サッカーにおけるアメリカとメキシコのライバル対決
サッカーのメキシコ代表とアメリカ代表は長い間ライバル関係にある。北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)の2大巨頭の両者の対戦は北アメリカ・ダービー(North American Derby)と呼ばれることもある。 両者の対戦は多くのメディアや両国民の関心を引き付け、特にメキシコにおいてであるが、両国で様々な論評がなされる。最初の対戦は1934年に行われたが、それ以後は常にメキシコが優勢だったこともあり、近年まで重要なライバル関係であるとはみなされていなかった。 概要両者の親善試合はメキシコ系アメリカ人が多数住むロサンゼルス、ヒューストン、フェニックス、シカゴなどで行われることが多い。両者の真剣勝負の場はFIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選、CONCACAFゴールドカップ、コパ・アメリカなどである。中立地で開催された試合では互いに2勝している。2002 FIFAワールドカップの決勝トーナメント1回戦では、FIFAワールドカップの本大会で初めて両者が顔を合わせた。アメリカはグループDを2位で、メキシコはグループGを首位で通過し、全州で行われた試合はアメリカが2-0で勝利した。 メキシコはメキシコ国内で行われた試合でアメリカに敗れたことがなく、23勝1分という成績を収めている。一方でメキシコはアメリカ国内で行われた試合でアメリカに7度勝利しており、7勝9分13敗という成績を収めている。しかし、近年は実力差が縮まっており、1999年のUSカップ以後のメキシコはアメリカ国内で2勝3分9敗となっている。過去の歴史において、マルティン・バスケス(Martín Vásquez)とエドガル・カスティージョ(Edgar Castillo)のふたりが両代表でプレーした経験を持つ。バスケスはメキシコのハリスコ州に生まれ、12歳の時に両親とともにロサンゼルスに移住してアメリカのクラブからプロデビューした。1991年にメキシコ代表デビューして1992年までプレーし、1996年にアメリカ代表デビューした。カスティージョはアメリカのニューメキシコ州に生まれ、2007年8月にウーゴ・サンチェス指揮下のメキシコ代表にデビューし、2008年にはCONCACAFプレオリンピック大会に出場したが、2009年にデンマークとの試合でアメリカ代表デビューした。 歴史1934年の初対戦1921年にアメリカにプロサッカーリーグが誕生したが、このリーグは1933年に解散していた。メキシコ代表とアメリカ代表の初対戦は、イタリアのローマで行われた1934 FIFAワールドカップ・予選で実現した。この大会の予選は全大陸の予選出場国がイタリアに集まり、北中米カリブ海地区からは4ヶ国がパラマストーナメント方式で対戦して1ヶ国が本大会出場権を得ている。メキシコ代表が渡欧の際に使用した船は、選手たちがほとんど体を動かすことができないものであったが、自信過剰なメキシコ人は、サッカーにおいてだけはメキシコがアメリカを上回っていると確信していた。メキシコの選手たちは太りすぎの状態でイタリアに到着し、簡単に勝利できると自信過剰であった。その一方で、アメリカの選手団も1ヶ月の長旅を経てイタリアに到着したが、船上で体操や練習を行い、イタリア到着時にはメキシコ選手より良いコンディションであった。1934年5月24日に行われた試合はアメリカが4-2でメキシコを下し、メキシコはFIFAワールドカップの出場権を手にすることなく帰国した。 アメリカの低迷と復活1937年9月12日に行われた親善試合はメキシコが7-2で圧勝し、1934 FIFAワールドカップ・予選での借りを返した。その後もメキシコがアメリカを圧倒する試合が続き、1954 FIFAワールドカップ・予選、1958 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選、1962 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選ではメキシコが本大会出場権を獲得した。アメリカは1954 FIFAワールドカップから1982 FIFAワールドカップまでの主要国際大会で予選敗退が続き、24戦連続でメキシコから勝利を挙げられずにいたが、1982 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選で46年ぶりにメキシコを破った。アメリカは1994 FIFAワールドカップの開催国に選定されて以降は代表の強化を推し進め、1994 FIFAワールドカップ以降は互角以上の戦績を収めている。 主要大会での成績試合一覧
統計対戦成績
タイトル
脚注
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