アメリカ合衆国憲法修正第21条
![]() アメリカ合衆国憲法修正第21条(アメリカがっしゅうこくけんぽうしゅうせいだい21じょう、英:Twenty-first Amendment to the United States Constitution、あるいはAmendment XXI)は、アメリカ合衆国全土で飲料用アルコールの製造・販売等を禁止したアメリカ合衆国憲法修正第18条(いわゆる禁酒法)を撤廃した。 原文
背景憲法修正第18条によって「禁酒法時代」と呼ばれる時代が始まり、飲料用アルコールの製造・流通・販売が違法となった。1919年の修正第18条の成立は禁酒運動の頂点をなす成果だったが、間もなく、非常に評判が悪いことが明らかになった。修正第18条に反対するアメリカ市民の数が増えてくるにつれて、その撤廃の動きが大きくなった。 しかし、大衆政治は、撤廃を困難なものにしていた。合衆国憲法は憲法修正条項を批准するための二つの方法を規定しているが、この時点までに用いられていたのは一つの方法だけであった。これは、4分の3の州の議会によって批准するというものである。しかし、当時、多くの州の州議会議員は禁酒運動家に恩義を受けているか、単純にこれを恐れているかのいずれかだということが知られていた。 このため、連邦議会は、1933年2月20日に禁酒法の撤廃を正式に発議した時(発議には上下両院でそれぞれ3分の2以上の賛成が必要であるが、上院では63対21、下院では289対121で可決された)、もう一つの批准方法、すなわち各州の批准のための会議によることを選んだ。この修正条項は、この方法で批准された唯一のものである。 アメリカ合衆国憲法の中で、私人の行為を禁じる規定は、この修正第21条と修正第13条の二つしかない。ローレンス・トライブは、「普通の私人が合衆国憲法に違反し得る場合が二つあり、その二つしかない。一つは誰かを奴隷にすることであり、まさに最悪の行為である。もう一つはある州の酒類管制法に違反してビール、ワインあるいはバーボンのビンを持ち込むことであり、大人らしくないと考えられる行為であり、たぶん非合法ですらあるが、違憲だろうか?[1]」と指摘している。 発議と批准連邦議会は修正第21条を1933年2月20日に発議した[2]。 その後、修正第21条は1933年12月5日に規定を満たして批准された。他の修正条項が各州の議会で批准されたのに対し、特にこの条項のために選定された各州の批准会議によって批准された唯一の修正条項となった。また「以前の」憲法修正条項を撤廃するという明白かつほぼ単一の目的のために成立した唯一の修正条項でもある。修正第21条によって、12月初め、全国的な禁酒法は終了した。 同条項を批准したのは次の州である。
批准は4分の3の州の批准により1933年12月5日に完了した。この修正条項は後に次の州によっても批准された。 次の州は修正条項を拒否した。 ノースカロライナ州の有権者は1933年11月7日に修正条項を検討する会議を否決した[3]。 州及び地区による規制→「禁酒郡」も参照
第2節は州あるいは領土の法律に違反してアルコールを持ち込むことを禁じている。このことは、州にアルコール飲料について本質的に絶対的な規制権限を与えたと解釈され、多くの州は修正条項の批准後も長い間、アルコール禁止政策をとっていた(州でアルコールが禁止されていることを「ドライ」と言う)。最後までアルコール禁止政策を続けたのはミシシッピ州で、1966年まで「ドライ」であった。カンザス州は1987年までパブリック・バーの禁止を続けた。多くの州は現在、この修正条項で認められたアルコール規制権限を市または郡(あるいはその双方)に委任している。このため、地方政府が酒類免許を取り消そうとして、憲法修正第1条の権利をめぐる多くの訴訟が提起された。 判例この修正条項に関わる連邦最高裁の判例はほとんどない。
関連項目脚注
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