ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス
ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス(ラテン語: Gāius Iūlius Hygīnus ラテン語発音: [ˈɡäːius ˈi̯uːlʲiʊs̠ hʏˈɡiːnʊs̠], ガーイウス・ユーリウス・ヒュギーヌス)は、ラテン語の著作家。 生涯人物については明確ではないが、一説によれば出生はスペインかアレクサンドレイアとされる[1]。奴隷であったがローマに連れてこられ、アレクサンデル・ポリュヒストールの講義を聴講し、のちに奴隷から解放されたという[1]。スエトーニウスによると、皇帝アウグストゥスによってパラティーヌスの図書館長に任命された[1]。詩人のオウィディウスと友誼を結ぶが、やがて皇帝の不興をかい貧窮に陥り、ガイウス・クラウディウス・リキニウスから援助を受けたとある[1]。 作品ヒュギーヌスは多作家であった。ジャンルも地形学から伝記、詩人ヘルウィウス・キンナやウェルギリウスの詩についての注釈、農業・養蜂に関する論文と多岐にわたって著作活動を行なったが、それらの原本はすべて失われている。 ヒュギーヌスの名前で現存するのは『神話集』と『天文詩』[注釈 1]の二つで、これらは、おそらくヒュギーヌスの神話論を略記した学生の覚え書きであると思われる。ただし、作者のヒュギーヌスとガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスは別人だという説もある[3]。
しかし、『神話集』の大半も失われている。900年頃にベネヴェント書体で書かれた写本が1冊だけバイエルン州フライジングの修道院に残っており[6][7]、1535年にはその写本を基にして最初の印刷版が作られるが、Jacob Micyllus[注釈 3]は不注意かつ無批判的に書き写した。ちなみに、"Fabulae" という題名をつけたのもMicyllusである。15世紀と16世紀、印刷の過程で写本は印刷所でばらばらにされ、生き残ったのはたった2つの断片のみであった。1つは1864年にレーゲンスブルクで、もう1つは1942年にミュンヘンで発見された[8]。両方ともミュンヘンで保存されている[9]。なお、バチカン図書館には15世紀に写された不完全なテキストがある。 ![]()
両方の作品とも要約である。文体(スタイル)、ラテン語の能力のレベル、初歩的な間違い(とくにギリシャ語の翻訳)はヒュギヌスのような著名な学者の作品とは思えず、別人説の根拠となっている。 日本語訳
脚注注釈
出典
参考文献
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