肩を痛めた[24] 影響で予選リーグ(プールA)・開幕戦(同月20日の対ロシア代表戦)の登録メンバーから外れた[25] ほか、スタメンに起用された第2戦(対アイルランド代表戦)で肋軟骨を痛めて途中交代を余儀なくされた[26] ため、プール戦は全4試合中2試合の出場にとどまった。決勝トーナメント準々決勝(南アフリカ戦)には控えで出場した。同月、京都市に縁のあるチームメイト(田中史朗、北出卓也、坂手淳史、松田力也)と共に同市から「京都市スポーツ栄誉賞」を授与された[27]。 2021年、トップリーグ開幕後の3月に、NTTコムからキヤノンイーグルス(現・横浜キヤノンイーグルス)へ移籍した[28]。 2025年5月、横浜キヤノンイーグルスを退団[29]。 人物・エピソード
関連項目
脚注
外部リンク
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