ジェフ・ジェンキンス
ジェフ・ジェンキンス(Geoffrey Scott Jenkins, 1974年7月21日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州オリンピア出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 経歴プロ入りとブルワーズ時代南カリフォルニア大学ではマーク・マグワイアの本塁打記録(54本)に次ぐ45本塁打を放ち[1]、1995年のMLBドラフト1巡目(全体9位)でミルウォーキー・ブルワーズに指名され入団。 1998年4月24日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビューを果たした。 1999年にはメジャーに定着を果たし、135試合に出場して打率.313、21本塁打、82打点、43二塁打をマークした。 2000年は135試合に出場して、2年連続3割となる打率.303、初の30本越えとなる34本塁打、94本塁打を記録した。 2001年は右肩の捻挫と左手の負傷で2度の故障者リスト入り、2002年6月17日の試合では、三塁ベースに滑り込んだ際に右足首を脱臼してシーズンを早々と終えてしまった[2]。 2003年は自身初となるオールスターに選出されたが、左指の骨折など怪我が多く、チャンスに弱い事や三振が多い事、それに若手の台頭など悪条件が重なってチーム放出の危機にあった[要出典]。 2004年は自己最多の157試合に出場し、打率.264、27本塁打、93打点をマーク。また4月6日には球団タイ記録となる1試合2三塁打を達成している。 練習態度が真面目でチームリーダー的存在と評価されていたが[3]、2006年8月11日にネッド・ヨスト監督が「ハートやグロスがどこまでできるのか、確かめておきたい」とジェンキンスのスタメン落ちを決断した。ジェンキンスは控えに徹することを決意した[4]。しかし、打撃修正の必要性を認めず首脳陣の不興を買った[3]。 2007年オフに3年総額2,300万ドルの契約が満了となったが、チームは900万ドルの契約オプションを行使せず、10月30日にFAとなった[5]。 フィリーズ時代ブルワーズ退団後はサンディエゴ・パドレスやテキサス・レンジャーズも興味を示していたが、2007年12月20日にフィラデルフィア・フィリーズと2年契約を結んだ[6]。 2008年は115試合に出場して、フィリーズのワールドシリーズ制覇に貢献したが、7月頃から成績不振のため途中出場が多くなり、打率.246、9本塁打、29打点という芳しくない結果に終わった。 2009年3月31日にフィリーズを自由契約となった[7]。その後はいずれのチームとも契約しなかった。 2010年7月9日に古巣のブルワーズと1日のみの契約を結び、試合に出場することはなかったがブルワーズのメンバーとして現役引退を発表した[8]。 プレースタイル足を大きく上げるバッティングフォームである。パワーがあるが近年はひっぱるだけではなく、反対方向にも打てるようになってきているが、選球眼はあまり良くない。強肩で補殺数も多い[9]。 詳細情報年度別打撃成績
脚注
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