エセキエル・カレーラ
エセキエル・マニュエル・カレーラ・レイエス(Ezequiel Manuel Carrera Reyes, 1987年6月11日 - )は、ベネズエラ・スクレ州ギリア出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。現在はフリーエージェント(FA)。 経歴プロ入りとメッツ傘下時代2005年1月9日にニューヨーク・メッツと契約してプロ入り。契約後、傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・メッツでプロデビュー。45試合に出場して打率.227・8打点・7盗塁の成績を残した。 2006年もルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・メッツでプレーし、57試合に出場して打率.301・1本塁打・19打点・22盗塁の成績を残した。 2007年はまずルーキー級ガルフ・コーストリーグ・メッツでプレーし、45試合に出場して打率.341・1本塁打・26打点・16盗塁の成績を残した。8月20日にA-級ブルックリン・サイクロンズへ昇格するこ、20試合に出場して打率.300・6打点・6盗塁の成績を残した。 2008年はA+級セントルーシー・メッツでプレーし、114試合に出場して打率.263・7本塁打・29打点・28盗塁の成績を残した。 マリナーズ傘下時代2008年12月11日にシアトル・マリナーズ、クリーブランド・インディアンス間の三角トレードで、ジェイソン・バルガス、マイク・カープらと共にマリナーズへ移籍した[1]。 2009年は傘下のAA級ウェストテン・ダイヤモンドジャックスでプレーした。91試合に出場して2本塁打・38打点・27盗塁を記録し、打率はサザンリーグの首位打者となる.337を記録した。オフの11月20日にマリナーズとメジャー契約を結び[2]、40人枠入りした。 2010年は開幕からAAA級タコマ・レイニアーズでプレーし、64試合に出場して打率.268・18打点・9盗塁の成績を残した。 インディアンス時代2010年6月27日にラッセル・ブラニアンとのトレードで、フアン・ディアスと共にインディアンスへ移籍した[3]。移籍後は傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズでプレーし、41試合に出場して打率.286・1本塁打・16打点・11盗塁の成績を残した。 2011年3月7日にインディアンスと1年契約に合意。3月25日にAAA級コロンバスへ配属され[4]、開幕を迎えた。5月20日にメジャーへ昇格し[5]、同日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。8回表2死一・二塁の場面で代打として出場し、一塁へのセーフティーバントを行い、二塁走者が本塁へ生還したため、メジャー初安打初打点を記録した[6]。昇格後は5試合に出場したが、5月26日にAAA級コロンバスへ降格した[7]。7月13日にミッチ・タルボットが故障者リスト入りしたため、メジャーへ再昇格[8]。7月18日に中堅手のグレイディ・サイズモアが故障者リスト入りしたため、中堅手として先発起用されていたが、8月19日にAAA級コロンバスへ降格[9]。8月20日にシェリー・ダンカンが家族の病気によりロースターから外れたため、代役として再昇格した[10]。この年は68試合に出場し、打率.243・14打点・10盗塁の成績を残した。 2012年3月9日にインディアンスと1年契約に合意。3月18日にAAA級コロンバスへ異動した[11]。開幕後はAAA級コロンバスで97試合に出場し、打率.294・6本塁打・42打点・26盗塁を記録。8月3日にメジャーへ昇格した[12]。同日にDFAとなったジョニー・デイモンに代わって第4の外野手となり、48試合に出場して打率.272・2本塁打・11打点・8盗塁の成績を残した。 2013年3月11日にインディアンスと1年契約に合意したが、3月25日にDFAとなった[13]。 フィリーズ時代2013年4月2日にウェイバー公示を経てフィラデルフィア・フィリーズに移籍した[14]。移籍後は控え野手として13試合に出場したが、13打数1安打に終わり、4月30日にDFAとなった[15]。 インディアンス復帰2013年5月2日にウェイバー公示を経てインディアンスに復帰した[16]。移籍後は2試合に出場したが、5月5日にDFAとなり[17]、7日にマイナー契約でAAA級コロンバスへ降格した。AAA級コロンバスでは105試合に出場して打率.248・5本塁打・31打点・43盗塁の成績を残した。オフの11月5日にFAとなった。 タイガース時代2014年1月9日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ[18]。傘下のAAA級トレド・マッドヘンズで開幕を迎え、97試合に出場。打率.307・6本塁打・41打点・43盗塁と活躍し、8月1日にタイガースとメジャー契約を結んだ[19]。昇格後は45試合に出場して打率.261・2打点・7盗塁の成績を残した。オフの11月20日にDFAとなり[20]、25日にマイナー契約を拒否したため、FAとなった。 ブルージェイズ時代2014年12月3日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[21]。 2015年の開幕は傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで迎え、5月2日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。8月1日にDFAとなり[22]、3日に40人枠を外れる形でAAA級バッファローへ配属された。その後、17日に昇格し、再びメジャー契約を結んだ[23]。この年は控え外野手として91試合に出場し、いずれも自己ベストとなる打率.273・3本塁打・26打点という成績をマークした。守備面では、外野の3ポジション合わせてDRSが - 10であり、どちらかと言えばチームの足を引っ張った恰好になった。 2016年は外野のスーパーサブとして起用され、自己最多の110試合に起用された。バッティング面では打率.248・6本塁打・23打点・7盗塁という成績をマーク、本塁打と盗塁、更には他の多くの部門で自己最高の数値を記録した。ディフェンス面では、右翼手の守備に就いたのが最多(65試合)で、無失策・DRS + 8というハイレベルな守備を見せた。次いで左翼手を45試合で守り、1失策・守備率.977と右翼よりは落ちるものの、DRSは + 1だった。中堅手(5試合)では、無失策ながらDRS - 3だった。 2017年は131試合に出場して打率.282・8本塁打・20打点・10盗塁の成績を残した。 2018年2月26日、呉昇桓の加入に伴ってDFAとなった[24]。その後、3月1日にマイナー契約に切り替わってAAA級バッファローへ配属され、11日に自由契約となった[25]。 ブルージェイズ退団後2018年3月12日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[26]。開幕から傘下のAAA級グウィネット・ストライパーズでプレーしていたが、5月17日に自由契約となった[27]。5月18日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、21日に傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ配属された[28]。 2019年1月30日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶが、5月7日に解雇となる。5月31日に独立リーグ・カナディアン・アメリカン・リーグのロックランド・ボールダーズと契約するが、4試合の出場後、6月8日にトレードで独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスに移籍。シーズン終了後に退団。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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