エチオピアの国旗
エチオピアの国旗(エチオピアのこっき、アムハラ語: የኢትዮጵያ ሰንደቅ ዐላማ)は、青地に金色の五芒星を描いた円形の国章を中央に重ねた、緑、黄、赤の三色旗である。緑、黄、赤の組み合わせは、少なくとも17世紀初頭から象徴的な重要性を有していた。1897年10月11日、現在の三色旗はメネリク2世によって初めて採用され、1996年10月31日に現在の旗が制定された[1][2]。 旗![]() 緑、黄、そして赤の色は、1914年にエチオピア帝国の旗に使われた[1]。1897年10月11日、エチオピアがアドワの戦いでイタリア王国を破ってから1年後、皇帝メネリク2世は、3つのペナントを、上から赤、黄、緑の順に長方形の三色旗に組み合わせた。そして、中央の帯に自身の名前の最初の文字(エチオピア文字「ም」)を入れるよう命令した[10][2][11][12][13]。メネリクの死後の1913年に、その文字は旗から取り除かれた。そして、色の順番は逆転され、緑が上、赤が下となり、黄色は中央に残された[1]。この旗の三色旗の配色は19世紀初頭から存在していて、赤、黄、緑の色はそれ以前から特別な重要性を持っていた[14]。1897年の採用を記念して、エチオピアではティキムト月(9月〜10月)の第1月曜日にフラッグ・デーを祝っている[15]。 王室旗にはしばしばユダの獅子(中央に十字架を掲げた王冠を戴く獅子)の紋章が描かれており、旗の中央の黄色の部分に配置されていた。これはエチオピア正教会、人々、そして統一された国家との繋がりを示すものとされている。獅子が携える行列用十字架は、かつてのエチオピアの国旗、または象徴であり、少なくとも17世紀初頭から使用されてきた。これらの色は、もともとエチオピア正教会によって用いられていたものである(赤は信仰と力、黄は教会・平和、緑は自然の肥沃さを表す)。そして、後に国家の色として採用されたのは生産が容易であり、エチオピアの風景において一般的であったためと考えられている[16]。19世紀の2人のフランス人旅行者フェレとジョセフ・ガリニエは、「写本装飾では赤、緑、黄が基本色だ」と述べた[17]。 植民地支配からの独立を達成した後、アフリカで新しく独立した多くの国家は、外国の占領に対するエチオピアの抵抗を称えて、この3色を採用した。汎アフリカ主義の立場をとる国家や組織がこの3色を用いる時、これらの色はよく汎アフリカ色と呼ばれる[18]。 象徴色
歴史的な旗
関連項目脚注
参考文献
外部リンク |
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