アレックス・ウィルソン (野球)
ウィリアム・アレクサンダー・ウィルソン(William Alexander Wilson , 1986年11月3日 - )は、サウジアラビア王国東部州ダーラン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前サウジアラビア生まれだが、これは父親が石油会社に勤務していたためで、生後2年でアメリカ合衆国へ帰国[2]。 ウィンスロップ大学の在学中の2007年の夏にトミー・ジョン手術を受ける[3]。その後、テキサスA&M大学に編入する[3]。 2008年のMLBドラフト10巡目(全体311位)でシカゴ・カブスから指名されたが、入団しなかった。 プロ入りとレッドソックス時代2009年のMLBドラフト2巡目(全体77位)でボストン・レッドソックスから指名され、プロ入り。クレイグ・スタンスベリーに次いで史上2人目のサウジアラビア出身の選手となった[4]。 2013年4月10日、ジョン・ラッキーの故障者リスト入りに伴い、メジャー初昇格を果たした[6]。翌11日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。5月17日のミネソタ・ツインズ戦では、2対2の同点の9回裏2死から登板し、打者1人を2球で抑える。その後10回表に味方が勝ち越し、メジャー初勝利をあげた[7]。 ![]() (2014年9月19日) 2014年3月7日にレッドソックスと1年契約に合意した[8]。3月13日にAAA級ポータケット・レッドソックスへ異動した[9]。開幕後、AAA級ポータケットでは18試合に登板して1勝0敗5セーブ、防御率1.42と好投。5月23日にメジャーへ昇格した[10]。その後はメジャーとマイナーを行き来しながら18試合に登板、防御率1.91、WHIP0.88という好成績を残した。2013年に4.6だった9イニング当たりの与四球率を1.6まで下げ、制球面でも成長を見せた。一方、前年に1本も打たれなかった本塁打を3本浴びた。 タイガース時代2014年12月12日にリック・ポーセロとのトレードで、ヨエニス・セスペデス、ゲイブ・スパイアーと共にデトロイト・タイガースへ移籍した[11]。 ![]() (2015年7月30日) 2015年は、タイガースのリリーフ陣の一角に定着し、大ブレイクを果たした。1試合の先発登板を含む59試合に投げ、防御率2.19、WHIP1.03という好成績だった。 2016年は全てリリーフで62試合に登板。前年ほどの好成績ではなかったが、それでも防御率2.96、4勝、WHIP1.22という成績を残し、安定感あるリリーバーとしてタイガースのブルペンで躍動した。 2017年開幕前の2月9日に指名投手枠で第4回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された[12]。シーズンでは8月24日のニューヨーク・ヤンキース戦でトッド・フレイジャーに報復として故意死球を与え、両チームから選手が入り乱れる乱闘を起こして退場になった[13]。8月25日にMLBより4試合の出場停止処分を受けた[14]。この年は自己最多の66試合に登板したが、2勝5敗2セーブ、防御率4.50と低調な成績であった。 2018年は59試合に登板して2勝4敗、防御率3.36、43奪三振を記録した。オフの11月30日にノンテンダーFAとなった[15]。 ブルワーズ時代2019年2月9日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[16]が、3月23日にミルウォーキー・ブルワーズと75万ドルの単年契約を結んだ[17]。4月29日にDFAとなり[18]、5月1日にマイナー契約で傘下のAAA級サンアントニオ・ミッションズへ配属された。8月3日に自由契約となった[19]。 カブス傘下時代2019年8月5日にカブスとマイナー契約を結んだ[20]。オフの11月4日にFAとなった[19]。 カブス傘下退団後2020年1月5日にタイガースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[21]。6月25日に放出された。7月28日に引退を発表し、バレンギグループのアドバイザーに就任した[22]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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