ショーン・ブラッドリー
ショーン・ポール・ブラッドリー(Shawn Paul Bradley, 1972年3月22日 - )は、西ドイツ(現ドイツ)ランドシュトゥール出身の元プロバスケットボール選手。選手時代にはダラス・マーベリックスでセンターとして活躍。父親がアメリカ軍に従軍していた関係で西ドイツで生まれ、アメリカ合衆国のユタ州キャッスルデールで育ったため、ドイツとアメリカの二重国籍を取得している(国際試合はドイツ代表として出場)。また、彼の身長は7 ft 6 in(229cm)であり、NBA史上最も背の高い選手の1人である。 NBA経歴フィラデルフィア・76ersその高身長ゆえに、ドラフト前から名を馳せていたがために[1]、1993年のNBAドラフトにて1巡目全体2位でフィラデルフィア・76ersから指名された。1993年11月5日のワシントン・ブレッツ戦でNBAデビューを果たして6得点、5リバウンド、1アシスト、1スティール、8ブロックを記録し、チームは94-82で勝利した[2]。 1994年2月18日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で膝蓋骨を脱臼する怪我を負い、残りのルーキーシーズンを全休することとなった。このシーズン、ブラッドリーはシーズン平均10.3得点、6.2リバウンド、3.0ブロックを記録し、NBAオールルーキーセカンドチームに選出された[3]。 2年目となる1994-95シーズン、1994年11月18日のロサンゼルス・クリッパーズ戦でキャリアハイとなる22リバウンドを含む28得点、1アシスト、1スティール、9ブロックを記録し、チームは97-83で勝利した[4]。このシーズン、ブラッドリーは全82試合に出場してシーズン通算274ブロックを記録し、シーズン通算ブロック数のフランチャイズ記録を更新した。 ニュージャージー・ネッツ1995年12月頃にデリック・コールマンとのトレードでニュージャージー・ネッツへ移籍した。1996年2月19日のワシントン・ブレッツ戦でNBA史上最も背の高いゲオルゲ・ムレシャン(身長231cm)と対戦し、シーズンハイとなる27得点を含む9リバウンド、4ブロックを記録し、チームは99-81で勝利した。3月5日のダラス・マーベリックス戦でキャリアハイとなる32得点を含む15リバウンド、4アシスト、1スティール、3ブロックを記録したが、チームは117-127で敗れた[5]。同月12日のフェニックス・サンズ戦で8得点、12リバウンド、10ブロックを記録したが、チームは88-98で敗れた。また、翌日のワシントン・ブレッツ戦で自身初のトリプル・ダブルとなる19得点、17リバウンド、11ブロックを記録し、2試合連続で10ブロック以上を記録したNBA史上初の選手となった。 ダラス・マーベリックス![]() (2005年) 1997年2月にトレードでダラス・マーベリックスへ移籍した[6]。 1998年4月7日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で、ベンチ出場ながらキャリアハイとなる13ブロックを含む22得点、22リバウンドのトリプル・ダブルを記録したが、チームは91-99で敗れた。なお、1試合で20得点、20リバウンド、10ブロック以上を記録するのは、カリーム・アブドゥル=ジャバー、エルヴィン・ヘイズ、アキーム・オラジュワン、シャキール・オニールに次いでNBA史上5人目であり、ベンチ出場ではNBA史上初であった。 2000-01シーズン、ブラッドリーはシーズン通算228ブロックを記録し、シーズン通算ブロック数のフランチャイズ記録を更新した。この頃、マーベリックスはスティーブ・ナッシュ、ダーク・ノヴィツキーなどの台頭もあり、プレーオフ進出などに大きく貢献した。 2005年6月頃に現役引退を表明した。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
メディア出演1996年の映画『スペース・ジャム』にカメオ出演しており、マグシー・ボーグス、ラリー・ジョンソン、チャールズ・バークレー、パトリック・ユーイングと並び、不遇のNBAスターの1人として描かれている。 私生活両親も背が高く、父親は203cm、母親は183cmある。妻アネットとの間に1人の息子(チャンス)と4人の娘(シャイアン、シエラ、チェルシー、チャリティー)を持つ。ちなみに全員イニシャルが「C」である。[2] 脚注
外部リンク |
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