キーストン・スタジオ座標: 北緯34度05分10.37秒 西経118度15分34.80秒 / 北緯34.0862139度 西経118.2596667度
キーストン・スタジオ(Keystone Studios)は、映画産業初期に設立されたアメリカ合衆国の映画スタジオ。1912年7月4日、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のエデンデール(現在はエコー・パーク地区の一部)に、「キーストン・ピクチャーズ・スタジオ」(Keystone Pictures Studio)として、映画プロデューサーのマック・セネット(1880年-1960年)が、俳優、脚本家のアダム・ケッセル(Adam Kessel) (1866年-1946年)[1]、映画プロデューサーでニューヨーク・モーション・ピクチャー・カンパニー(the New York Motion Picture Company)の経営者チャールズ・O・バウマン (1874年-1931年)の支援を受けて開設した[2][3]。設立後数年間、キーストン・スタジオの映画撮影は、スタジオ内部をはじめ、ロサンゼルス郊外のグレンデールやシルヴァー・レイクの周辺で行われ、1915年まで配給はミューチュアル・フィルム・コーポレーションが担っていた[4]。 創設時の建造物であるメイン・スタジオは、今日もエコー・パーク地区に現存している。 映画製作キーストン・スタジオは、1912年からマック・セネットの下で製作されたキーストン・コップスのスラップスティック・コメディ映画や、1915年に登場した「セネット海水着美人」(the Sennett Bathing Beauties)の作品で、最もよく知られている。セネットによりヴォードヴィル俳優であったチャールズ・チャップリンが見出され、サイレント映画俳優としてデビューしたのもキーストン・スタジオであった。『キーストン・スタジオのチャーリー・チャップリン』(Charlie Chaplin at Keystone Studios)は、キーストン時代のチャップリンの代表的な作品を、ヴォードヴィル俳優から喜劇映画俳優、監督への転身の記録を交えて1993年に発表された再編集映画である。1915年に、キーストン・スタジオはD・W・グリフィスとトーマス・H・インスらによるトライアングル・フィルム・コーポレーション傘下の独立製作スタジオになった。 ![]() チャップリンの他にも、マリー・ドレスラー、ハロルド・ロイド、メーベル・ノーマンド、ロスコー・アーバックル、グロリア・スワンソン、ルイーズ・ファゼンダ、レイモンド・グリフィス、フォード・スターリング、ベン・ターピン、ハリー・ラングドン、アル・セント・ジョン、チェスター・コンクリンらのサイレント映画期を代表する多くの俳優が、活動初期にキーストン・スタジオの作品に出演している。 既に名声を得ていたセネットは、1917年にキーストン・スタジオを去り、自身の映画会社を設立している(後に映画の配給はパラマウント映画が行うようになった)。セネット退社後、キーストン・スタジオの事業も縮小していき、最後は 1935年に倒産した。 キーストン・スタジオの照明機材やスタジオの施設の大部分は、ヴェニス (カリフォルニア州)のアワード・シネマ・映画機材社(Award Cinema Movie Equipment)を設立したレイモンド・キング(Reymond King)が、同年11月に購入した。 キーストン・スタジオの名称は、その後ケヴィン・スペイシー主演のコメディー、『ザ・プロデューサー』(1994年)で、製作会社の名前としてクレジットされている。 上記の映画を製作したCineville社のカール・コールパート(Carl Colpaert)と、DVD製作会社のWestlake Entertainment社のリー・キャプリン(Lee Caplin)は2005年、共同でキーストン・スタジオという映画製作、配給会社を設立し、翌年、キーストン・スタジオの名称は新たに商標登録された[5]。 画像集
出典
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外部リンク
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