ショーン・ストリックランド
ショーン・ストリックランド(Sean Strickland、1991年2月27日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。カリフォルニア州アナハイム出身。エクストリーム・クートゥア/ミレニアMMAジム所属。元UFC世界ミドル級王者。UFC世界ミドル級ランキング2位。 来歴荒んだ家庭環境で育ち、アルコール依存症の父親から母親とともに身体的・精神的虐待を日常的に受けていた。14歳の時に総合格闘技のトレーニングを始め、2008年、17歳でプロ総合格闘技デビュー。KOTC世界ミドル級王座を獲得後、5度のKOTC王座防衛に成功し13戦無敗の戦績を残す。 UFC2014年3月15日、UFC初出場となったUFC 171でババ・マクダニエルと対戦し、リアネイキドチョークで1R一本勝ち[2]。 2015年2月22日、ウェルター級転向初戦となったUFC Fight Night: Bigfoot vs. Mirでサンチアゴ・ポンジニッビオと対戦し、0-3の判定負け。キャリア16戦目で初黒星を喫した[3]。 2017年4月8日、UFC 210でウェルター級ランキング11位のカマル・ウスマンと対戦し、0-3の判定負け。 2017年11月11日、UFC Fight Night: Poirier vs. Pettisでコート・マッギーと対戦し、3-0の判定勝ち。当初は1-0のマジョリティドローとアナウンスされたが、後に採点のミスが発覚しストリックランドの勝利に裁定が変更された[4]。 2020年10月31日、ミドル級復帰戦となったUFC Fight Night: Hall vs. Silvaでジャック・マーシュマンと対戦し、3-0の判定勝ち。なお、この試合はマーシュマンがミドル級リミットから1.5ポンドの体重超過をしたため、187.5ポンド契約で試合が行われた[5]。 2020年11月14日、UFC Fight Night: Felder vs. dos Anjosでブレンダン・アレンと対戦し、スタンドパンチ連打で2RTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した[6]。 2021年7月31日、UFC on ESPN: Hall vs. Stricklandでミドル級ランキング8位のユライア・ホールと対戦し、3-0の5R判定勝ち[7]。 2022年2月5日、UFC Fight Night: Hermansson vs. Stricklandでミドル級ランキング6位のジャック・ハーマンソンと対戦。ハーマンソンのタックルを全て切り、2-1の5R判定勝ち。6連勝を飾った[8]。 2022年7月2日、UFC 276でアレックス・ペレイラと対戦し、左フックでダウンを奪われ追撃の右ストレートで1RKO負け[9]。 2022年12月17日、UFC Fight Night: Cannonier vs. Stricklandでミドル級ランキング3位のジャレッド・キャノニアと対戦し、1-2の5R判定負け[10]。 2023年1月14日、前戦から約1カ月後の試合となったUFC Fight Night: Strickland vs. Imavovでミドル級ランキング12位のナッソーディン・イマボフとライトヘビー級契約で対戦し、3-0の5R判定勝ち。怪我で欠場したケルヴィン・ガステラムの代役を受けての緊急出場であった[11]。 2023年7月1日、UFC on ESPN: Strickland vs. Magomedovでアブス・マゴメドフと対戦し、右ストレートでダウンを奪いパウンドで2RTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した[12]。 UFC世界王座獲得2023年9月10日、UFC 293のUFC世界ミドル級タイトルマッチで王者イスラエル・アデサンヤに挑戦。試合前のオッズでは5.5倍対1.2倍で圧倒的不利と目されていたが、1Rに右ストレートでダウンを奪うと、アデサンヤの打撃を巧みなディフェンスで捌き、スタンドでプレッシャーをかけ続け終始優勢に試合を進めて、番狂わせとなる3-0の5R判定勝ち。王座獲得に成功し、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した[13]。元々はドリカス・デュ・プレシがアデサンヤに挑戦する予定であったがデュ・プレシが足を負傷したため、ストリックランドが代役を受けての出場であった[14]。 2024年1月20日、UFC 297のUFC世界ミドル級タイトルマッチでミドル級ランキング2位の挑戦者ドリカス・デュ・プレシと対戦し、1-2の5R判定負け。王座から陥落し、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[15]。 2024年6月1日、UFC 302でミドル級ランキング7位のパウロ・コスタと対戦し、2-1の5R判定勝ち[16]。 2025年2月8日、UFC 312のUFC世界ミドル級タイトルマッチで王者ドリカス・デュ・プレシに挑戦し、0-3の5R判定負け。王座返り咲きに失敗した[17]。 ファイトスタイル上体を真っ直ぐにしてアップライト・スタンスに構え、試合を通してフットワークを使うことがほとんど無いが、ガードを固めショルダー・ロールやパーリングなどを駆使した高いディフェンス技術を持つ[18][19]。攻撃面では、ハードパンチャーではないものの、左ジャブを軸とした堅実なボクシングを武器に、豊富な手数と常に前に出てプレッシャーをかけ、試合のペースを相手に取らせないスタイル[20]。また、77%のテイクダウンディフェンス率を誇り、自らテイクダウンを狙うことは少ないがテイクダウン成功率においても64%と高い数値を誇る[21]。試合ではスタンドでの打撃がほとんどであるが、柔術黒帯を所持している。 人物・エピソード
戦績
獲得タイトル表彰
脚注
関連項目外部リンク
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