ジェームズ・オグルヴィ (第5代フィンドレイター伯爵)第5代フィンドレイター伯爵および第2代シーフィールド伯爵ジェームズ・オグルヴィ(英語: James Ogilvy, 5th Earl of Findlater and 2nd Earl of Seafield、1689年頃 – 1764年7月9日)は、スコットランド貴族。1701年から1730年までレイドヘイヴン子爵(Viscount Reidhaven)の儀礼称号を使用した[1]。 生涯第4代フィンドレイター伯爵および初代シーフィールド伯爵ジェームズ・オグルヴィとアン・ダンバー(Anne Dunbar、1708年8月14日没、初代準男爵サー・ウィリアム・ダンバーの娘)の息子として生まれた[1]。 1715年ジャコバイト蜂起を支持した疑いにより、一時エディンバラ城に投獄されたという[1]。 1730年8月15日に父が死去すると、フィンドレイター伯爵とシーフィールド伯爵の爵位を継承した[1]。 1734年から1742年までスコットランド警察卿(Lord of Police)の1人を、1734年から1761年までホイッグ党員としてスコットランド貴族代表議員を、1738年から1764年までスコットランド海軍次官を務めた[1]。また、1746年のスコットランド世襲的司法権廃止法に基づき、所有する世襲権を放棄する代償として5,500ポンドを請求したが、1,085ポンドの支払いしか認められなかった[1]。 1764年7月9日に死去、息子ジェームズが爵位を継承した[1]。 家族1710年頃、エリザベス・ヘイ(Elizabeth Hay、第7代キノール伯爵トマス・ヘイの娘)と結婚、1男2女をもうけた[2]
1723年12月、ソフィア・ホープ(Sophia Hope、1702年5月31日 – 1761年4月25日、初代ホープトン伯爵チャールズ・ホープの娘)と再婚した[2]。 出典
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