カルメン・マルティネス=ボルディウ (第2代フランコ女公爵)
マリア・デル・カルメン・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ(スペイン語: María del Carmen Martínez-Bordiú y Franco、1951年2月26日 - )は、スペインの貴族。総統フランシスコ・フランコの孫娘にあたる。母よりフランコ公爵位を継いでいたが、2022年の国民記憶法施行により称号を剥奪された[1]。 経歴![]() 1951年2月26日に第10代ビリャベルデ侯爵クリストバル・マルティネス=ボルディウとその妻カルメン・フランコ(後の初代フランコ女公爵。総統フランシスコ・フランコとその妻カルメン・ポロの一人娘)の間の長女としてマドリード・エル・パルド宮殿に誕生[2]。 1972年にスペイン王アルフォンソ13世の次男セゴビア公爵ハイメの長男であるアルフォンソと結婚(この際にアルフォンソにはフランコ総統より一代限りの爵位としてカディス公爵位が与えられた)。この縁組は孫娘を将来の王妃にしようとしたフランコ総統が進めた政略結婚だったといい、二人は6カ月のデートだけで結婚したという[2]。カディス公夫妻は男子を二人儲けたものの、カディス公は妻について「女性・妻・母親として必要な基盤が不足している」と不満を持っており、結局離婚に至った[2]。なおスペイン王フェリペ5世によるフランス王位継承権放棄を無効であると主張するレジティミスム(正統王朝派)の一派はスペイン・ブルボン家(ボルボン家)のカディス公を「フランス王アルフォンス2世」と見做していたため、カディス公の死後はカディス公と彼女の間の子ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・マルティネス=ボルディウが彼らから「フランス王ルイ20世」と見做されている。 カディス公との離婚後、マドリードを離れてパリでジャン=マリー・ロッシと結婚生活を送った。彼との間には娘を一人儲けた。彼との離婚後にはホセ・カンポス・ガルシア(José Campos García)と結婚した[2]。 母方の祖母カルメン・ポロが持つメイラス卿や、父が持つビリャベルデ侯爵位は弟のフランシスコ・フランコが継承していたが、2006年の不動産相続の法律により男女同権が定められたため、2017年に母が死去した後には母の持つフランコ公爵位は彼女が継承した[3]。しかし2022年の国民記憶法施行に伴ってフランコ公爵位は称号廃止となった[1]。 家族1972年3月8日、カディス公爵アルフォンソ(スペイン王アルフォンソ13世の次男セゴビア公爵ハイメの長男)と結婚。彼との間に以下の2子を儲ける。
1979年にカディス公と別居し、1982年に離婚。1984年にフランス人のジャン=マリー・ロッシ(Jean-Marie Rossi, 1930年11月18日-)と再婚。彼との間に以下の1子を儲けた。
1994年にロッシと別居し、1995年に離婚。2006年6月18日にホセ・カンポス・ガルシア(José Campos García)と結婚した。 紋章系譜
脚注出典
外部リンク
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