クレイジー・キム
クレイジー・キム(CRAZY KIM、1974年10月4日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は金山 俊治(かなやま としはる)。熊本県荒尾市出身。元日本スーパーウェルター級王者。元OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王者、元OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者。元OPBF東洋太平洋スーパーミドル級暫定王者。元ABCOスーパーウェルター級王者。初代ABCOスーパーミドル級王者。OPBF王座とABCO王座を同時に保持しOPBF3階級制覇王、ABCO2階級制覇を果たした。現役時代はヨネクラボクシングジム所属。東海大学付属第二高等学校、法政大学出身。元在日韓国人。2009年からは自らが開設したNo.1 CHAMPION SCHOOLの会長を務める。 来歴1991年、インターハイで優勝。翌1992年も高校選抜優勝とアマチュア時代も実績を残す。大学でも王者となり、アマチュアエリートとして6回戦からのデビューとなった。 1999年2月15日、5連勝で日本スーパーウェルター級王者大東旭と対戦し、10回判定負け[1]。 2000年1月15日、日本スーパーウェルター級王者河合丈矢と対戦し、10回判定負け[1]。 2001年2月12日、日本スーパーウェルター級王者吉野弘幸と対戦し、10回KO負け[1]。 2002年10月10日、石田順裕との日本スーパーウェルター級暫定王座決定戦を行い、10回判定勝ちを収め日本王座4度目の挑戦にして暫定ながら初戴冠に成功した[1]。 2003年2月20日、日本スーパーウェルター級正規王者河合丈矢の王座返上に伴い正規王者となった[1]。 2003年7月15日、ナデール・ハムダンが返上し空位となったOPBF東洋太平洋[スーパーウェルター級王座決定戦を呉炳哲(韓国)と争い2回KO勝ちを収め王座獲得に成功した[1]。 2004年2月24日のチャンピオンカーニバルでの日本スーパーウェルター級王座の3度目の防衛戦からリングネームを本名からクレイジー・キムに変更。同年12月13日、アデ・アルフォンス(インドネシア)を倒し東洋太平洋初防衛に成功した[1]。 2005年10月20日、ジャイペット・キャットムアンカーン(タイ)とのABCOスーパーウェルター級王座決定戦を制した[1]。 2006年1月24日、川崎タツキを倒し、日本王座は6度目、東洋太平洋王座は3度目の防衛に成功[1]、同年9月19日、加山利治・日高和彦・石田順裕・前田宏行らから防衛していた日本スーパーウェルター級王座を返上[1]。 2006年10月26日、後楽園ホールでのノンタイトル戦で、WBA世界スーパーウェルター級8位のハビエル・アルベルト・ママニ(アルゼンチン)に10回KO負けを喫した[1]。 2007年7月17日、3階級上となるOPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者ヒース・ステントン(オーストラリア)に挑戦。判定で勝利し東洋太平洋2階級制覇を達成[1]。 2007年7月24日、OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王座獲得に伴い同スーパーウェルター級王座を返上した。 2007年11月20日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーミドル級暫定王座決定戦およびABCOスーパーミドル級王座決定戦でズルフィカル・ジョイ・アリ(フィジー)と対戦し6回KOで勝利し日本人初の東洋太平洋3階級制覇およびABCO2階級制覇を達成した[1]。この王座獲得に伴い、同日ABCOスーパーウェルター級王座を返上した。 2007年11月27日、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級暫定王座を返上。 2008年3月18日、元OPBF東洋太平洋クルーザー級5位ビトリ・ナタワケとのノンタイトル戦を後楽園ホールで行い、2回KO勝ち[1]。 2008年7月30日、オーストラリアニューサウスウェールズ州ニューカッスルで前WBA世界スーパーミドル級王者アンソニー・ムンディンとの試合で、王者からダウンを奪うも10回判定負けを喫した[1]。 2008年11月、ABCOスーパーミドル級王座を返上、同月、現役を引退した。 2009年10月10日、地元である熊本県荒尾市にNo.1 CHAMPION SCHOOLを開設した[2]。 戦績
獲得タイトルアマチュアプロ
脚注関連項目外部リンク
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