第14代アラスカ州知事マイク・ダンリービー
アラスカ州知事 (アラスカしゅうちじ、Governor of Alaska ) は、アメリカ合衆国 のアラスカ州 の州知事(政府の長)であると共に、アラスカ州兵 の総司令官でもある。知事は州法を遵守する義務を負い、また州議会を通過した議案に賛成または反対する権限[ 1] や、州議会を招集する権限、弾劾の場合を除いて恩赦を与える権限[ 2] を有する。
概要
州憲法は4年ごとに行われる州知事選挙・副知事選挙・選挙後の12月の第1月曜日に始まる彼らの任期について定めている[ 3] 。知事は1度の再任が認められているが、連続して2期務めてから再出馬が認められるまで、4年間待つ必要がある[ 4] 。仮に知事職が欠けた場合は、副知事が知事の称号を引き受ける[ 5] 。 1956年の最初の憲法は州務長官(secretary of state:権能は副知事と同一)の職を設けた。同職は1970年に副知事 (lieutenant governor) に改称された[ 6] 。
同州では10人の知事が12期を務めた。また、アラスカ準州 としての長い歴史の中で、30人を超える文民・軍人が知事に就いた。ウィリアム・A・イーガン (英語版 ) とウォルター・J・ヒッケル (英語版 ) の2名は、連続しない複数の任期を務めた。最も長く州知事を務めたのはイーガンであり、延べ12年近く務めた。最も長く準州知事を務めたのはアーネスト・グリューニング であり、13年半務めた。1990年にヒッケルがアラスカ独立党 (英語版 ) から出馬して当選した。第3党が勝利を収めるのは、アメリカの政界では珍しいことである。現在の知事は共和党のマイク・ダンリービー である。
知事
アラスカは1867年にアメリカ合衆国 によってロシア帝国 から購入 され、同年10月18日に正式に移転した。この日は現在、「アラスカの日 」として祝われている[ 7] 。それまでは、この地はロシア領アメリカ またはロシア領アラスカとして知られており、露米会社 の総督や本部長が統治していた。
アラスカ県司令官
第13代アラスカ州知事ビル・ウォーカー
この広大な地域は、当初アラスカ県 (Department of Alaska) とされ、旧陸軍省 (戦争省)の司法権の下で陸軍 士官によって、陸軍がアラスカから撤退する1877年まで統治された。代わって財務省 の税関長が、この地域における最高幹部として統治権を握った。1879年、海軍 が同県の司法権の付与を受けた。[ 8]
アメリカ人として初のアラスカ統治者は、ポーランド系移民 のヴワズィミエシュ・クシジャノフスキ であったとみられている。しかし『アンカレッジ・デイリーニューズ 』は、この主張を裏付ける決定的証拠を発見できなかった。[ 9]
代
司令官
就任
退任
合衆国陸軍
1
ジェファソン・C・デイヴィス少将(名誉昇進)
1867年10月18日
1870年8月31日
2
ジョージ・K・ブレイディ中佐(名誉昇進)
1870年9月1日
1870年9月22日
3
ジョン・C・ティッドボール少佐
1870年9月23日
1871年9月19日
4
ハーヴィー・A・アレン少佐
1871年9月20日
1873年1月3日
5
ジョーゼフ・ステュアート少佐
1873年1月4日
1874年4月20日
6
ジョージ・R・ロドニー大尉
1874年4月21日
1874年8月16日
7
ジョーゼフ・B・キャンベル大尉
1874年8月17日
1876年6月14日
8
ジョン・メンデンホール大尉
1876年6月15日
1877年3月4日
9
アーサー・モリス大尉
1877年3月5日
1877年6月14日
合衆国財務省
10
モンゴメリー・P・ベリー
1877年6月14日
1877年6月13日
11
H・C・デアーナ
1877年8月14日
1878年3月26日
12
モットロム・D・ボール
1878年3月27日
1879年6月13日
合衆国海軍
13
レスター・A・ビアズリー大佐
1879年6月14日
1880年9月12日
14
ヘンリー・グラス中佐
1880年9月13日
1881年8月9日
15
エドワード・P・ラル中佐
1881年8月10日
1881年10月18日
16
ヘンリー・グラス中佐
1881年10月19日
1882年3月12日
17
フレデリック・ピアソン中佐
1882年3月13日
1882年10月3日
18
エドガー・C・メリマン中佐
1882年10月4日
1883年9月13日
19
ジョーゼフ・B・コグラン中佐
1883年9月15日
1884年9月13日
20
ヘンリー・E・ニコルズ中佐
1884年9月14日
1884年9月15日
アラスカ地区知事
1884年5月17日、アラスカ県はアラスカ地区 (District of Alaska:併合されたが、市民政府によって組織されていない領域)に再編された。知事は、アメリカ合衆国大統領によって任命された。
アラスカ準州知事
アラスカ地区は、1912年8月24日にアラスカ準州 (Alaska Territory) に改組された。知事は、アメリカ合衆国大統領によって任命された。
アラスカ州知事
アラスカ州 (State of Alaska) は、1959年1月3日に連邦に加わった。
これまでに共和 ・民主 両党から、それぞれ5名の知事が出された。唯一の例外であるウォルター・J・ヒッケル (英語版 ) は、2度目の当選の際にアラスカ独立党 (英語版 ) に所属していた。1990年の知事選の際、共和党員の多くは党公認候補としてアーリス・スターグルースキーを選任したことに不満を抱き、ヒッケルは彼らの票の獲得に成功した。しかし彼は、アラスカ独立党の分離独立主義の理想を持っておらず、任期終了の8ヶ月前に共和党に鞍替えした。
■ : 民主党 ■ : 共和党 ■ : アラスカ独立党 (英語版 ) ■ : 無所属
他の要職
以下は、知事が占めた議席や、他の連邦政府機関、及び他の知事職を示した表である。注記がない限り、記載された全ての下院議員及び上院議員はアラスカ州から選出されている。
* - 知事が辞任後に就いた職を表す。
† - 知事が辞任前に就いていた職を表す。
註
^ レイノルズ=アラスカ社の不正への関与により辞任。[ 10]
^ カナダ 国籍のままであることが発覚し、辞任に追い込まれた。[ 11]
^ サイモン・ボリヴァー・バックナー・ジュニア 中将は、第二次世界大戦 中のアラスカにおける軍司令官であり、同地区における上の行政権の大半を有した。[ 12]
^ 辞任:伝えられるところによると、彼は職務に不満を持っており、再任を期待してもいなかった。[ 13]
^ a b アラスカ長官として、知事代理を務めた。[ 14]
^ 上院 議員選出馬のため辞任。選挙には落選した。[ 14]
^ 副知事の職は、1970年まで「州務長官」と呼ばれていた。[ 6]
^ 数名の知事の任期の一部は、完全に額面通りには理解されていない。むしろ彼らは、辞任や死亡により、1つの期間を複数の知事が務めたことを示しているといえよう。
^ ヒッケルは、内務長官 就任のため辞任した。
^ 州務長官として、残期を務めた。
^ ヒッケルは1994年4月、共和党に鞍替えした。[ 15]
^ ペイリン知事は、2009年7月26日に辞任をした。
参考文献
全般
州憲法
個別
^ AK Const. art. II, § 15
^ AK Const. art. III
^ AK Const. art. III, § 4
^ AK Const. art. III, § 5
^ AK Const. art. III, § 11
^ a b “Constitutional Amendments ”. Office of the Lieutenant Governor of Alaska. 2008年8月13日閲覧。
^ “State Symbols ”. Alaska Office of Economic Development. 2008年8月26日閲覧。
^ Gates p. 86
^ Ruskin, Liz (2002年12月20日). “Barking up the wrong Pole: Hero wasn't governor” . Anchorage Daily News . http://www.arlingtoncemetery.net/wbkrzyzanowski.htm 2008年8月26日閲覧。
^ Janson, Lone (1975). The Copper Spike . Alaska Northwest Publishing Co.. p. 44. ISBN 0882400452
^ Gruening, Ernest (1973). Many Battles: The Autobiography of Ernest Gruening . Liveright. p. 216. ISBN 0871405652
^ Personal Justice Denied: Report of the Commission on Wartime Relocation and Internment of Civilians . University of Washington Press. (1997). p. 319. ISBN 029597558X . https://books.google.co.jp/books?id=7r3U_KuP_Q0C&redir_esc=y&hl=ja
^ Naske, Claus-M. (1985). A History of Alaska Statehood . University Press of America. p. 244. ISBN 0819145564
^ a b Naske, Claus-M.; Herman E. Slotnick (1979). Alaska: A History of the 49th State . Eerdmans. p. 309. ISBN 0802870414
^ “Alaska's Gov. Hickel Rejoins Gop Amid Speculation Over Another Term” . The Seattle Times (Seattle , Washington : The Seattle Times Company). (1994年4月15日). http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19940415&slug=1905548 2008年9月28日閲覧。 ⚠
^ “Nevada Governor John Henry Kinkead ”. National Governor's Association. 2008年8月14日閲覧。
^ “Sheakley, James ”. Biographical Directory of the United States Congress. 2008年8月13日閲覧。
^ “Gruening, Ernest ”. Biographical Directory of the United States Congress. 2008年8月13日閲覧。
^ “Alaska Governor Walter J. Hickel ”. National Governors Association. 2008年10月15日閲覧。
^ “Murkowski, Frank Hughes ”. Biographical Directory of the United States Congress. 2008年8月13日閲覧。
外部リンク
地区 (1884年-1912年) 準州 (1912年-1959年) 州 (1959年以降)