グリーンスリーブス
![]() 「グリーンスリーブス」または「グリーンスリーヴズ」(英語原題:Greensleeves)は、伝統的なイングランドの民謡で、ロマネスカと呼ばれる固執低音の旋律をもつ。原曲については作者不詳となっているほか、チューン(節まわし、いわゆるメロディーの骨格)は2種類存在していた可能性があるが、どちらも不明である。 概説起源エリザベス朝の頃、イングランドとスコットランドの国境付近の地域で生まれたといわれているが、前述の通りその起源は厳密には判っていない。記録では、1580年に、ロンドンの書籍出版業組合の記録に、この名の通俗的物語歌(EN)が、「レイディ・グリーン・スリーヴスの新北方小曲(A New Northern Dittye of the Lady Greene Sleeves)」として登録されているが、この印刷文は未だ発見されていない。またこの歌は、1584年の『掌中の悦楽』のなかで、「レイディ・グリーン・スリーヴスの新宮廷風ソネット(A New Courtly Sonnet of the Lady Green Sleeves)」として残っている。このため、以下のような未解決問題が生じている。すなわち、古く登録された「グリーンスリーヴス」の歌のチューンがそのまま今日まで流布したのか、あるいは2つの歌のチューンが別だとすれば、そのいずれが今日広く知られている曲なのか、である。現存する多数の歌詞は、今日知られているチューンに合わせて作詞されている。 この歌は16世紀半ばまで口頭伝承で受け継がれ、17世紀にはイングランドの誰もが知っている曲となった。また、リュート用の楽譜も、17世紀初頭にはロンドンで出版されている。 作曲者の伝説![]() ダンテ・G・ロセッティ画 広く流布している伝説ではあるが、証拠が確認できないものに、この曲はヘンリー8世(1491年 - 1547年)が、その恋人で後に王妃となるアン・ブーリンのため作曲したというものがある。トマス・ブーリンの末娘であったアンは、ヘンリーの誘惑を拒絶した。この拒絶が歌の歌詞のなかに織り込まれていると解釈できる(「cast me off discourteously((わが愛を)非情にも投げ捨てた)」という句が歌詞に入っている)。 この伝説は真偽不明であるが、歌詞は今日でもなお大衆の心の中で、一般にアン・ブーリンと関連付けられている。しかし実際のところ、ヘンリー8世がこの歌の作者であったということはありえないことである。なぜなら、歌はヘンリーが崩御した後でイングランドで知られるようになった詩のスタイルで書かれているからである。<真偽不明> 緑の袖の意味ルネサンス期の服飾では、袖は身頃と別々に仕立てられたため、付け替えが可能であり、本体とは独立した一対として扱われていた[1][2]。そして、この袖を恋人同士の愛の証として交換する風習があった[3][4]。 つまり、歌詞リフレイン部の(振られた男性の手元に残る)袖は、相手女性そのものを指している[5]。 また、恋愛を象徴する色の中で、緑は気まぐれな愛[6]、失恋[7]、恋心、不実な恋[8]などを表している。草木の緑が季節で色を変えるように、移ろいやすいことの暗示である[8]。 解釈の一つとして、「緑の服(a green gown)」というスラングが野外での男女の戯れを指すことから、歌の中のレディ・グリーン・スリーヴスは、性的に奔放な若い女性であり、場合によっては娼婦であったとするものもある。 メロディーの旋法とバージョン歌詞や旋律には、時代や地域ごとに様々なバージョンが存在する。イングランドの古典音楽の特徴を色濃く残すドリア旋法版(レ・ファー・ソ・ラー・シ・ラ…)と、近代西洋音楽の短音階と同様のエオリア旋法版(レ・ファー・ソ・ラー・「シ♭」・ラ…)では、前者の方が本来の古い形と考えられるが[9]、現在では両方のバージョンともよく演奏される。民謡という性質上、どのバージョンも間違いではない。
歌詞Alas, my love, you do me wrong, なお、日本語訳詞は複数あり、岩田宏、門馬直衛、三木おさむ、八木良子などによるものがある。 文学作品での言及1602年頃に書かれた、シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』において、フォード夫人が説明なしで、「グリーンスリーヴス」のチューンに2度言及する場面があり、フォルスタッフは後に大声で叫ぶ。
これらのほのめかしは、当時、この歌が一般によく知られていたことを物語っている。 派生作品この旋律は、様々な曲の主題として用いられる。
カバーいずれも基本的なチューンは同楽曲だが、歌詞やタイトルがアレンジされる場合がある。
その他
関連項目
脚注
外部リンク
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