インディアナ・ペイサーズIndiana Pacers
2021-22シーズンのインディアナ・ペイサーズ
呼称/略称
IND チームロゴ
青いPの文字の輪の部分に黄色のバスケットボールを重ねている。 所属リーグ
NBA カンファレンス
イースタン・カンファレンス ディビジョン
セントラル 創設
1967年 (当初はABA 加盟。1976年にNBA加入。) チーム史
インディアナ・ペイサーズ (1967年 - ) 本拠
インディアナ州 インディアナポリス アリーナ
ゲインブリッジ・フィールドハウス 収容人数
18,165人 開設1999年 チームカラー
ネイビーブルー, ゴールド, クールグレー[ 1] [ 2] [ 3] 主なスポンサー
モトローラ [ 4] オーナー
ハーブ・サイモン (英語版 ) 社長
ケビン・プリチャード (英語版 ) GM
チャド・ブキャナン (英語版 ) ヘッドコーチ
リック・カーライル 優勝歴
ABA時代 : 3回 (1970年, 1972年, 1973年)NBA : 0回 ファイナル進出
ABA時代 : 5回 (1969年, 1970年, 1972年, 1973年, 1975年)NBA : 1回 (2000年) ディビジョン優勝
ABA時代 : 3回 (1969年, 1970年, 1971年)NBA : 6回 (1995年, 1999年, 2000年, 2004年,2013年,2014年) 永久欠番
30 31 34 35 529 NBAGL提携チーム
インディアナ・マッドアンツ 公式サイト
www .nba .com /pacers
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インディアナ・ペイサーズ (Indiana Pacers )は、インディアナ州 インディアナポリス市 に本拠を置く全米プロバスケットボール 協会 (NBA ) のチーム。イースタン・カンファレンス 、セントラル・ディビジョン 所属。チーム名のpacerとは測定馬のことで、インディアナ州は競馬が盛んな土地である。また、本拠地のあるインディアナポリスは自動車レース のインディ500 が有名で、それに用いられるペースカー にもちなんでいる。
歴史
アメリカでもバスケットボール人気の高いインディアナ州 には、かつてインディアナポリス・ジェッツ (もとのコートスカイズ)とその後を継いだインディアナポリス・オリンピアンズ というプロチームがあった。NBA創成期に活動したこの2チームは1950年代 前半には消滅。その後長らくインディアナ州にプロのバスケットボールチームはなかった。
ABA時代
1967年 にNBAに対する立場でもう一つのプロバスケットボールリーグABA が結成されると、インディアナにプロバスケットボールチームを求めていた地元の財界人8名が出資しあい、インディアナ・ペイサーズ が創設された。
初期のペイサーズはABAを代表する強豪の一つだった。1970年 には59勝25敗で初優勝、1972年 には47勝だったものの再び優勝し、翌1973年 には2連覇を果たした。この時代のスター選手はジョージ・マクギニス だった。
ABAは次第に財政難に陥るようになり、リーグは1976年 に解散することになった。翌シーズンよりペイサーズはNBAに新規チームとして参加したが、NBAに支払った加入金が高額であり、その外にも試合のテレビ放送による収益を得ることを禁じられるなどの制限のためにチームは存続の危機を迎えた。地元財界による支援などで辛うじてこの状況を克服し、以降もペイサーズはNBAのチームとして残ることになった。
ABA時代からチームの監督はスリック・レナード が務めたが、NBA加入後チームの勝率は5割台に届かない年が続いた。1980年代 に入るとジャック・マキニー が代わって監督に就いたがチーム成績は悪化し、勝率は数シーズンにわたり3割程度をさ迷った。この低迷は80年代を通して変わらなかった。
ミラーの時代
レジー・ミラー
ペイサーズは80年代後半に後の時代の核となる選手を獲得した。1986年 にドラフト4位で指名したチャック・パーソン はそのシーズン新人王になり、トレードされるまでの3年間チームを引っ張った。翌年11位で指名されたレジー・ミラー はのちにペイサーズ史上最も著名な選手となり、1988年 にはオランダ人センターリック・スミッツ を獲得した。
1990年代 前半までチームは勝率5割程度まで持ち直したが、東地区有数の強豪になるのは1993年 に名将ラリー・ブラウン をヘッドコーチに迎えて以降だった。ペイサーズは勝ち数50程度にまで成長したが、プレイオフではより印象的な活躍を見せた。東地区のライバルだったニューヨーク・ニックス との対決や、レジー・ミラー が見せた数々の逆転劇は注目を集めた。しかしチームはNBAファイナル に進むことはできず、1996-97シーズン には主力の怪我のため成績が低迷し、シーズンが終わるとラリー・ブラウンは辞任した。
ブラウンの後を継いだのはかつて選手として名を馳せたラリー・バード だった。バードがヘッドコーチに就いた最初のシーズン、ペイサーズはチーム史上最多の58勝をあげた。このシーズンのプレイオフではシカゴ・ブルズ を追い詰めたが一歩及ばず敗退。翌シーズンも地区決勝でニューヨーク・ニックス に敗れた。続く1999-2000シーズン にはついにNBAファイナルに進出するが、ロサンゼルス・レイカーズ に2勝4敗で敗退した。バードはこのシーズンを最後に辞任した。
次にペイサーズのヘッドコーチに就任したのはアイザイア・トーマス だった。リック・スミッツ の引退や、ジャーメイン・オニール 獲得のためデイル・デイヴィス を放出するなど以降3シーズンは再建の時期に入った。勝率は5割程度、プレーオフでは1回戦での敗退が続き、トーマス3年目にゼネラルマネージャー に就任したラリー・バード は、現役時代から因縁があったトーマスを解任。代わってリック・カーライル をヘッドコーチに据えた。
オニールの時代
2003-04シーズン 、オニール、ロン・アーテスト 、アル・ハリントン 、ジャマール・ティンズリー らの若手とベテランのミラーを中心に快進撃を続け、ペイサーズはリーグ最高の61勝をあげる。この年のオールスター にオニールとアーテストが出場し、アーテストは最優秀守備選手賞 を受賞した。しかし、プレーオフではその年優勝するデトロイト・ピストンズ にカンファレンスファイナルで敗れた。
2004-05シーズン では、オフにスティーブン・ジャクソン を補強して万全の体制でシーズンを迎えた。しかし、シーズン序盤に試合中に暴行事件を起こし、多くの主力選手を大幅な出場停止で失う。事件後、主力選手を多く欠く中でミラーを中心にシーズンを戦い、イースタンカンファレンス第6シードでプレーオフに進出した。しかし、カンファレンスセミファイナルでピストンズに敗れ、ミラーは現役引退した。
2004年の乱闘事件
2004年 11月19日 、デトロイトの本拠地パレス・オブ・オーバーン・ヒルズ(the Palace at Auburn Hills)で行われたペイサーズ対ピストンズ 戦で、NBA史上最悪の選手とファンを巻き込んだ喧嘩とも言うべき乱闘が起こった。ロン・アーテスト がベン・ウォーレス に対して激しいファウル を犯し、選手同士での小競り合いが始まった。いざこざの最中、憮然として寝そべっていたアーテストに対し、観客席のピストンズのファン、ジョン・グリーンがコーラ の入った紙コップ を投げつけ、激昂したアーテストが観客席に駆け上ると、事態は最悪の方向へ向かってしまう。アーテストは男性のファンを思い切り押し倒し、また後方から突入してきたスティーブン・ジャクソン は、別の男性のファンに右の拳で殴ってしまう(もちろん、いずれもピストンズファンである)。さらにジャーメイン・オニールも観客席に入り、会場は騒然となった。さらにこの後も、フロアに乱入した男性のファンにアーテストは殴りかかった。試合は46秒を残して打ち切られ(後日放棄試合 が宣告された)、双方の選手は退場した。また、この退場の際に観客からたくさんの物(紙コップやポップコーン、コーラ)が投げつけられ、選手達には容赦なくブーイング と罵声が浴びせられた。一部の選手は、退場の際にも観客と口論になった。
観客への暴力行為はもってのほかであるが、NBAでは選手による観客席への立ち入りを厳禁していた。コミッショナーのデビッド・スターン は、NBAはもとより、全米プロスポーツ史上に汚点を残すことになってしまったこの事態を厳粛に受け止め、複数の選手に厳しい処分を下した。
双方のチーム、およびプレイヤーは謝罪を行い、関係した選手を欠場させることが決定された。さらにNBAは会場での警備 、および試合中での双方の振る舞いについて、より厳粛なルールを設けることを決定した。
ペイサーズ側
ロン・アーテスト(残り全てのレギュラーシーズン及びプレイオフ出場停止)
スティーブン・ジャクソン(30試合出場停止)
ジャーメイン・オニール(25試合出場停止、後に15試合出場停止に処分軽減)
アンソニー・ジョンソン(5試合出場停止)
ピストンズ側
2006年、アーテストに紙コップを投げ付けたジョン・グリーンは永久にパレス・オブ・オーバーン・ヒルズの出入禁止となる処分を受けた。[1]
2005-06シーズン は、アーテストの問題発言や行動に悩まされたり(後にペジャ・ストヤコビッチ とのトレードでサクラメント・キングス に移籍)、オニールのケガなどで主力がなかなか揃わない状態が続きチームも低迷。プレーオフでも1回戦で敗退した。
低迷の時代
2006-07シーズン では、シーズン中盤にジャクソン、ハリントンら主力をゴールデンステート・ウォリアーズ に放出、代わりにマイク・ダンリービー・ジュニア 、トロイ・マーフィー らを獲得する大きなチーム改革を行った。しかし、チームは思うように成績が上がらず、プレーオフには進出できなかった。このシーズンを最後に、3年連続プレーオフ進出を果たしてきたリック・カーライル は解任された。
グレンジャーの時代
2007-08シーズン は、ヘッドコーチにジム・オブライエン が就任した。故障がちのオニールに代わって、ダニー・グレンジャー がエースプレイヤーとして台頭してきた。この年もオニールやティンズリーのケガもあり、プレーオフには進出できなかった。
2008-09シーズン は、ドラフト17位でロイ・ヒバート を獲得した。オフにオニールをトレードでトロント・ラプターズ に放出し、グレンジャーを中心としたチームになった。グレンジャーは自身初のオールスター出場するなど成長を見せたが、チームは3シーズン連続プレーオフ進出を逃した。
2009-10シーズン、ドラフト1巡目13位でタイラー・ハンズブロー を獲得した。チームの財政難もあって大きな補強はできず、成績の低迷は続き、前年を下回る32勝50敗と10年来で最低の成績に終わった。
2010-11シーズン、ドラフト1巡目10位でポール・ジョージ 、2巡目40位でランス・スティーブンソン を獲得した。2008年から2010年までの、主力トロイ・マーフィー を放出し、調子の上がらないT・J・フォード に代わるPGとしてニューオリンズ・ホーネッツ でクリス・ポール の控えだったダレン・コリソン を獲得し開幕を迎えた。開幕から17勝27敗と大きく負け越した時点でジム・オブライエンはヘッドコーチを退任し、アシスタントコーチだったフランク・ヴォーゲル が暫定ヘッドコーチに就任し、20勝19敗と勝ち越し、8位でプレーオフ進出を決めた。1stラウンドは、好調のデリック・ローズ を擁するシカゴ・ブルズ と対戦し、1勝は上げたが敗退した。
チーム再編
2011-12シーズン、ドラフト1順目で指名したカワイ・レナード の交渉権をサンアントニオ・スパーズ に譲渡し、地元出身のジョージ・ヒル を獲得した。フロントコートの補強にFAのデビッド・ウェスト と契約し、昨シーズンの実績を買われ正ヘッドコーチに就任したフランク・ヴォーゲル による本格的なチーム作りが始まった。飛び抜けたプレーヤー一人で引っ張るのではなく、チーム全員の貢献で、ウェスト3位の42勝24敗でプレーオフに進み、7シーズンぶりの1stラウンド突破を果たしたが、セミファイナルでレブロン・ジェームズ 率いるマイアミ・ヒート に2勝したが、敗退した。
ポール・ジョージの時代
ポール・ジョージ
2012-13シーズン、ヒバートの控えとしてダラス・マーベリックス からイアン・マヒンミ を獲得。強力なディフェンスとリバウンド力を活かし、膝の故障で5試合のみの出場に終わったグランジャーの穴を埋め、49勝32敗の好成績で9年ぶりのディビジョン優勝を果たした。ポール・ジョージ はこの年初めてNBAオールスターにも出場し、MIPも受賞した。プレーオフではアトランタ・ホークス 、ニューヨーク・ニックス を下し、昨年敗れたヒートを3敗まで追い込みカンファレンス優勝に王手をかけたが、最終戦で敗れ、シーズンを終えた。
ロイ・ヒバート
ジョージ・ヒル
2013-14シーズン、ルイス・スコラ を獲得し、フロントコートの厚みを増し、開幕を迎えた。シーズン途中その時点でローテションで不要になりつつあったグレンジャーを放出。チームは56勝26敗でイースト首位の好成績でレギュラーシーズンを締めくくりプレーオフに期待を持たせた。1回戦では前年勝利しているホークスとの対戦となり、ジーズン終盤に調子を落としていたこともあり苦戦を強いられたが、最終戦でなんとか勝ち抜けた。セミファイナルは、終盤戦に調子を上げて、1回戦でシカゴ・ブルズ を破ったワシントン・ウィザーズ との対戦となったが第6戦で勝ち抜け、2年連続でのカンファレンスファイナル進出を決めた。しかしファイナルでは、マイアミ・ヒート に3年連続で敗れ、シーズンを終えた。
2014-15シーズンは、オフに夏のアメリカ代表キャンプに参加していたジョージが、右足を解放骨折するという事態に見舞われた。更に開幕後もデビッド・ウェスト やジョージ・ヒル などが怪我で欠場。既にランス・スティーブンソン をFAで失っていた(シャーロット・ホーネッツ に移籍)ため、ロイ・ヒバート を除いて、前シーズンからスターターが、4人も入れ替わるという異常事態に陥った。不測の事態で前シーズンから様変わりしたチームは、勝率5割を切る苦しい闘いを強いられ、2015年3月31日のブルックリン・ネッツ 戦に敗れ、2010-11シーズン以来のシーズン負け越しが決定。結局は38勝44敗に終わり、プレーオフ不出場も確定した。
2015-16シーズンは、ジョージが重傷から完全復活し、チームを牽引。ヒバート、ウェストを放出し、懸念されたインサイド陣も、初のスターターに起用されたイアン・マヒンミ がキャリアハイの活躍を見せれば、ルーキーのマイルス・ターナー も台頭し、2シーズン振りのプレーオフ進出を決めた。プレーオフでは1回戦でトロント・ラプターズ と激戦を演じたものの3勝4敗で敗退し、この結果を受けてフランク・ヴォーゲル HCは解任された。
2016-17シーズンは、HCにトップACのネイト・マクミラン を昇格。2016年のNBAドラフト 開催日には三角トレードでジェフ・ティーグ を獲得するなど、活発に動くも、レギュラーシーズンは成果が見られず、42勝40敗で終了。プレーオフには駒を進めたが、1回戦で前シーズンチャンピオンのクリーブランド・キャバリアーズ に4戦全敗のスイープ負けを喫した。
ポール・ジョージからビクター・オラディポへ
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加筆 が望まれています。
主に: 2020-21シーズンのペイサーズについて (2021年11月 )
2017年7月1日、チームにトレードを要求したポール・ジョージ をビクター・オラディポ 、ドマンタス・サボニス とのトレードによりオクラホマシティ・サンダー に放出した[ 5] 。2017年10月18日のブルックリン・ネッツ とのシーズン開幕戦でオラディポは22得点、5リバウンド、4アシスト、4スティールを記録、試合はペイサーズが140-131で勝利した[ 6] 。その後、チームは44勝38敗のカンファレンス5位でプレーオフ進出。プレーオフでは1回戦で昨シーズンスウィープ を喫したクリーブランド・キャバリアーズ を相手に最終第7戦までもつれ込むが敗戦[ 7] 。
2018-19シーズンは、1月にオラディポが負傷し早くもシーズン終了となるピンチを迎えたが、マイルス・ターナー やボヤン・ボグダノヴィッチ を筆頭にエースの穴をチーム全員で埋め、昨季よりも上の48勝34敗でカンファレンス5位の成績でプレーオフに進出した。プレーオフでは、1回戦でボストン・セルティックス にスウィープされた。
2019-20シーズンには、ボグダノヴィッチをユタ・ジャズ に放出したが、アトランタ・ホークス から金銭のみのトレードで獲得したT・J・ウォーレン が、ジョージの正式な後釜として存分に機能し、新型コロナウイルスにおけるシーズン中断・縮小があったものの昨シーズンを上回る勝率でプレーオフに進出した。しかし主力に怪我人が続出したこともあり、1回戦でマイアミ・ヒート に4戦全敗のスウィープ負けを喫した。
カーライル再招聘
この節の
加筆 が望まれています。
(2021年11月 )
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン
勝
敗
%
プレーオフ
結果
インディアナ・ペイサーズ
1967-68
38
40
.487
地区準決勝敗退
ピッツバーグ 3, ペイサーズ 0
1968-69
44
34
.564
地区準決勝勝利 地区決勝勝利 ABAファイナル敗退
ペイサーズ 4, ケンタッキー 3 ペイサーズ 4, マイアミ 1 オークランド 4, ペイサーズ 1
1969-70
59
25
.702
地区準決勝 地区決勝 ABAファイナル優勝
ペイサーズ 4, カロライナ 0 ペイサーズ 4, ケンタッキー 1 ペイサーズ 4, ロサンゼルス 2
1970-71
58
26
.690
地区準決勝勝利 地区決勝敗退
ペイサーズ 4, メンフィス 0 ユタ 4, ペイサーズ 3
1971-72
47
37
.560
地区準決勝 地区決勝勝利 ABAファイナル優勝
ペイサーズ 4, ナゲッツ 3 ペイサーズ 4, ユタ 3 ペイサーズ 4, ニューヨーク 2
1972-73
51
33
.607
地区準決勝勝利 地区決勝勝利 ABAファイナル優勝
ペイサーズ 4, ナゲッツ 1 ペイサーズ 4, ユタ 2 ペイサーズ 4, ケンタッキー 3
1973-74
46
38
.548
地区準決勝勝利 地区決勝敗退
ペイサーズ 4, スパーズ 3 ユタ 4, ペイサーズ 3
1974-75
45
39
.536
地区準決勝勝利 地区決勝勝利 ABAファイナル敗退
ペイサーズ 4, スパーズ 2 ペイサーズ 4, ナゲッツ 3 ケンタッキー 4, ペイサーズ 1
1975-76
39
45
.464
地区準決勝敗退
ケンタッキー 2, ペイサーズ 1
1976-77
36
46
.439
1977-78
31
51
.378
1978-79
38
44
.463
1979-80
37
45
.451
1980-81
44
38
.537
1回戦敗退
シクサーズ 2, ペイサーズ 0
1981-82
35
47
.427
1982-83
20
62
.244
1983-84
26
56
.317
1984-85
22
60
.268
1985-86
26
56
.317
1986-87
41
41
.500
1回戦敗退
ホークス 3, ペイサーズ 1
1987-88
38
44
.463
1988-89
28
54
.341
1989-90
42
40
.683
1回戦敗退
ピストンズ 3, ペイサーズ 0
1990-91
41
41
.500
1回戦敗退
セルティックス 3, ペイサーズ 2
1991-92
40
42
.488
1回戦敗退
セルティックス 3, ペイサーズ 0
1992-93
41
41
.500
1回戦敗退
ニックス 3, ペイサーズ 1
1993-94
47
35
.573
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
ペイサーズ 3, マジック 0 ペイサーズ 4, ホークス 2 ニックス 4, ペイサーズ 3
1994-95
52
30
.634
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
ペイサーズ 3, ホークス 0 ペイサーズ 4, ニックス 3 マジック 4, ペイサーズ 3
1995-96
52
30
.634
1回戦敗退
ホークス 3, ペイサーズ 2
1996-97
39
43
.476
1997-98
58
24
.707
1回戦勝利 カンファレンス準決勝 カンファレンス決勝敗退
ペイサーズ 3, キャバリアーズ 1 ペイサーズ 4, ニックス 1 ブルズ 4, ペイサーズ 3
1998-99
33
17
.660
1回戦勝利 カンファレンス準決勝 カンファレンス決勝
ペイサーズ 3, バックス 0 ペイサーズ 4, シクサーズ 0 ニックス 4, ペイサーズ 2
1999-2000
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 敗退
ペイサーズ 3, バックス 2 ペイサーズ 4, シクサーズ 2 ペイサーズ 4, ニックス 2 レイカーズ 4, ペイサーズ 2
2000-01
41
41
.500
1回戦敗退
シクサーズ 3, ペイサーズ 1
2001-02
42
40
.512
1回戦敗退
ネッツ 3, ペイサーズ 2
2002-03
48
34
.585
1回戦敗退
セルティックス 4, ペイサーズ 2
2003-04
61
21
.744
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝
ペイサーズ 4, セルティックス 0 ペイサーズ 4, ヒート 2 ピストンズ 4, ペイサーズ 2
2004-05
44
38
.537
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
ペイサーズ 4, セルティックス 3 ピストンズ 4, ペイサーズ 2
2005-06
41
41
.500
1回戦敗退
ネッツ 4, ペイサーズ 2
2006-07
35
47
.427
2007-08
36
46
.439
2008-09
36
46
.439
2009-10
32
50
.390
2010-11
37
45
.451
1回戦敗退
ブルズ 4, ペイサーズ 1
2011-12
42
24
.636
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
ペイサーズ 4, マジック 1 ヒート 4, ペイサーズ 2
2012-13
49
32
.605
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
ペイサーズ 4, ホークス 2 ペイサーズ 4, ニックス 2 ヒート 4, ペイサーズ 3
2013-14
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
ペイサーズ 4, ホークス 3 ペイサーズ 4, ウィザーズ 2 ヒート 4,ペイサーズ 2
2014-15
38
44
.463
2015-16
45
37
.549
1回戦敗退
ラプターズ 4, ペイサーズ 3
2016–17
42
40
.512
1回戦敗退
キャバリアーズ 4, ペイサーズ 0
2017–18
48
34
.585
1回戦敗退
キャバリアーズ 4, ペイサーズ 3
2018–19
48
34
.585
1回戦敗退
セルティックス 4, ペイサーズ0
2019–20
45
28
.616
1回戦敗退
ヒート 4, ペイサーズ0
2020–21
34
38
.472
2021–22
25
57
.305
2022–23
35
47
.427
2023–24
47
35
.573
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
ペイサーズ 4, バックス 2 ペイサーズ 4, ニックス 3 セルティックス 4,ペイサーズ 0
通算勝敗
2,357
2,255
.511
プレーオフ
192
185
.509
主な選手
現役選手
プレーヤー
スタッフ
記号説明
外部リンク
更新日:2025年01月30日
保有するドラフト交渉権
ペイサーズは、NBA以外のリーグでプレーしている以下の未契約ドラフト指名選手の交渉権を保有している。ドラフトで指名された選手(海外出身の選手または大学選手で、ドラフトで指名したチームと契約していない選手)は、NBA以外のどのチームとでも契約することが認められており、この場合、そのチームは、その選手のNBA以外のチームとの契約が終了してから1年後まで、その選手のNBAでの交渉権を保持することになる[ 8] 。このリストには、他球団とのトレードで獲得した交渉権も含まれている。
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVP を獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
栄誉
永久欠番
インディアナ・ペイサーズ永久欠番
No.
名前
ポジション
在籍期間
式典日
30
ジョージ・マクギニス
F
1971–1975 1980–1982
1985年11月2日
31
レジー・ミラー
G
1987–2005
2006年3月30日
34
メル・ダニエルズ
C
1968–1974
1985年11月2日
35
ロジャー・ブラウン
F
1967–1974, 1975
1985年11月2日
529 1
スリック・レナード
ヘッドコーチ
1968–1980
1996年3月15日
注釈
1 ペイサーズのヘッドコーチとしての勝利数を表している。
2022年8月11日に、NBAはビル・ラッセル の背番号「6 」を全チームの永久欠番とした[ 9] [ 10] 。
殿堂入り
注釈
FIBA殿堂入り
ユーロリーグ殿堂入り
インディアナ・ペイサーズユーロリーグ殿堂入り
選手
No.
名前
ポジション
在籍期間
殿堂入り
3
シャルーナス・ヤシケヴィチュス
G
2005–2007
2015
アリーナ
チーム記録
脚註
^ Hotchkiss, Wheat (2017年7月28日). “Pacers Unveil New Look for 2017–18 Season” . NBA Media Ventures, LLC. https://www.nba.com/pacers/news/pacers-unveil-new-look-2017-18-season 2019年4月20日閲覧。
^ “Official Colors–Front Office ”. 2020–21 Indiana Pacers Media Guide . NBA Properties, Inc. (2020年12月22日). 2020年12月30日閲覧。
^ “Indiana Pacers Reproduction and Usage Guideline Sheet ”. NBA Properties, Inc.. 2016年8月10日閲覧。
^ "Pacers & Motorola Announce Multi-Year Partnership" . Pacers.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 19 December 2018. 2018年12月19日閲覧 。
^ ポール・ジョージがサンダーへトレード
^ “Revamped Pacers rely on new faces to cut down Nets 140-131 ” (英語). ESPN.com . ESPN (2017年10月18日). 2018年2月21日閲覧。
^ “7th Heaven: LeBron carries Cavaliers past Pacers in Game 7 ” (英語). ESPN.com (2018年4月29日). 2018年4月30日閲覧。
^ Coon, Larry . “NBA Salary Cap FAQ – 2011 Collective Bargaining Agreement ”. 2014年4月13日閲覧。 “If the player is already under contract to, or signs a contract with a non-NBA team, the team retains the player's draft rights for one year after the player's obligation to the non-NBA team ends. Essentially, the clock stops as long as the player plays pro ball outside the NBA.”
^ “Bill Russell's No. 6 jersey to be retired throughout NBA ”. NBA.com (2022年8月11日). 2022年8月24日閲覧。
^ Golliver, Ben (2022年8月11日). “NBA permanently retires Bill Russell's No. 6” . Washington Post . https://www.washingtonpost.com/sports/2022/08/11/bill-russell-nba-jersey-retirement/ 2022年8月24日閲覧。
外部リンク