ジェフ・エアーズ
ジェフリー・カーティス・エアーズ(Jeffrey Curtis Ayres, 生名:Jeffrey Curtis Orcutt, 1987年4月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オンタリオ出身のバスケットボール選手。NBAのサンアントニオ・スパーズ2014年のチャンピオンメンバー。ポジションはPF。 経歴学生時代アリゾナ州立大学では、ヒューストン・ロケッツのジェームス・ハーデンの2年先輩であり、同年にドラフトで、NBA入りした。 NBA2009年、ポートランド・トレイルブレイザーズからドラフト全体31位で指名され入団した[1]。2010年4月14日、ゴールデンステート・ウォリアーズ戦でキャリアハイとなる21得点を上げた[2]。 2010-2011シーズンを前に、膝にシーズン全休となる傷を負い、解雇された[3]。 2011年にインディアナ・ペイサーズと契約したが、12月に練習中に負った膝の軽い怪我により[4]2012年まで出場できなかった。4月23日、ペイサーズでの初のスタートで18分出場し、10得点、7リバウンド、1アシスト、2ブロックの記録を残した。 2013年のイースタン・カンファレンスファイナルのマイアミ・ヒート第7戦最終クオーター、ペンダーグラフは、ヒートのガード、ノリス・コールと押し合いをし、レフェリー、ケン・マウアーから両者は退場処分を受けた[5] 2013年7月11日、サンアントニオ・スパーズに移籍した[6]。 2013-14シーズンは故障もなく、スパーズのチームプレースタイルに当初から馴染み、シーズンを通してローテーションに定着し、ロールプレーヤーとして73試合に平均13分出場した。プレーオフも17試合に出場し、自身初のチャンピオンメンバーとなった。 2015年10月31日、NBAチームからの新契約を受けることが出来なかったエイアーズは、NBADLのドラフトでアイダホ・スタンピードから1位指名を受けて契約。2016年1月22日にロサンゼルス・クリッパーズと10日間契約を結び[7]、契約終了後ロサンゼルス・ディーフェンダーズでプレーしていたが、3月15日にクリッパーズとシーズン終了までの契約を結んだ[8]。 海外へ2016年9月21日、ユナイテッド・リーグのPBC CSKAモスクワと契約した[9]ものの、NBA復帰を目指す為に11月23日に退団[10]。ロサンゼルス・ディーフェンダーズに復帰。 2017年2月16日、Bリーグ、アルバルク東京への入団が発表された[11]。 2017年8月11日、BSLのエスキシェヒル・バスケットと契約したと報じられた[12]。 2020年6月19日、名古屋ダイヤモンドドルフィンズと契約した[13] [14]。 NBA スタッツ
レギュラーシーズン
プレーオフ
その他学生時代からインディアナ・ペイサーズ時代までは、継父の姓である "ペンダーグラフ" を名乗っていたが、サンアントニオ・スパーズ移籍後、「生まれてくる娘のために、本来と違う名前を名乗ってはいけないと思った」という理由で、2013-2014シーズン開始前に実父の "エアーズ" に改名した。ちなみに生まれた時の姓は "オーカット" である。 脚注
外部リンク |
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