イバン・デヘスース・ジュニア
イバン・デヘスース・アルバレス・ジュニア(Iván DeJesús Álvarez, Jr. , 1987年5月1日 - )は、 プエルトリコのグアイナボ出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。 元メジャーリーガーのイバン・デヘスースを父に持つ。 経歴プロ入りとドジャース時代2005年のMLBドラフト2巡目(全体51位)でロサンゼルス・ドジャースから指名され、プロ入り。 2008年にはオールスター・フューチャーズゲームに出場。傘下のAA級ジャクソンビル・サンズで打率.324・出塁率.419を記録し、ドジャースの最優秀マイナー選手に選ばれた[1]。 2009年は招待選手としてドジャースのスプリングトレーニングに参加していたが、本塁クロスプレーで左足を骨折し、シーズンをほぼ棒に振った[2]。オフにドジャースの40人枠に加えられた。 2010年はAAA級アルバカーキ・アイソトープスでプレー。 2011年は開幕ロースター入りし、4月1日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビューを果たした。ドジャースでは結果を出せず、1年半の在籍で40試合の出場に留まった。 レッドソックス時代2012年8月25日にエイドリアン・ゴンザレス、ジョシュ・ベケット、カール・クロフォード、ニック・プントがドジャースに移籍する大型トレードにおいて、ジェームズ・ローニーら4選手と共にボストン・レッドソックスへ移籍した[3]。11月20日に40人枠から外された。 パイレーツ傘下時代2012年12月26日にジョエル・ハンラハンらとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[4]。 2013年は傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンズでシーズンを過ごした[5]。シーズンオフにFAとなった[6]。 オリオールズ傘下時代2013年12月19日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[7]。 2014年は開幕から傘下のAAA級ノーフォーク・タイズでプレー。 レッドソックス傘下時代2014年8月30日にケリー・ジョンソン、マイケル・アルマンザーとのトレードで、ジェマイル・ウィークスと共に再びレッドソックスへ移籍[8]。オフにFAとなった。 レッズ時代2014年11月23日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。[9] 2015年は開幕から傘下のAAA級ルイビル・バッツでプレーしていたが、6月3日にマーロン・バードが15日間の故障者リスト入りしたことに伴い、メジャー契約を結んで昇格した[10]。3シーズンぶりにメジャーの舞台に立った同年は、ユーティリティとして自己最多の76試合に出場し、打率.244、メジャー初本塁打を含む4本塁打、28打点という成績を記録した。 2016年も前年を上回る104試合に出場。打撃面では打率.253、1本塁打、20打点、3盗塁の成績を残した。オフの11月4日に40人枠を外れる形でAAA級ルイビルへ配属された[11]後、7日にFAとなった[12]。 レッズ退団後2016年12月12日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。 2017年はAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで112試合に出場して打率.345、7本塁打、65打点を記録したが、メジャー昇格の機会はなかった。オフの11月6日にFAとなった[12]。 2018年1月16日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。この年はAAA級ポータケット・レッドソックスで96試合に出場したが、打率.261、4本塁打、31打点という成績に終わった。オフの11月2日にFAとなった[12]。 2019年3月14日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。10試合の出場後、5月7日にマイナー契約でシカゴ・ホワイトソックスに移籍した。22試合に出場して打率.238、1本塁打、5打点という成績に終わり、7月8日に自由契約となった[12]。7月11日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結びAA級ペンサコーラ・ブルーワフーズに配属されたが[12]、21試合に出場して打率.224、2本塁打、8打点に終わり、8月30日に自由契約となった[12]。 この年以降は、2005/2006シーズンよりほぼ毎年参加しているプエルトリコのウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ(LBPRC)に専念してキャリアを継続している[13]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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