アメリカ合衆国のセカンドレディ・セカンドジェントルマン
アメリカ合衆国のセカンドレディ(アメリカがっしゅうこくのセカンドレディ)またはセカンドジェントルマン(英語: Second Lady of the United States; SLOTUS、Second Gentleman of the United States; SGOTUS)は、通例アメリカ合衆国副大統領の配偶者を指す非公式な呼称。主にアメリカ合衆国大統領夫人の非公式な呼称であるファーストレディと相対的に関連付けられて呼称される。 現在のセカンドレディは、ウシャ・ヴァンス(J・D・ヴァンス副大統領の妻:2025年1月20日 - )。 アメリカ合衆国副大統領配偶者の公的な影響力は、20世紀後半から21世紀前半にかけて多少なりとも高まってきている。アメリカ合衆国の草創期にはホワイトハウスのホステスとしてのファーストレディの役割はすでに存在していたが、副大統領配偶者がマスメディアの大きな注目を集める公共の役割を引き受けることは20世紀後半になるまであまり一般的ではなかった。 出身WASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント)の女性が在任していたが、2009年にローマ・カトリックのジル・バイデンが、2021年にはユダヤ人で男性初のダグ・エムホフが、2025年には初のアジア系かつヒンドゥー教徒のウシャ・ヴァンスが在任している。 歴史アンドリュー・ジャクソン政権下で発生した社会的・政治的スキャンダル「ペティコート事件」では、フローリデ・カルフーン(第7代副大統領ジョン・カルフーン夫人)が中心人物として暗躍した。マーガレット・オニール・イートン(陸軍長官ジョン・ヘンリー・イートン夫人)を他の閣僚夫人たちは淫らな女と見なし、彼女が露出の多いドレスで舞踏会に登場するとみな退散し、社交界から締め出そうとした。この夫人たちの動きを主導したのがフローリデ夫人であった。ジャクソンは大統領退任後も影響力を保ち、妻が主導した争いによってジャクソンから嫌われたカルフーンは大統領への道を閉ざされた[1]。 ネリー・フェアバンクス(第26代副大統領チャールズ・W・フェアバンクス夫人)は熱心な婦人参政権運動家として知られ、当時としては珍しく非常によく知られたアメリカ人女性の一人であった[2]。 ジョーン・モンデール(第42代副大統領ウォルター・モンデール夫人)は美術の振興に一生を捧げたために親しみを込めて「Joan of Art」と呼ばれ、ジミー・カーター政権下で事実上の美術顧問を務めた[3]。 ティッパー・ゴア(第45代副大統領アル・ゴア夫人)は暴力的あるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽を批判してその規制を目指した「PMRC」の共同設立者の一人であり[4]、すでに青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれがベストセラーになっていたため、ゴアが1988年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬した時点では夫より知名度が高いと言われていたほどであった[5]。 リン・チェイニー(第46代副大統領ディック・チェイニー夫人)はセカンドレディ在任中にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で策定された子供たちの歴史学習のための国家基準について「アメリカがこれまで達成してきた偉業について十分に肯定的であるとは言えない」という理由で反対したため、アメリカ合衆国教育省は彼女の意見を受け入れてUCLAの基準に沿った記述を削除した[6]。 ジル・バイデン(第47代副大統領ジョー・バイデン夫人)はバージニア州北部コミュニティ・カレッジ(NOVA)で終身雇用の准教授を務めている。セカンドレディになった後もそれ以前からの有給の仕事を続けた初のセカンドレディと見られている[7]。 アメリカ合衆国セカンドレディ・セカンドジェントルマンの一覧
現在の存命中のセカンドレディ・セカンドジェントルマン経験者直近では、第43代副大統領ジョージ・H・W・ブッシュ夫人のバーバラ・ブッシュが2018年4月17日に死去した。 2025年5月31日現在、現職者のウシャ・ヴァンスを除く存命のアメリカ合衆国セカンドレディ・セカンドジェントルマン経験者は、以下の6名(左から右へ高齢順、上から下へ画像・氏名・在任期間・生年月日と年齢)。 脚注
参考文献
関連項目 |
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