ジェロード・ユトフ
ジェロード・リード・ユトフ(Jarrod Reed Uthoff, 1993年5月19日 - )は、アメリカ合衆国アイオワ州シーダーラピッズ出身のプロバスケットボール選手。レガ・バスケット・セリエAのパラカネストロ・トリエステに所属している。ポジションはパワーフォワード。政治家で共和党の下院司法委員長を務めるジム・ジョーダンは義父にあたる[1]。 経歴カレッジ高校卒業後はウィスコンシン大学に進学し、1年目の2012-13シーズンはNCAAのレッドシャツ制度により試合に出場しなかった。このシーズン終了後に転校することを発表。ウィスコンシン大学ヘッドコーチのボー・ライアンは自身が定めた26の他大学への転校を許さない方針だったが、後にこの基準が引き下げられ、アイオワ大学へ転校した[2]。転校1年目の2013-14シーズンもNCAAの規定で試合に出場しない予定だったが、自らNCAAに料金を支払い出場が許可された[2]。 2015-16シーズンは平均18.9得点・6.1リバウンドを記録し、オールアメリカンファーストチームに選出された。 ラプターズ・9052016年のNBAドラフトでは指名がなく、ドラフト後に行われたサマーリーグにサクラメント・キングスの一員として参加した[3]。その後、2016年8月2日にトロント・ラプターズと契約したが、10月30日に解雇され、Dリーグのラプターズ・905へ送られた[4]。 フォートウェイン・マッドアンツ2017年1月27日にトレードでフォートウェイン・マッドアンツへ移籍した[5]。 ダラス・マーベリックス2017年3月9日にダラス・マーベリックスと10日間契約を結んだ[6]。翌日のブルックリン・ネッツ戦に2分間出場し、NBAデビューを果たした[7]。19日に2度目の10日間契約を結び、27日に複数年の正式契約を結んだ。マーベリックスでは9試合に出場した[8]。 2017年7月29日に金銭とのトレードでヒューストン・ロケッツへ放出され、31日に解雇された[9]。 マッドアンツ復帰2017-18シーズンはかつて所属したGリーグのマッドアンツでプレーし、平均16.5得点・8.4リバウンド・2.5アシストを記録した[10]。 BCゼニト・サンクトペテルブルク2018年7月19日にユナイテッド・リーグに所属するBCゼニト・サンクトペテルブルクと契約した[11]。 メンフィス・ハッスル2019年10月16日にメンフィス・グリズリーズと契約したが翌日に解雇され、Gリーグのメンフィス・ハッスルへ送られた[12]。12月31日のリオグランデバレー・バイパーズ戦では30得点・9リバウンド・2アシスト・2スティール・1ブロックを記録した[13]。 メンフィス・グリズリーズ2020年2月27日にグリズリーズと10日間契約を結んだ[14]。3月7日に契約が満了するまで、4試合に出場した。 ワシントン・ウィザーズ新型コロナウイルスの影響で中断された2019-20シーズンが、フロリダ州オーランドにて隔離された状態で再開された中、2020年7月17日に欠場者が出た場合の代替選手としてワシントン・ウィザーズと契約した[15]。その後ゲイリー・ペイトン2世がコロナウイルスに感染して離脱したため出場機会を得た。シーズン終了までチームに帯同し、3試合に出場した。 エリー・ベイホークス2020年12月2日にニューオーリンズ・ペリカンズと契約したが、トレーニングキャンプ終了後に解雇された[16]。 ユトフのGリーグでの保有権は以前所属していたメンフィス・ハッスルが所持しており、ペリカンズから解雇された際は傘下のエリー・ベイホークスでプレーすることができなかった。このため、ベイホークスは2021年のGリーグドラフトの2位指名権とのトレードでユトフの保有権を獲得した[17]。 2021年1月12日からチームに合流し、15試合に出場して平均14.9得点・8.8リバウンドを記録した[10]。 シーホース三河2021年6月23日にB.LEAGUEのシーホース三河と契約した[18]。 2021-22シーズン途中にはGリーグでのトレードで保有権がオースティン・スパーズへ移ったが、三河に残留することを選択した。シーズン終了後の2022年5月30日に退団が発表された[19]。 京都ハンナリーズ2022-23シーズンは60試合に出場して平均17.2得点・8.9リバウンドを記録した[21]。シーズン終了後、自由交渉選手リストに公示された[22]。 横浜ビー・コルセアーズ2023年6月23日に横浜ビー・コルセアーズと契約した[23]。2024年5月13日、契約満了が発表された[24]。 パラカネストロ・トリエステ2024年7月27日にLBAのパラカネストロ・トリエステと契約した[25] 家族三従兄のディーン・ユトフも元バスケットボール選手で、アイオワ州立大学を経てNBLのシドニー・キングスで13年間プレーした。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
カレッジ
脚注
外部リンク
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