ウィルヘルミーナ・クーパー
ウィルヘルミーナ・クーパー(Wilhelmina Cooper ,1939年5月1日 - 1980年3月1日)は、ドイツ人のスーパーモデル。フォードモデルズからキャリアを始め、1967年の人気絶頂時に自らの事務所『ウィルヘルミーナ・モデルズ』をニューヨークで立ち上げた。 来歴生い立ちオランダのクレンボルフにてウィルヘルミーナ・ベーメンブルクとして産まれ、同業仲間の間では「ウィルヘルミーナ」または「ウィリー」の名で知られていた。ドイツのオルデンブルクで育つ。1954年に、家族と共にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴへ引越した。 モデルとしてのキャリア1950年代から1960年代にかけ、彼女は最も有名なモデルの一人となった。アメリカの『ヴォーグ』誌の表紙を27 - 28回飾ったモデルとしての記録を持っている。 結婚そして実業家へ1965年、ウィルヘルミーナは人気トーク番組『The Tonight Show Starring Johnny Carson』の前制作総指揮だったブルース・クーパーと結婚する。1967年、夫婦はウィルヘルミーナ・モデルズを設立し、フォードモデルズに並ぶ一流モデル事務所として、様々なモデル事務所が設立される時代の先駆けとなった。 ウィルヘルミーナの事務所は、アフリカ系アメリカ人スーパーモデルのナオミ・シムズを育て上げたことで、重要な役割を果たす。ナオミ・シムズは、1960年代半ばにデビューする。しかし、1967年の『ニューヨーク・タイムズ』に登場した際、その容姿は時代の新星であったにもかかわらず、仕事を得る難しさを彼女は痛感した。そこで彼女はウィルヘルミーナに申し入れ、事務所に『ニューヨーク・タイムズ』の紙面のコピーを送ること、そしてこの紙面を使って得られる仕事の歩合を全てウィルヘルミーナが受取れるようになることを伝え交渉した。それから一年もしないうちに、ナオミ・シムズは週に1000ドルを稼ぐモデルとなる。1968年、彼女は『Ladies' Home Journal』の表紙に登場し、その翌年に『Life magazine』の表紙も飾った。 死去1980年3月1日、ウィルヘルミーナ・クーパーはコネチカット州グリニッジのグリニッジ病院にて、肺癌により40歳で死去。 大衆文化への影響
日本との関係2014年、東京にウィルヘルミーナ・モデルズの日本法人であるモデル事務所ウィルヘルミーナ・ジャパンが設立された。 関連項目外部リンク |
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