アンテラリエ賞
アンテラリエ賞(Prix Interallié)は、ゴンクール賞、ルノードー賞、メディシス賞、フェミナ賞と並んで、フランスでの最も権威ある文学賞の一つである[1]。1930年のフェミナ賞受賞者の発表を受けて、パリの社交クラブ「セルクル・ド・リュニオン・アンテラリエ」のジャーナリスト約30人によって創設された。 概要歴史セルクル・ド・リュニオン・アンテラリエは、1917年にパリ8区のフォーブール=サントノレ通りのペリネ・ド・ジャール館に設立された高級社交クラブである[2]。1930年12月3日、同社交クラブのジャーナリスト約30人が昼食をしながらフェミナ賞の女性審査員による受賞者の発表を待っていたが、審査に時間がかかっていたので、痺れを切らした彼らは、ちょっとしたいたずらをしようと考えた。フェミナ賞の受賞発表の直後に意表を突くような別の受賞者を発表しようと考えたのである。話し合いの結果、満場一致でアンドレ・マルローの『王道』を選出した。マルローは当時29歳のジャーナリストあったが、すでに『征服者』で小説家として名を馳せていた。彼らはこうして、フェミナ賞受賞(マルク・シャドゥルヌの『狂乱のセシール』)が発表されるや否や、アンテラリエ賞第1回受賞者を発表したのである[3]。 対象・審査員等![]() こうした経緯から、当初はジャーナリストが発表した小説に与えられる賞であったが、現在は、この規則は適用されない[4][5]。 審査委員会は原則、10人のジャーナリストと前年受賞者によって構成される。現在ではジャーナリストに限定されず、作家も加わっているが、すべて男性である[6][5]。2019年の審査員は前年受賞者のほか、委員長フィリップ・テソン(ジャーナリスト)、ジル・マルタン=ショフィエ(ジャーナリスト)、ステファヌ・ドゥニ(ジャーナリスト)、ジャック・デュケーヌ(ジャーナリスト・作家)、セルジュ・ランツ(ジャーナリスト・作家)、エリック・ヌホフ(ジャーナリスト・作家)、クリストフ・オノ=ディ=ビオ(ジャーナリスト・作家)、ジャン=マリー・ルアール(作家・随筆家)、ジャン=クリストフ・リュファン(歴史家・小説家)、フローリアン・ゼレール(作家)である[7]。 「50代の白人男性」が選ぶ賞であるという批判もある[8]。実際、2018年現在、各賞の受賞者に占める女性の割合は、メディシス賞では22%、ルノードー賞13%、ゴンクール賞10%、アンテラリエ賞9%である[8]。 また、第1回受賞作のマルローの『王道』をはじめとし、非常に多くの受賞作品がグラッセ出版社から刊行されたものであったため、「アンテルグラッセ」(グラッセ社内・身内)と皮肉られたことがあったが、近年は、この傾向は弱まっている[4]。 受賞発表は、毎年11月初旬のゴンクール賞の発表後に、パリ8区のレストラン「ラセール」で行われる。ルノードー賞とゴンクール賞の発表は11月初旬の同じ日、フェミナ賞とメディシス賞は11月第1水曜、アンテラリエ賞はこれらの後、最後に発表される[5]。 他の権威ある文学賞と同様に、賞金はないが(ただし、ゴンクール賞は10ユーロ)、受賞作の平均売上部数は9万部とされる[5]。 アンテラリエ賞受賞作家・作品一覧
脚注
関連項目 |
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