エーシンディーエスとは日本の競走馬である。2009年京都ジャンプステークス、2010年京都ハイジャンプ優勝馬。馬名は冠名に父・母の頭文字。
戦績
2007年の12月に平地デビュー。上位人気に支持され連対実績もあり、全6戦中3戦で入着を確保したものの勝ち鞍を挙げるまでには至らず、翌2008年9月の小倉未勝利戦5着後に障害競走へ転向する。
エーシンディーエス(以下ディーエス)は障害入り2戦目で初勝利をマーク。この時の勝ち時計3:16.7は優秀なものとされ[1]オープン級の強さとも評価された[2]がその後は平地時代にも実績の無かったダートの走路[3]に苦戦が続き敗戦を重ねた。
2009年京都JS表彰式
入障6戦目となった2009年8月、同馬は初めて直線芝のレースに出走。管理調教師である坂口正則(以下坂口)が後に「直線芝は好材料[4]」とコメントした通り、平地時代の芝適性を発揮し2着と成果を出したディーエスは好走を続け、同年秋の京都ジャンプステークスを制し重賞勝ちを記録している。
坂口はその後中山大障害を見据え中山コース初出走時に「バンケットが課題[1]」と指摘されたディーエスを再び出走させたものの「前走勝ちっぷりがいい、ただ(不利を受けたとはいえ)中山で大敗しているから気がかり[5]」と相性の悪さを懸念。その不安通りバンケットでもたつき5着敗退という結果を受けた坂口はディーエスの中山大障害出走を断念、以後同馬は中山コースを使われることはなかった。
放牧休養を挟んだディーエスは、2010年の始動戦として京都ハイジャンプに出走。休養明けや距離延長を不安視する声[6]もあったが京都コースとの好相性[7]を活かし2つ目の重賞タイトルを獲得している。
その後同馬は次走として東京ジャンプステークスを目標に調整がなされていたが脚部不安を発症し1年余りの長期休養を経て2011年夏に戦線復帰。復帰後4走するも全て凡走、無抵抗のまま失速を繰り返す内容[8]に「完治はしたが脚部不安に侵されての心労ストレスは癒えていないのか[8]」「以前ほど実戦で走れなくなっている[9]」と戦意の衰えぶりを指摘され、勝ち鞍を挙げること無く2011年10月の東京ハイジャンプ11着を最後に競走馬登録を抹消された。
引退後は京都の京北育成牧場にて乗馬として繋養されている。
競走成績
年月日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
頭数 |
オッズ (人気) |
着順 |
騎手 |
斤量 [kg] |
距離(馬場) |
タイム (平均1F) |
着差 |
勝ち馬/(2着馬)
|
2007.12.08
|
中京
|
2歳新馬
|
|
15
|
18.3
|
0(8人)
|
08着
|
野元昭嘉
|
55
|
芝1800m(良)
|
1:51.5 (36.5)
|
-2.2
|
ムードインディゴ
|
2008.06.22
|
阪神
|
3歳未勝利
|
|
18
|
91.0
|
(13人)
|
12着
|
鮫島良太
|
56
|
芝1800m(稍)
|
1:51.1 (37.4)
|
-2.0
|
ドリームストライド
|
0000.07.20
|
小倉
|
3歳未勝利
|
|
14
|
42.1
|
0(7人)
|
06着
|
浜中俊
|
55
|
芝1800m(良)
|
1:48.8 (36.2)
|
-0.3
|
ドリームドリーマー
|
0000.08.10
|
小倉
|
3歳未勝利
|
|
18
|
06.3
|
0(3人)
|
02着
|
和田竜二
|
56
|
芝2000m(良)
|
2:02.3 (37.7)
|
-0.2
|
ワンダーアームフル
|
0000.08.23
|
小倉
|
3歳未勝利
|
|
17
|
05.3
|
0(2人)
|
05着
|
和田竜二
|
56
|
芝2000m(良)
|
2:02.2 (36.0)
|
-1.0
|
ペプチドトップガン
|
0000.09.07
|
小倉
|
3歳未勝利
|
|
18
|
09.6
|
0(6人)
|
05着
|
和田竜二
|
56
|
芝2000m(良)
|
2:01.9 (36.9)
|
-0.7
|
スタルカ
|
2011.11.24
|
京都
|
障害3歳上未勝利
|
|
14
|
12.1
|
0(5人)
|
04着
|
南井大志
|
58
|
障2910m(良)
|
3:17.1 (13.5)
|
-1.3
|
チョウラブラブ
|
0000.12.21
|
阪神
|
障害3歳上未勝利
|
|
14
|
06.3
|
0(4人)
|
01着
|
南井大志
|
58
|
障2970m(良)
|
3:16.7 (13.2)
|
-0.4
|
(ショウリュウケン)
|
2009.01.05
|
中山
|
中山新春JS
|
OP
|
13
|
09.9
|
0(4人)
|
12着
|
南井大志
|
59
|
障3200m(良)
|
3:41.6 (13.9)
|
-4.0
|
シュフルール
|
0000.02.01
|
京都
|
障害4歳上OP
|
OP
|
11
|
15.3
|
0(6人)
|
05着
|
南井大志
|
59
|
障3190m(稍)
|
3:37.6 (13.6)
|
-1.1
|
パルティアシチー
|
0000.04.26
|
京都
|
障害4歳上OP
|
OP
|
14
|
49.4
|
(12人)
|
09着
|
南井大志
|
59
|
障3170m(重)
|
3:33.3 (13.5)
|
-2.1
|
テイケイプリオール
|
0000.08.02
|
新潟
|
障害3歳上OP
|
OP
|
13
|
30.0
|
0(8人)
|
02着
|
白浜雄造
|
60
|
障2850m(良)
|
3:06.9 (13.1)
|
-0.3
|
エリモマキシム
|
0000.08.30
|
小倉
|
障害3歳上OP
|
OP
|
11
|
05.8
|
0(4人)
|
02着
|
白浜雄造
|
60
|
障2900m(良)
|
3:08.8 (13.0)
|
-0.2
|
マヤノスターダム
|
0000.11.01
|
京都
|
障害3歳上OP
|
OP
|
14
|
04.3
|
0(2人)
|
02着
|
白浜雄造
|
60
|
障3170m(良)
|
3:29.0 (13.2)
|
-0.0
|
ショウリュウケン
|
0000.11.14
|
京都
|
京都ジャンプS
|
J・GIII
|
9
|
10.7
|
0(6人)
|
01着
|
横山義行
|
60
|
障3170m(重)
|
3:31.8 (13.4)
|
-1.1
|
(テイエムトッパズレ)
|
0000.12.05
|
中山
|
イルミネーションJS
|
OP
|
16
|
03.3
|
0(2人)
|
05着
|
横山義行
|
62
|
障3570m(稍)
|
4:00.4 (13.5)
|
-0.8
|
ムーンレスナイト
|
2010.05.15
|
京都
|
京都ハイジャンプ
|
J・GII
|
14
|
08.3
|
0(5人)
|
01着
|
五十嵐雄祐
|
60
|
障3930m(良)
|
4:23.1 (13.4)
|
-0.7
|
(バトルブレーヴ)
|
2011.07.30
|
小倉
|
小倉サマーJ
|
J・GIII
|
14
|
06.8
|
0(3人)
|
14着
|
西谷誠
|
62
|
障3390m(良)
|
3:53.8 (13.8)
|
-10.8
|
ドングラシアス
|
0000.08.20
|
新潟
|
新潟ジャンプS
|
J・GIII
|
14
|
25.2
|
0(8人)
|
11着
|
白浜雄造
|
62
|
障3250m(良)
|
3:34.3 (13.2)
|
-3.6
|
クリーバレン
|
0000.09.19
|
阪神
|
阪神ジャンプS
|
J・GIII
|
14
|
32.7
|
(12人)
|
07着
|
五十嵐雄祐
|
62
|
障3140m(良)
|
3:31.0 (13.4)
|
-1.5
|
クランエンブレム
|
0000.10.15
|
東京
|
東京ハイジャンプ
|
J・GII
|
14
|
56.1
|
(12人)
|
11着
|
横山義行
|
61
|
障3300m(稍)
|
3:47.4 (13.8)
|
-5.1
|
マジェスティバイオ
|
血統表
脚注
- ^ a b 2009年1月5日競馬ブック
- ^ 2009年2月1日競馬エイト
- ^ 障害コースには決勝線がないため、最後の直線走路は芝またはダートコースを使用する
- ^ 2009年11月14日競馬エイト・坂口師
- ^ 2009年12月5日競馬エイト・坂口師
- ^ 2010年5月15日競馬ブック・坂口師/競馬エイト・坂口師
- ^ 2010年5月17日週刊競馬ブック・五十嵐雄祐騎手
- ^ a b 2011年9月19日競馬ニホン
- ^ 2011年10月15日競馬ブック・坂口師
外部リンク